第18話 亜美?
「私は亜美ではありません。人違いです」
静かな、廊下に男のけたたましい笑い声が響き渡った。
「えらそうなしゃべり方しやがってよ。バカじゃねえのか。お前は亜美だ。間違いない」
「亜美じゃないって言っているでしょ。頭おかしいんじゃないの」
「へっ、そういう気の強えところなんか、亜美そのものじゃねえか。つべこべ言わずに探せよ」
「なんであんたのために人を探さなきゃならないのよ」
男の目が暗く輝いた。
手が動いたかと思うと、顔に衝撃が走った。
一瞬の間の後、頬を張られたのを認識した。ひりひりとした痛みが広がる。
「思い知ったかよ」
この男の行為には腹が立ったが、周囲には他に誰もいない。喧嘩をしても男が暴力に訴えれば圧倒的に不利だ。
亜紀はきびすを返し、元来た廊下を走り出した。階段を上り、二階の廊下へたどり着く。
「どうだった」
「だめよ。それより今、変な男に追いかけられているの」
あたしがベットに入っていた部屋は、確かここだった。ドアノブをひねったが、鍵がかかっているのか動かない。間違えたかと思って両隣のドアもひねってみたが、やはり動かない。
「逃げんじゃねえよ」
暗闇から、にやついた顔が現われた。
横から足が繰り出され、腰に当たる。痺れるような衝撃を受け、思わずよろめいた。
「未来がいないなら、お前に相手をしてもらってもいいんだぜ」
男が一歩踏み出し、亜紀の腕を掴もうとした。
走り出す。腰はまだ痺れていたが、動けないほどではない。誰も助けてくれないなら、とりあえずこの建物から出よう。登ったときとは反対の階段を降りる。きっとエントランスがあるはずだ。
えっ、ない。
階段を降りきった場所は廊下が続いていた。エントランスはもちろん、外へ通じる出口もなかった。
この建物、一体どうなっているのよ。
階上から、男がゆっくりとした足取りで降りてくる。
「逃げたって無駄だ。お前らは俺の物なんだ」
廊下の中央へ行き、ミーティングルームの扉に手をかけた。鍵がかかっていなかったので、中に入る。広そうな部屋だから、窓ぐらいあるだろう。そこから外へ出ればいい。
奥まで歩いて行くと、予想通り窓があったが、様子がおかしかった。顔を近づけても、外が見えない。まるで外から黒いペンキを塗りたくったようだ。窓を動かしてみるがびくともしない、鍵がかかっているのだろうかと思い、窓枠を手探りでチェックしてみるが、それらしき物は見当たらない。
「おらあ、どこへ行ったんだ」
部屋の外から声が聞こえてくる。廊下に接する窓から、ぼんやりと人影が見えた。例の男に間違いない。息を潜めながら、ゆっくりとしゃがんだ。音を立てないように、四つん這いになって窓際から移動する。
どこからか、湿った息遣いが聞こえているのに気づいて動きを止めた。
私の他に誰かいるのだ。
耳をそばだてて、声の出所を探った。
左側だ。ゆっくりと進む。
息づかいが大きくなっていった。
不意に目の前へ顔が現われた。
「ひぃっ」
相手の女が小さく声を上げたのを反射的に手で押さえた。
「黙ってて」
メガネをかけたショートカットの子だった。パニックを起こしているのか、動き出しそうとする。
「大丈夫、あたしは何にもしないから」
体を押さえようとしたら、近くの机に当たって音が出た。
「そこにいるのか」
扉が開く音。非常灯の光に照らされ、影が動いた。