第33話 人違い?
「そうだよ。久々じゃねえか」
弘樹が笑って福井の肩をたたいた。
「すると」弘樹は亜紀に向き直る。「お前は亜美か」
「亜美って……」
また亜美だ。どうなっているの。
「悪りぃ悪りぃ。お前がそんなきれいな服を着ているなんてイメージなかったからよ。なんせ、いつも学生服かジャージだっただろ。俺っちもそうだったげどさ」
ゲラゲラ笑う弘樹に戸惑うばかりだ。彼はようやく亜紀の怪訝な顔に気づき、笑うのをやめた。
「なんだ、俺のこと忘れちまったんかよ」
「そうじゃなくて、きっと人違いです。私は亜美ではなくて、亜紀、早坂亜紀という名前なんです」
「本当か? でもよく似てんだけどなあ」弘樹は腕を組みながら頭をひねった。「〈浅畑学園〉で一緒だっただろ」
〈浅畑学園〉あの閉じ込められていた施設だ。
「ほら、覚えてるだろ」
微妙な表情の変化を感じ取ったのだろう、弘樹が突っ込んできた。
「俺とよくオセロやったじゃんか。お前、いつも勝てなくてさ、そのくせ負けず嫌いだから何度も俺にやろうって言ってさ。結局悔しがって泣き出すんだぜ。それがおもしろくてさあ」
オセロ。確かにやったことがある。でも、いつだったのだろうか、思い出せない。
頭痛と吐き気がひどくなってきて、その場にしゃがみ込んだ。
「おいおい、大丈夫かよ。悠紀夫、俺、なんか悪いこと言ったかなあ」
福井は首を振った。
「弘樹さん、この人は亜美じゃないですよ。すごく似ているけど早坂亜紀さんと言って、会社の社長をしているんです」
「そいつは悪りぃっけな。あんまり似てるし、悠紀夫もいるからてっきり亜美だと思っちゃったよ。
だけんさあ、あんたホントよく似てるよ」
「あの……。よろしければ、その亜美がどんな人か教えていただけますか」
「いいよ」弘樹は頷く。「あんた、浅畑学園は知っているのか」
「さっき、そこにいたんですけど、どういう施設なのかまではわかりません」
「児童養護施設、いわゆる孤児院ってやつさ。俺や悠紀夫も親の名前を知らないまま、物心が付いた頃からそこにいたんだ。亜美はもっと遅くて、確か中一ぐらいだっんじゃねえか。
亜美と悠紀夫は同い年で、俺は二こ上だ。俺は十七で深川を殴って逃げちまったから、後のことは知らねえけどよ」
「深川……。もしかして、ぎょろ目の不潔な感じの男」
「なんだ、よく知ってんじゃん。嫌らしい顔した男だろ。あんた、本当に亜美じゃないのか」
「違います。あたし、さっき初めて見たんですから」
「さっきだって。そりゃ変だぜ」弘樹は顔をしかめた。「だってあいつ、もう死んでるんだから」
「なぜ……。死んだのですか」
「殺されたんだ。刺されたらしいけど、結局犯人は見つかっていないらしいと思ったぜ。もう、五年も前の話だがな。
あいつを殺したい奴はいくらでもいたからさ、対象を絞りきれなかったんじゃないのかな。俺んとこにも刑事が来て、アリバイを聞いていきやがったぜ」
もしこの世界が夢だとしたら、深川とか浅畑学園の存在が、あまりにリアルすぎやしないか。それにブラウスに付着した泥の不快な感触と、熱帯にいるような蒸し暑さ。夢がここまではっきりわかるんだろうか。
あるいは既に現実の世界に戻っているとしたら。あの狭い部屋からここへ出てきたときが、そのタイミングだったんじゃないだろうか。
ただ、それだとどうして深川や浅畑学園が夢の中に出てきたのかわからない。自分は今まで、その存在すら知らなかったはずだ。
「ああ……」
再び、頭痛と吐き気がしてくる。
「あんた、大丈夫か」
弘樹が心配そうに覗き込む。
「あんまり暑くてめまいがしただけです」
倒れそうになった体を意志で立て直す。
「あの、お手数をお掛けして申し訳ないですけど、急いでますので帰らせていただきます」
「ちょっと待ってよ。出て行くのは構わないけど、おいらが部外者を出入りされただなんて誰かにチクられたらやっかいなんだ。監督に報告するからさ」
「その必要はない」