第23話 浅畑学園は存在しない
「福井さんは地元の方ですか」
「はい。浅間神社の横に交番がありますから、そこへ行きましょう」
門を抜けて道路へ出た。振り返り、門柱を確認する。
古ぼけたコンクリートに〈浅畑学園〉と書いてあるプレートが埋め込まれていた。
どこかで見たような気がする。そう思った瞬間、ひどい頭痛がぶり返してきた。
「どうしましたか」
膝に手を着けて立ち止まった亜紀を、福井が心配そうな顔で覗き込んだ。
「ごめんなさい、またちょっと頭が痛くなったので。でももう大丈夫」
実際、頭痛は急速に解消していった。亜紀は体を起こして歩き出した。
道は急な下り坂になっていて、左右は雑木林で覆われていた。少し歩いたのち、四車線の道路へ出た。福井に先導され、歩道を進んだ
道路は自動車がせわしなく走り過ぎていく。犬と一緒に歩く老人とすれ違った。ここを見ている限り、どこも変わったところはない。
道沿いに玉垣が並びだし、木々の背後に神社らしき建物が見えてきた。前方に見えてきた信号を右に曲がり、鳥居の前を過ぎたところに交番があった。
「どうしました」
奥の机で書き物をしていた警官が亜紀たちに気づき、手を止めた。
「私たち、さっきある人にひどく蹴られまして、相談に伺ったんです」
「ほう。それは物騒な話ですね。暴行を受けた場所はどこですか」
「この近くにある〈浅畑学園〉です」
警官が眉間に皺を寄せる。「それはお店の名前なんですか」
「いいえ。二階建ての建物と広場がある施設です」
「浅畑学園……。聞いたことがありませんが」
「でも、たった今そこにいたんです。歩いて十分もかかっていません」
「私もここへ赴任して二年近くで、地域の情報は把握しているつもりですが、そういう名前の施設があるのは聞いたことがありません」
「そんなはずないでしょう。自分たちはさっきまでずっとそこにいたんですから」
「どの辺りになりますか」
警官は立ち上がり、机にあった地図を取り出してきた。カウンターに置き、ページを拡げる。
「ここが私たちのいる交番です」
警官が指差した背後には浅間神社がある。玉垣があった場所だった。さらにその背後が山になっていた。賤機山と書いてある。
「麻機街道沿いの、神社を過ぎたところです。坂道になっていましたから、この山沿いにあるはずです」
「でも、この辺りは何もなかったはずですけど……」
「そんなはずはないよ」
「もう少し詳しい地図を見てみますか」
警官は棚から住宅地図を取り出した。慣れた手つきでページをめくっていく。
「あなたの差した場所がここです」
麻機街道から賤機山へ向かう道路がある。最初は住宅が建ち並んでいたが、山頂へ向かうに従い住宅はなくなり、道も行き止まりになっていた。地図は昨年度版だ。あんな古ぼけた建物が、今年できたはずがない。
どうせ今は夢の中なんだ。亜紀は納得したが、玉山は不満らしい。散々抗議をして、被害届け出を出したいと主張したが、警官は信憑性がないとして受け付けない。
「それじゃあ一度、あなたたちが暴行を受けたという現場へ行ってみましょうか」
折れた警官がうんざりした顔で答えた。一緒に元来た道を戻る。麻機街道から坂道を登っていく。
「さあ、どこですか」
冷ややかな警官の目線に亜紀と玉山は戸惑いの顔を浮かべた。住宅街が切れた後は、雑木林が広がっているだけで、行き止まりになっている。
「確かにあったんだが……」
入った道は間違いないし、通り沿いの住宅も記憶通りだ。
ただ、浅畑学園だけがなかった。
「帰りましょうか」
警官の言葉に従うしかなかった。交番まで戻り、詫びを言って別れる。
「でも、確かにあったんだ。そうだろ」
憤る玉山に福井が頷いた。亜紀も吊られて頷いたが、これも夢なんだという思いを強くしていた。ただ、玉山はどうしてこんなに怒っているんだろうかと思う。
彼が自分の意識の反映でしかないとしたら、ある程度納得している自分と矛盾している。心が混乱しているという可能性もあるが、それならこんなに意識がはっきりしているのも変だと思う。
本当にこれは夢なんだろうかと思う。