第51話 由井正雪再び
輝きが過ぎ去ると、亜紀は神社の境内に戻っていた。
目の前には嫌らしい笑みを浮かべる深川。それに暗い目をにやつかせている少年と少女がいた。三人ともどことなく、はかなげに存在が揺らめいている気がした。
「当時、こいつらが浅畑学園を牛耳っていたんだ。理事長も事実はある程度わかっていたが、見て見ぬ振りをしていたのさ。自分が児童買春していた事実を知られて、脅されていたんだ。
悠紀夫がリーダー格で、深川が暴力担当、亜美が金の徴収と管理をしていた。従わない奴には暴力を振るって押さえつけた。これがお前らの正体だ」
卑しげな笑いを浮かべるこの女はあたしなの。亜紀は恐怖で全身が戦いていた。
「金を稼ぐのに他人を犠牲にするをいとわない。むしろそれが他人を支配している確証だと思い、喜びを感じる。最低な女だ」
玉山の言葉が心を抉る。
これがあたしの本質だったというの……。あたしは確かに他人を支配し、時には利用してきた。それは会社を成長させるためで、必要悪だと思っていた。
しかし目の前にいるあたしは、支配すること、それによって金を得ること自体に快感を感じている。
「へえ。お前ら極悪な顔してんじゃねえか」弘樹が幼い亜紀たちをまじまじと見つめる。「でも、俺が覚えている限りじゃ、お前らもっと穏やかな顔だったな。ま、深川はこんなもんだったけどよ」
「弘樹さんが見たのは、申し訳ないけど幻なんだ。こいつらは根っからの悪人だ」
さっと、弘樹の顔色が代わった。
「なんで俺の記憶が幻で、お前が言ってる記憶が本当なんだよ。根拠を言ってみろよ」
「弘樹さん……。それはあんたがもう死んでいるからなんだ」
「なんだと、俺が死んでいるってのかよ。バカも休み休み言えって。おやっさん、何とか言ってよ」
それまで謎めいた笑いを浮かべていた天海が口を開く。
「何が真実であるか、何が幻であるか、すべては己の霊性が知っている」
「さっきからその霊性ってなのなのさ。冷たいパスタじゃねえんだろ。俺にそんなこと言ったってさあ、わかるわけねえじゃん」
「霊性はこの世界に生を持つ者すべてが、生命であることについての根幹をなしているものだ。我々の肉体は生命を為すほんの一部でしかない。植物にたとえて言うなら、肉体は花であり、霊性とは茎、あるいは根であるのだ」
「そんなこと言ったってさ、やっぱり俺、わかんないっスよ」
「くくく……」
押し殺そうとしたが、押さえきれずつい喉から漏れ出てしまう。そんな笑い声が境内に響いた。
亜紀たちの背後にある木々が揺れ出した。
「誰……」
葉の間から、人影が現われた。
黒いスーツにノーネクタイ。長く伸ばした髪の毛は、わずかに揺れながら、空中を漂っている。
由井正雪だった。
彼は重力から解放されたかのように、空中でふわりと浮いていた。堪えきれなくなったかのように、声を上げて笑いはじめる。
「天海の話を信用してはならない。霊性などと言うあやふやで目に見えないものなど、もともと存在しない」
ジャケットの裾をはためかせながら、滑るように地上へ降りた。
「すべての現実は、同時に幻でもあるのだ。では、様々な現実はなぜ作られるのか。それは圧倒的に強力な世界観だ。幻がまるで現実かのように思えてくるほどの力だ。要はすべてが幻であるなら、幻が現実に見えればよいのだ。
死者も生者もすべて幻だ。あるのは世界を形作ろうとする力のみ。だからこそ私は三百七十年の時を経て蘇ってこられたのだ」
「違う、貴様はあくまでも幻でしかない。この世界から消え去るべきなのだ」
「ふふふ、片腹痛いわ。百歩譲って私が幻としよう。そうであるなら貴様はなんなのだ。歴史上、私よりも早く死んでいるというのに、なぜこの場におるのだ。貴様こそ、私の主張を体現しているのではないか」
木々の間から、握りこぶし大の物体が一斉に飛び出し、天海にたかった。
薄い灰色の体毛の下に、生白い肌が透けて見える。まるで触覚のように黒光りする尾を盛んに振り回している。
ネズミだ。
ネズミが天海の全身にまとわりついていた。
「うおおっ……」
くぐもったうめき声が響く。
「天海よ、もう結界を作る余裕などないであろう」
ネズミの間から血がしたたり落ちていく。
天海の体をむさぼり食っているのだ。
天海は痙攣しながら倒れた。鮮血が玉砂利の間を縫って広がっていく。
血の臭いを嗅ぎつけたのだろう、更に多くのネズミが木々から飛び出してきて、天海にたかりはじめた。
キイキイ、キイキイ。
耳障りな鳴き声が響き、血の金臭い臭いが充満していく。
鮮血が亜紀の足下にまで流れてきた。おぞましさで全身が総毛立つのを感じながら飛び退く。
既に天海のいた場所はネズミの山となっていた。
これで邪魔な奴は消えたわけだ」由井は満足げな笑みを浮かべながら、亜紀と福井を見た。「お前たちを閉じ込める。永遠にな」
亜紀の足が玉砂利の中に沈みはじめた。抜け出そうともがいたが、強い力に絡め取られて動けない。
「助けて」
叫んだときには既に胸まで沈み込んでいた。体全体が沈み込むのには、わずかな時間もかからなかった。
落ちていく。