第52話 侵攻
目を開けた時、真っ暗な空間にいた。未来は目をこらし、辺りを見回す。
奥に緑色の非常灯が弱く光っていた。見覚えのある場所だった。
ここはあたしたちが閉じ込められた浅畑学園の建物内だ。左手は教室になっているので、一階の廊下なんだろう。
影が動いた。誰かいると思い、身構える。
闇から浮かび上がってきたのは亜美の顔だった。ひどく哀しげな目で見つめてくる。
彼女は悪人なんだ。だまされてはいけない。恐怖がこみ上げ、逃げ出そうとするが、手を掴まれた。
「待って、冷静に話し合いましょう。あたしは本当のことが知りたいだけなのよ。もしあなたを傷つけていたら謝るわ。だけど、あたしにはあなたについての記憶がないの」
「嫌、そんなことを言って、あたしをまた陥れる気なんでしょ」
「待って、あたしは何をしたのよ」
「何にも覚えていないの」声に怒りと蔑みの色が混じる。「あたしはあるとき本屋で万引きをした。それを見ていたあなたはあたしを脅しはじめた。最初は金になる物を万引きさせていた。
でも、更に要求はエスカレートしていった。あたしに体を売るよう要求した。もちろんあたしは断ったわ。そうしたら、あなたは深川を連れてきたの……」
最後は嗚咽を漏らし、声にならなかった。
「未来、君が苦しいのはわかっているよ。でもね、君が由井から聞いた話には本当でないことが入っているんだ」
闇の中から福井の姿が浮かび上がってきた。
「亜美、君も聞いてくれ」
「亜美……」
亜紀が動揺した目を福井に向ける。
「そう、君はかつて亜美と呼ばれていたんだ」
*
「未来も一緒に沈んでしまったじゃないか。彼女はどこへ行ったんだ」
玉山は由井に詰め寄った。
「あえて話さなかったがな、彼女も福井と同様永久に閉じ込めてしまわねばならなかったのだ」
由井は悪びれもせず答えた。
「あの子は何も悪いわけじゃない。かわいそうだよ」
「玉山よ、私は善悪を基準に行動しているわけではない。目的は世界制覇なのだ」
「でも、悠紀夫たちを閉じ込めたら、元の生活に戻れると言ったじゃないか」
「嘘も方便ということわざを知らないのか」由井が大きく笑う。「天海の作り出した結界を破るには、お前たちの存在が必要だった」
「俺たちを利用したのかよ」
「如何にも。そうせざるを得なかったのだ」
目の隅で、弘樹がそろりと動き、階段を下ろうとしているのが見えた。
「ぎゃっ」
弘樹が叫び、慌てた顔で戻ってきた。後からから、大勢の人々が石段を上ってきたのだ。
性別や年齢は様々だが、全員、目がうつろだった。彼らが石段を塞いでしまっていて下りることは出来ない。
「取り込み中のところ悪いけどよ、おいら、ふけていいか。現場に戻って穴を掘らないと、工期が遅れちゃうんだよ」
「待て、お前は二つの選択が残されているのみだ。一つは天海同様、我がネズミの滋養となるか。もう一つはこいつらのように、私の僕になるかだ」
「何それ? この人たちどうなっちゃってるのさ」
「皆の者、口を開けてみろ」
由井に言われるまま、全員が口を開けた。
黒光りする線状の物が口から出てきた。まるで触覚のように、前後左右に動き始める。
明らかにネズミの尾だ。
「全員、私と繋がるため、脳髄にネズミを仕込んであるのだ。物を食うときに尾が邪魔になるかもしれないがな。もっとも、ネズミを仕込んだら、それすらも感じなくなる」
「だめだめ。俺、どっちも嫌だったら」
「あきらめろ、これから誰もがこの選択をしなければならないのだ」
木々の間から、ネズミの群れが出てきて弘樹を囲んだ。キイキイと耳触りな鳴き声を上げる。
「選択が出来ないというなら食い尽くしてやろうか」
ネズミの輪が狭まっていく。
「ちょっ、ちょっと待ってったら。生きて食われるなんてごめんだよ」
「由井さん、どうにかなんないんですか」
玉山が訴えかけるが、由井は首を振る。
「だめだな、この世を動かすのは私と深川、それにお前のみだ。他は死ぬか、我らの僕となってもらう。例外は認めん」
「でも……」
「そんなに言うのであれば、お前もネズミに食われるか」
新たなネズミが出てきて、玉山を囲んだ。
「弘樹さん……」
「わかったよ。何でもいいからさ、痛いのだけは勘弁してよ」
「ならば跪き、口を開けろ」
「あ……。はい」
言われるまま玉砂利に跪き、口を開けた途端、一匹のネズミが飛び上がり、弘樹の口に侵入した。
「あぐぐぐ……」
弘樹は目を剥いて呻いていたが、ネズミはすっぽりと口の中へ入っていった。
弘樹は一瞬激しく痙攣した後、玉砂利の上に仰向けになって倒れた。
次に起き上がったとき、弘樹の目は生気がなく、虚ろになっていた。