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本当の物語は一つだけ  作者: 青嶋幻
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第27話 何者?

 サクラはスピードを上げはじめた。悠紀夫も合わせて走り始める。隣には亜紀がいた。後ろには玉山がいる。


 悠紀夫はちらりと亜紀を盗み見た。


 近くて、今は遠い昔を思い出す。


 懐かしさと、切なさ。そして苦しみが入り交じり、言葉にできない感情がわき起こっていく。悟られないように前を向いた。


 サクラは商店街を抜け、御幸通りに出たところで左に曲がった。左手に市立病院が見えたところを右に曲がり、堀沿いの道を行く。


 走りながら、風景がおかしくなっているのに気づいた。


 カーブになっている道に沿って、県庁ビルの壁も曲がっている。長年この道を歩いているが、道は直線で、県庁も四角張った建物のはずだった。


 空間がゆがんでいるんだ。この辺りに何かある。


「ニャア」


 堀の柵の前でサクラが立ち止まり、こちらを見た。堀を見下ろす。


 対岸がすぐ近くまで迫っていた。両端は既に閉じていて、池のようになっている。


 遠近感がおかしくなり、めまいがしてきて、柵を掴んだ。


「助けてっ」


 水面の中央で女性が溺れていた。未来だ。


 堀の幅が狭くなり始めているのに気づいた。このままだと、彼女ごと閉じてしまう。


「ここから登ってこれるか」


「だめ、水が重くて体が動かないの」


 ありえない、何が起きているんだ。柵でよろめきそうな体を支えながら、歯を食いしばり、未来を見つめていた。


「あそこに浮き輪がある」


 玉山が走り、柵に取り付けてあった浮き輪を外した。


「受け取れ」


 投げた浮き輪が弧を描き、未来の上を越えて着水した。ひもをたぐり寄せ、未来の横を通した。未来が掴んだところで玉山が引っ張った。


「クソッ、動かないよ。手伝ってくれ」


 悠紀夫と亜紀が加勢するが、一切動かなかった。未来は大声で叫び続けているが、水面には波紋一つ立っていない。


 石垣がどんどん縮んでいく。


「待て、僕が行こう」


 悠紀夫はロープを放し、柵を越えて水面へ向かって飛び降りた。


 着水したが、水面が割れることはなかった。まるで凍っているかのように水面に留まったままだ。未来のいる場所へ歩き、手を掴んだ。


「さあ、出るんだ」


 足を踏ん張り、引っ張り上げる。


「うう……」


 未来の体がゆっくりと動き始めた。同時に縮んでいた堀が広がりはじめた。

 胸まで沈んでいた体が、腰まで出ていった。


「うぉぉぉっ」


 左手から声がした。振り向くと女が飛び降り、悠紀夫へ向かってきた。


 違う、女ではない。血走った目を大きく見開き、向かってくるのは深川だった。


 水面を滑りながら、悠紀夫に体当たりした。


 体が吹き飛ぶ。水面を滑り、石垣に衝突した。


「お前も落ちろ」


 起き上がった悠紀夫の髪の毛を掴み、水面に押しつけた。


 水が柔らかくなり、沈み込んでいく。


 くそっ、息ができない……。


 両手に力を込めて顔を上げようとする。


 お前はもう存在していないんだ。幻だ。


 力が弱まった。顔を引き上げ、新鮮な息を吸う。


 深川が透けて見えていた。まだ悠紀夫の髪の毛を掴んでいたが、力はほとんど残っていない。


「消えろ、お前はもう死んでいるんだ」


「そんなわけない……。俺はここにいるんだ」


「消えろっ」


 叫んだ瞬間、深川が細かい粒になって四散した。


 次の瞬間、悠紀夫の体が一気に沈み込んだ。体は動く。水が液体に戻ったのだ。


 立ち泳ぎをしながら未来へ近づいた。彼女はまだパニックを起こしている。後ろから両脇を抱え、石垣まで連れて行った。コンクリートの縁に乗って水から出る。一息ついて辺りを見回すと、狭まっていた石垣は元に戻っていた。


「大丈夫か」


 未来は震える体で頷くだけだった。


「もう少しで消せるところだったんだがな。惜しかったよ」


 公園を繋ぐ橋から声が聞こえてきた。


 見上げると男が一人欄干に寄りかかり、笑みを浮かべながら悠紀夫たちを見ていた。


「橘、今まで何をしていたんだ。えらいことになっていたんだぞ」


 玉山が怒りを帯びた声を上げた。


「ほう。それは失礼しました。ただし、一つ問題がありまして。私はあなたの個人マネージャーではなかったんです」


「なんだと……」


「あなた、久米さんじゃなかったの」未来が恐怖に顔を歪め、男を見ていた。「古本屋をしているって言ってたでしょ」


 男は押し殺したような声を上げて笑った。


「確かにあなたへはそう説明したね。でも、やはり正解じゃない」


 悠紀夫にも見覚えがあった。


 清水の飲み屋で、冷酒を飲みながら世界を制覇すると言っていた男。


「由井正雪か」


「そのとおり。橘でも久米でもない。私の名前は由井正雪。以後お見知りおきを」


 由井は嘲りを帯びた笑みを浮かべる。

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