第30話 福井さん、あなた知ってるでしょ
亜紀は暗闇の中を歩いていた。横には福井がいる。水の中に落ちたのだから、濡れていいはずだったが、服は乾いていた。
辺りはひっそりと静まりかえり、非常灯の明かりが奥の方で灯っている。両サイドにはドアが並んでいた。
ここはさっきまで閉じ込められていた施設だ。再び来てしまったのだ。
「怪我はしていないですか」
非常灯に照らされ、心配そうな顔をした福井が亜紀の顔を見た。
「ええ、大丈夫です。ただ、頭がおかしくなりそう。どうしてこんなところへ来てしまったのかしら」
「わかりません」
「嘘」亜紀はいきなり福井に向き直り、睨み付けた。「あなたは知っている」
「どうして……そんな風に言うんですか」
「あなたは仕事帰りで急にここへ来てしまったと言っていましたね」
福井は頷く。
「でも、その割には落ち着いていた。普通なら、もっとパニックを起こしてもいいはずだわ。窓を開けた時も変。いきなりガラスが消えちゃうんですもの」
福井はうつむき、目を逸らした。
「まだあるわ。お堀で女性を助けようとしたときもそう。私たちが躊躇しているのに、あなたは助けに行った。そして深川を消し去った。きっと、ここで深川の首を絞めた後も、死体を消したんでしょ」
「僕だって内心驚いていましたけど、顔に出なかっただけですよ。窓を割ったのも、ここから出たくて必死だったからだし、深川が消えたのは……よくわかりません」
「じゃあ、どうしてお堀に落ちたとき、あたしのことを亜美と呼んだの」
「……たまたま間違えただけですよ」
「嘘、深川もあたしのことを亜美と呼んだわ。こんなの偶然ではあり得ない」
「早川さん、あなたは知らなくていいんだ」
どこからか声が聞こえてきた。辺りを見回すが、どこにも声の主はいない。後ろを見て、再び前を向いた。
いつの間にか、目の前に男が立っていた。
黒いスーツでノーネクタイ。髪の毛は肩まで伸び、ややくたびれたような表情をしている。
由井正雪と名乗っていた男だ。
「ここに閉じ込めたのはお前の仕業か」
福井が由井を睨み付ける。
「その通り。この間、私は世界制覇を行うと言っただろう。そのためにはお前たちを閉じ込めなければならないんだ」
「理由を言え」
「その必要はない。お前たちはこの場所で閉じ込められていればよい」
ゴゴゴッ。
足下から、細かい振動が響いてくる。
「お前たちを動けないようにしてやる」
左右の壁が近づいてきて、天井も下がり出す。
部屋が縮まりはじめていた。
由井の体が薄くなり、消えようとし始める。
「待てよ」
福井が駆けだし、由井の肩を掴んだ。
「逃がさないぞ」
由井の体が再び形を取り始めた。しかし、由井に焦りの色はない。
ゴゴゴッ。
音が激しくなり、部屋の進むスピードが速まる。
「きゃあっ」
天井が頭にぶつかり、両側の壁が肩に当たってきた。体が押し潰され、身動きができない。
前にいる福井が常夜灯の明かりを遮り、何も見えなくなってしまった。
「これでもう動けない。永遠にね」
由井の笑い声が響いた。
まるで、自分の体が大きくなってしまったような錯覚を覚える。いや、実際自分が大きくなっているのかもしれない。
「一体どうなっちゃってるのよ」
「わからない。こんな事になるなんてあり得ないよ」
福井がはじめてうろたえた声を上げた。