第41話 ネズミが……
デパートに取り付けられている大型LED掲示板を多くの人が見上げている。未来と玉山も釣られて足を止めた。
ニュース速報で、上野公園に大量のネズミが発生していると報道されていた。次に画像が映る。
高層ビルの上から望遠レンズで撮影されたのだろう。ビルの間に、灰褐色の染みのような地帯が出来ているのがわかる。更にズームしていくと、それが蠢いていた。
「気持ち悪いわ。どうしてあんな風になってしまったのかしら」
「わからないよ……」
玉山もあっけにとられた表情をして、プロジェクターを見上げながら呟く。
「ぎゃっ」
隣にいた中年の女性が悲鳴を上げる。彼女が怯えた表情で見つめる先を見た。
ネズミだ。
一匹のネズミが、道路を渡ろうとしていた。大きさは二十センチ弱で丸々と太り、薄い体毛越しに、肌色の地肌が透けて見えた。テラテラと光沢のある長い尾を振っている。
ネズミは歩道と道路の境界にある側溝へ通じる狭い隙間へ、まるで軟体動物のように体を滑り込ませて入っていった。
日中のこんな人通りの激しい中で、ネズミが出てくるなんて、ほとんどあり得ない。
もう一度、プロジェクターに映る、上野公園を見た。
まさか……。
別のネズミが現われた。今度は二匹で、ビルの陰から出てきた。一匹は未来たちの目の前を通る。
ネズミが止まり、一瞬未来を見上げた。
生白い肌に、鼻先は湿り気を帯びたピンク色だ。目は固まった血のように赤黒い。
こいつ、笑っている。
マンガのようにネズミが笑うはずがない。でも、尻尾を振り、ぴくりと妙な具合に体をくねらせた動きは未来に確信を与えた。間違いなく笑っている。
未来の全身に鳥肌が立った。
玉山も異様な雰囲気を感じているのだろう。怯えた表情を見せる。
「逃げましょう」
二人は走り出した。
「どこへ行く」
「ネズミのいないところ」
「そんなとこ、どこにあるんだよ」
「わからないわ」
前方からネズミが現われ、こちらへ向かってくる。三匹、いや更に二匹増えた。未来は慌てて右に曲がった。
それをあざ笑うかのように、車の下からネズミが出てきて行く手を塞いだ。振り向くと、そこにもネズミがいる。
一匹が駆け寄ってきて、未来の足に噛み付いた。
「ひいぃっ」
足を振り回すが、がっしりと噛み付いて離れようとしない。他のネズミも次々と襲いかかってくる。
「走れ」玉山が未来の手を掴んで引っ張った。「止まるとどんどん食らいついてくるぞ」
つんのめりながらも走り出す。足には三匹のネズミが噛み付いたままだ。玉山の足にも二匹が噛み付いている。
前方で構えていたネズミを蹴って道を開けていく。だが、加速度的にネズミの数は増えていく。噛み付きに成功するネズミの数も増えていく。数を数えている暇はないが、五匹以上はいるはずだ。
痛みと重み、そして疲れが重なり、走るペースは落ちていく。
「ぎゃあっっ……。やめてくれ」
叫ぶ男にネズミが群がっていた。足はもちろん、胴体や手、顔にまで噛み付いている。何匹いるのかわからないくらいだ。
止まったら、あんな風になってしまう。恐怖に駆られ、足に力を込めた。
大通りに出た。ネズミが止っている自動車に群がっている。助けを求めているのだろう、あちこちからクラクションが鳴らされていた。
窓が囓られて次々に破られる。悲鳴が聞こえてくる。
未来たちはネズミを蹴散らし、道を渡った。
前方に公園が見えてきた。
「あそこに行こう。広い場所ならネズミをかわしやすいだろう」
「ええ」
ネズミが群がっている木々をくぐり抜け、広場に出た。しかし、そこで立ち止まらざるを得なくなった。
広場は野球のホームベースほどのスペースがあり、石畳になっていた。奥に噴水がある。
噴水の水面がざわついている。しぶきが上がり、水が溢れていた。
一瞬、エサに群がっている鯉かと思ったが、違った。ネズミが生白い体をくねらせ、ひしめいていた。
周囲の木が囓られ、次々と倒れていく。いつの間にか公園の敷地のほとんどが、ネズミで埋め尽くされていた。
公園に隣接するビルの窓が破られ、ネズミの群れが出てきた。視界がネズミで埋め尽くされていく。
ネズミのいない場所は、未来たちの周囲半径五メートルほどのスペースだけになっていた。
ネズミは白い体を密集させ、蠢いている。キイキイと鳴く声が、気が狂いそうになるほどに響き渡る。
不意に、噛み付いていたネズミが離れ、逃げていった。どうやら、一気に襲ってくる様子はなかったが、少しずつ輪を縮めている。
「お二人とも、気分はいかがかな」
声が聞こえた。同時に一部のネズミが動き出し、噴水に沿って一本の道が出来た。
噴水の裏から男が二人現われた。
一人は由井正雪だ。
もう一人はぎょろ目で脂ぎった顔をした男。深川と名乗る人物だった。相変わらず嫌らしい笑みを浮かべ、舐めるような視線を未来に向けている。
「怖いか」
笑みを浮かべて話しかける由井に、真意をはかりかねながらも未来は頷く。