第2話 玉山政伸が抱えたトラブル
ニューヨークソーホーにあるホテルのデラックススイートルーム。壁一面に広がる窓からは、宝石のようなマンハッタンの夜景が見渡せる。
室内にある巨大なベッドには、一人の男が横たわっていた。身長は百八十センチほど、体型はスリムだが、バスローブの裾からは、岩のように固い筋肉が覗いている。
額には脂汗。
「マサ、特に外からは特に腫れた様子はないが、本当にここが痛いのか」
「お前……。疑っているのか」
「い、いや、そうじゃない。詳しくは明日精密検査をしなければわからないが、さっき医師が言っていたとおり、ここまで急激で歩けないほどの痛みがあれば、何らかの腫れがあるはずなんだが……。
私もトレーナーを始めて長いが、こんな症状経験がないよ」
ルイスは哀しげな目をして首を振る。
「ううっ……」
再び強烈な痛みぶり返してきた。右膝が焼けるように熱く感じ、心臓が鼓動するたび、痛みが波状になって襲いかかってくる。
ドアが開き、スーツ姿の男が入ってきた。個人マネージャーの橘だ。褐色の肌をしていたが、それでも顔色の悪さは容易に見て取れた。ひどく怯えた目をしていた。
「大変だ。怒り狂ったサポーターたちがホテルを囲んでマサを出せと叫んでいる」
「しかたがないだろ。試合直前になっていきなり痛み出したんだ。試合に負けたのは俺のせいじゃない。ちゃんと説明してくれ」
「言ってるさ。でも誰も納得していない。あいつら、マサが仮病を使ったと思っているんだ」
「バカ言うんじゃない、なんのためにそんなまねするんだ」
橘とルイスの目に、わずかだが困惑の色が浮かんだのを玉山政伸は見逃さなかった。こいつらも俺を疑っているんだ。怒りが湧き凝った瞬間――
「ああっ……」
一段高い痛みの波が押し寄せる。
ブロンクスにあるニューヨークスタジアムで今夜行われた、サッカークラブワールドチャンピオンシップ。結果はスペイン代表のカタルーニャFCの圧勝で終わった。
前評判は、カタルーニャとジャカレFCが互角の戦いをするだろうと言われていた。それが崩れたのは、間違いなくジャカレFCの中心選手である玉山政伸が直前で欠場した影響だった。
皆、俺の病状を疑っている。
理由はわかっている。ジャカレFCがブラジルで快進撃を続けているとき、玉山の移籍がマスコミで度々取り出さされいてたからだ。移籍先のリストには、豊富な資金量を誇る、カタルーニャFCの名前もあった。
カタルーニャを勝たせるためにこの試合を棄権したのだと思っている。
バカな話だ。冷静に考えれば、プロ追放の危険を冒してまで、移籍先に媚びを売るはずがないなんてわかるだろ。
しかし、問題は誰もが冷静でないことだ。
「本当だ……。本当にまともに歩けないんだ」
「わかっている。だが、サポーターたちはそう思っていない。今は警備員がホテルを守っているが、いつ乱入されるかわからない。
ホテル側から退去してくれと依頼が来ている。私たちも同じ意見だ。このままだとあまりに危険だ」
「しかし……。どうやって」
「俺たちについてきてくれ。立てるか」
玉山はルイスと橘に両脇を抱えられ、部屋を出た。右足が床に着くたび、強烈な痛みが差してくる。エレベーターで地下の駐車場まで下りた。その隅に清掃会社のみすぼらしいバンが置いてある。
「この中に隠れるんだ」
バックドア開け、掃除道具をどかしてスペース確保し、身を横たえる。上からブルーシートをかぶせられた。すえた臭いがこもり、鼻を突く。ドアの閉まる音がした。
エンジンがかかり、バンが動き出す。玉山は恐怖で身を震わせると同時に、つい半日前までには思いもよらない出来事にうろたえている自分を感じていた。