第46話 目覚め
気がついたとき、亜紀は神社の境内に戻っていた。空はどんよりと曇り、草木と土の匂いが漂う。目の前にいるのは天海と名乗る背の高い老人と望月弘樹。そして、眠り続ける福井。
福井に近づき、そっと寝顔を見る。起きてくる様子がないのを確認し、恐る恐る顔を近づけた。
夕焼けの浅畑学園で嗅いだ悠紀夫の匂いだった。
熱い感情がほとばしっていく。
この人をいとおしいと思った。
思わず抱きしめたくなる感情を寸でで抑え、福井から離れる。
「あたしと福井さんは、もう一つの現実の中で、付き合っていたというの」
「霊性がそう告げるのであれば、それは真実じゃ」
「だったらどうして今のあたしたちは他人同士なの」
「それはお前と悠紀夫の問題じゃ。わしの口から言えん。もしも真実を知りたければ、悠紀夫を目覚めさせるしかない」
亜紀は悠紀夫を一瞥した後、再び天海を見た。
「どうしてよ。霊性と私は一体だって言ったでじゃない。それなのに話してくれないなんておかしいでしょ」
「すべては己の霊性が知っておる。もし、言わぬというのであれば、それは霊性が語るのを拒否しているのじゃ」
「じゃあなぜ、私の霊性はこの人と私が付き合っている世界を見せたのですか」
「きっと、お前の霊性が揺らいでいるのじゃ。悠紀夫との愛を取るか、今の社長の地位を取るかでな。
可能性は無限にある。しかし世界は一つだけだ。もし、すべてを話せば、今いる世界が瓦解する恐れがあるのではないか。そなたと悠紀夫が付き合っていた世界が復活すれば、今いるお前の世界は存在できなくなるのだ」
「あたしはあたしでしかありません。それなのに霊性があたしの意志を左右しているというのですか」
「何度も言うように、霊性とお前は一体だ。しかし、光と闇が交わらぬように、霊性と己も交わることはない。お前の意識に出来るのは、ただ霊性を感じ取ることだけだ」
埒が明かない。もう一度福井の顔を見る。なんの表情も見せることなく目を閉じ、眠り続けている。
この人が愛おしい。なんの根拠もないが、強い感情だけが湧いてきて、自分で戸惑った。
どういうこと? こんな風に男の人を感じたの、初めて……。
これまでの人生、あたしはそれなりに恋愛を重ねてきた。でも、そこにはいつも打算が入っていた。この人と付き合えば、どれだけ自分にメリットがあるのだろうか。どれだけ有益な情報や金が入ってくるかと。
でも今は違う。ただただこの人を抱きしめたいと思った。
感情の前には、理由とかメリットなど、些細な問題に思えてくる。
「天海さん。この人を起こしてください」
「ほう……。よいのか。そなたの安定した世界が脅かされることになるかもしれないぞ」
「はい」
亜紀に戸惑いはなかった。
「ならば起こして進ぜよう」
天海は福井の前に立った。両手を組み合わせ、印を結び呪文を唱えはじめる。
「オン アボキャ ビロシャナ マカボダラ マニ ハンドマ ジンバラ ハラバリタヤ ウン」
天海の気合いが、境内に響き渡った。
福井が目を開けた。
「悠紀夫、大丈夫か」
弘樹がよろめきそうになる福井を支えた。
「ここは……」福井が周囲を見回す。「どこですか」
「お主がよく知っている場所じゃ」
「ああ……。久能山ですか」
福井は台座から下りて立ち上がった。
「福井さん、一体、何が起きているんですか。教えてください」
詰め寄る亜紀に福井は戸惑いを見せる。
「僕も……。よくわからないんです」
「嘘を言いなさい。亜美はあたしなの? あたしは一緒に浅畑学園にいたの。教えてちょうだい」
「知りません。早坂さんとは仕事で初めて会っただけで」
「そんなわけないわ。あたしには浅畑学園にいた記憶があるの。それに――」
亜紀は言葉に詰まる。
あなたを好きだった記憶。
混乱する。他人にしか思えないあなたを好きだったなんて……。こんな思い、どう説明したらいいの。
「ともかく、あなたが隠し事をしているのは確かよ。あなたが話してくれないと、何も解決できないわ」
「悠紀夫、顔だって気の強い性格だって、彼女は間違いなく亜美じゃねえか。正直に話せよ。」
「それは……」
「なぜ喋れないのか。それはあんたたちが殺人者だからさ」
不意に階段下から声が聞こえてきた。