第35話 道を塞ぐ人々
ハイエースが動き出した。警備員に挨拶して現場を出る。少し離れた場所で、数人の男が話し合っていた。親方が話していた抗議をしている親爺なんだろう。
左右には昭和チックな建物と店が建ち並んでいた。確かに下町といった町並みだ。
「お前らよ、さっき駿府城のお堀に落ちたとか言ってたけど、どういうこと? まさかぽーんて飛んで来ちゃったって言うのかい」
「わからないわ。でも、確かにあたしたち、ついさっきまで駿府城にいたのよ」
「疑うのは申し訳ないけどさ、そんな現実にはあり得ないぜ。まるでマンガじゃん」
「正直あたしもそう思うけど……。実際そうなっているの」
「悠紀夫、本当か」
「ええ……」
「正直わけわかんねえよ。なんか隠していることでもないのか、ほら、東京に秘密の地下壕があって、皇居と繋がってるとか……。ま、それもマンガの世界だな」
弘樹はゲラゲラ笑う。
「あれ……。事故か?」
今までスムーズだった車の流れが止り、対向車がこなくなった。前方からクラクションが聞こえてきた。
前の車がUターンして走り出した。一瞬、すれ違いざま見た運転手の顔はひどく怯えているように見えた。
「あれ、なんだ」
弘樹が前を指差した。数台先でいつの間にか群衆が溢れ、道を塞いでいた。
「デモか?」
「それにしては幽霊みたいな人たちね」
亜紀の言うとおり、彼らの立ち姿はどことなく心許なかった。姿はどこにでもいるサリーマンや主婦のようだ。目は虚ろで、足下がふらついているように見える。
歩いている男が車のドアを開け、運転手を引きずり出した。抗議をする運転手に男が殴りかかった。
悲鳴が聞こえる。
同様のことが他の車でも行われはじめた。鍵をかけた車にはハンマーでガラスを割る。
暴力を振るいながらも、興奮した様子はない。目は虚ろなままだ。
「弘樹、Uターンしろ」
「はあ……」
戸惑いの顔を浮かべながら、弘樹は親方の顔を見た。
「早く」
「はいっ」
怒鳴りつけられてようやく動き出す。Uターンして元来た道を走り出した。しかし、すぐにブレーキを踏んだ。先に引き返した車が止っている。
その前に、同じような群衆で溢れていた。彼らは車を取り囲み、中の人を引きずり出し、殴り、蹴っていた。
「よせっ、やめてくれよ」
運転手はガタイのいい男だったが、多勢に無勢で一方的に殴られている。
「こっちへ来るわ」
ハイエースに気づいた人々が、間を詰めていく。慌てて左折して路地へ入った。
「上野山へ行け」
「はい」
ハイエースは何度か右左折を繰り返し、言問通りへ出て、上野公園がある北西に向かって進んだ。昭和通りを越えたところで再び左折して路地へ入る。
「あいつら、変でしたよ。一体なんなんですか」
弘樹は不安げに親方を見ていたが、親方は腕組みしたまま厳しい表情を崩さず、じっと前を見たままだ。
ゴゴゴッ、ゴゴゴッ。
「地震?」
振動が車内に響いた。
自動車から出るものとは明らかに違う。
「ああっ、前っ」
道沿いに立っている二十階ほどあるマンションが傾いていた。
ハイエースがつんのめるようにして止る。
マンションの傾きが加速を増していく。
「ああ……。倒れていく」
地震のような震動と、雷が落ちたような巨大な音が同時に襲う。
マンションが倒壊した。
向かいの民家がまるで紙のおもちゃのように潰されていく。
コンクリート片が飛んできて、フロントガラスにぶつかり、ひびを作った。
続いて真っ白な砂埃が襲い、車を包み込む。
窓が白く塗りたくられたようになり、何も見えなくなった。
「何……。何が起きたの」
「弘樹、ドアを閉めろ」
「はいっ」
集中ドアロックの音が響いた。親方は厳しい意表城で、白い窓のを見つめている。
「怖い……。逃げましょう」
「黙ってろ」
親方がささやくように、しかし断固とした口調で呟く。
足下からエンジン音が響いてくるだけで、何も聞こえてこない。
親方は、何を待っているの?
ボンッ、下から鈍い音がした。車体が少し、傾いた気がした。
立て続けに四回響く。
「クソッ、タイヤをやられたぜ」
「悠紀夫、荷台にショベルがあるから取ってくれ」
悠紀夫が後部座席から身を乗り出し、ショベルを親方に渡した。
「悠紀夫、俺にもよこせよ」
「弘樹はいい。静かにしていろ」
「どうしてっスか。この中で俺が一番腕っ節はいいんですよ」
外の砂埃が薄れ、外が見えてきた。
「ゲッ、こいつらなんなんだよ」
路地に人が溢れていた。両手はだらんと力なく垂れ下がり、目はうつろだ。誰もが口は閉じたままで、声を上げる者はいない。
人々はハイエースを囲むようにしてこちらを見ている。倒壊したマンションと、押しつぶされた民家が露わになってきたが、誰一人、そちらへ注意を払うものはいない。