第45話 熱い想い
「そうさ。お前ら、いつも一緒だったじゃねえか。忘れちゃったのかよ。先生連中にばれるとヤバいから普段は友達のフリしてたけど、いなくなればずっと手を繋いでさ」
「て言うか、あたし亜美じゃないんだし」
「まだ言うか。だったらなんであいつが橋と一緒に落ちたとき大泣きしたんだよ」
「それは……。自分でもよくわかりません」
上野での出来事を思い出す。なぜかわからないが、強烈な喪失感が襲い、涙が溢れてきた。一体あれはなんだったのだろうか。
もしも、自分が別の世界で亜美だったなら。
亜紀は振り返り、福井を凝視した。そんなこと、あり得るのだろうか。
自分がまだ十代だった頃。
何も思い出せない。
記憶をたどれるのは二十代最初の頃までで、それ以前になると、記憶がぽっかり抜けていた。
どういうわけなんだ。今までのあたしは本当にあたしなんだろうか。
恐怖が、全身に染み渡っていく。
「天海さん、あたしは別の現実で〈浅畑学園〉にいたんですか」
「亜紀よ。目を閉じ、己の霊性を感じるのだ。そうすれば自ずと答えが見えてくる」
「霊性? そんなもの、あたしとは関係ないわ」
「霊性は世界に存在するすべてと繋がっておる。そなたが浅畑学園にいたかどうかは、自己の霊性が知っているのだ」
天海が淡々とした表情で語る。弘樹が真剣なまなざしで見つめていた。もう一度福井を見た後、周囲を見回す。
わずかに風が吹いた。木の葉が揺れ、立ちのぼっていたコケの湿った臭いがかき乱される。目の前をランダムに動き回っていた蚊の群れが風にあおられて一瞬四散するが、すぐに元の塊に戻る。
感覚が研ぎ澄まされていくように感じてきた。動いていないはずの石灯籠や境内が、まるで生命を宿しているように思えてくる。
亜紀は目を閉じた。
古ぼけた二階建ての建物と狭い広場。夕方だろうか、すべてがオレンジ色の光に染まっていた。ここは亜紀たちが閉じ込められ、深川に追い回された浅畑学園だ。
言葉に出来ない懐かしさを感じる。
この感覚、一体なんだろう。
建物の入り口に誰かいたが、暗くて顔が見えない。そっと近づいていく。
建物の影に入る。暗さが目に慣れてきて、輪郭がはっきり見えるようになってきた。
「悠紀夫……」
少年は亜紀を見て微笑んでいた。
あどけない顔からすると、歳は十代後半だろう。しかし、顔立ちは見覚えがある。
「福井……さん?」
燃えるような熱い感情が涌いてくるのを意識した。
自分の感情に戸惑う。熱くなる一方で、目の前にいる男は、仕事で知り合っただけの男だと告げていた。まるで二人の人間が心の中にいるように、異なる主張をしていた。
しかし、熱い感情は更に熱さを増して、周囲の風景に自分が溶け込んでいるのを感じる。
ここはあたしが育った場所。根拠も証明もないが、確信だけが強く存在していた。
「亜美」
そう言われても、亜紀には違和感がなかった。更に近づいていく。
それがごく自然な行為であるかのように、抱きしめられた。
心の片隅で違和感を叫ぶもう一人の自分は、限りなく小さくなっていた。
胸に顔を埋めながら思う。この匂い。間違いなくあたしは知っている。
悠紀夫の匂い。
押さえきれない感情が、体の外に放射されていく。
顔を上げ、悠紀夫を見た。
「愛している」
顔が近づいてくる。二人はキスをした。
感情が弾けて、目の前が真っ白になった。周囲が真っ白に光り輝いていた。