第42話 由井の物語
「私が指示すれば、こいつらは一斉にお前たちに遅いかかる。つまり、私は君たちの生殺与奪の権を握っていると言うわけだ」
「なぜ俺たちを脅す。いや、そもそもどうしてこんな事が出来るんだ」
「待て、順を追って話していこうじゃないか」
由井が目だけで周囲を見回した。
潮が引くように、さっと群れが道の奥に引いていき、床が露わになっていく。あっという間にネズミの姿が見えなくなる。
「こいつもいらないか」
由井が深川を見る。
「えっ」
驚きで目を見開き、口を大きく開けた深川の姿が薄くなり、消えていく。
がらんとした空間に、三人だけが残った。
今までの出来事は幻だったんだろうかと思う。しかし、朽ち果てた木や、窓ガラスが割れて廃墟のようにぽっかりと口を開けたビルが、惨状を物語っていた。
「私の目的は世界制覇だ」
「はあ」
まるで、子供番組の悪役みたいな言いぐさに、思わず笑みがこぼれてしまう。
「笑っているが、私はいたって本気だ。その証拠に、我が兵力であるネズミの群れを見たであろう」
「あれが本物であるわけないじゃないか。みんな幻なんだろ」
「そう、確かにネズミの群れは幻だ。しかし、それを言うならお主たちが生活していた世界が、本当に現実だったと言えるのか」
「何が言いたいの」
「来栖未来、お前は売れっ子の漫画家だそうだな。玉山政伸は世界を狙える位置にいるサッカー選手か」
「何がおかしい」
小馬鹿にしたように鼻で笑う由井に、玉山がいきり立つ。
「お前たち、本当にそれが変えようのない現実だと思っているのか」
「俺の今まで、人より何倍もトレーニングを積み上げてきた。だからこそ、今の自分があると思っている。その努力も、全部幻だというのか」
「確かにお主は努力を積み重ねてきたのだろう。しかしそれとは違う別の現実があったとしたらどうだ。
人間、どんなに努力をしてもサッカー選手になれるわけではない。持って生まれた素質、環境も必要だ。
例えば実力がありながらも養護施設で育ったおかげで、有力クラブチームへ行けるだけの費用を捻出できない。されに意地の悪い同級生に膝を砕かれたら、どんなに努力しても上へ上がるのは難しかろう」
「ううっ……」
玉山が突然倒れるように座り込み、右膝を両手で押さえはじめる。顔を歪めながら、額から脂汗が滲みはじめる。
「痛いか。それがお前のもう一つの現実だ」
「お前もだ」由井は未来を見る。「マンガが何よりも好きな少女がいた。でもその少女には満足にマンガを買う金などない。少ない小遣いをやりとりして、あるいは友達から借りて、マンガを読む日々だった。
だが、ある日どうしても読みたいマンガが出てきた。金もない。友達でそのマンガを持っている者もいない。少女は出来心でマンガを万引きした」
「みぃぃくぅー」
由井の後ろから男が出てきた。深川だ。
ニタニタと嫌らしい笑みを浮かべている。
「お前、マンガをパクっちゃったそうだな」
「ああ……」
強烈な頭痛が襲い、周囲の風景がゆがんで見えてきた。
「まだマンガの続きを読んでいないだろう」
由井はいつの間にか何冊ものマンガを抱えていた。表紙は〈忍び寄る陰〉。
「ここに全巻ある。読むがいい」