第17話 亜紀も絡まれる
目覚めたとき、亜紀はベッドに寝ているのに気づいた。ゆっくりと体を起こしてみる。
喉の奥に違和感を感じたかと思うと、激しい咳の発作が出てきた。手で口を押さえる。大量の痰が出てきて、手のひらで受けると真っ黒だった。
意識を失うまでの記憶がよみがえってきた。ヘッドボードにティッシュペーパーの箱がくくりつけてあった。何枚か取り出して手のひらを拭い、口の中に残っていた物も吐き出す。
体を起こした。頭がひどく痛かったが、意識ははっきりしている。きっとここは病院なんだろう。
助かったんだ。亜紀はほっと息をついた。
体を動かしたが節々が痛むだけで、大きな怪我はしていないようだ。
会社がどうなっているか確認しなければならない。携帯を探すが、バッグに入れたままだったのを思い出す。車からバッグを持ち出す余裕なんてなかったから、きっと燃えてしまったのだろう。
今必要なのは現状の把握と会社への連絡だった。しかし、ナースコールはどこにもないし、時計さえも置いていなかった。仕方がないのでベッドから出て、薄汚れたパンプスを履いて立ち上がった。
刺すような頭痛がしてきたが、体を止めて堪えていると、すぐに落ち着いてきた。立ち上がり、確かめるような足取りで出口に向かい、ドアを開けた。
外は暗かった。廊下になっているようだが、照明は点いていない、奥の方に緑色の非常灯が見えるだけだ。もう夜中で消灯しているのだろうか。だったらどうしてあたしの部屋は電気が点いたままなんだろうか。
まあいい。ナースセンターなら誰かいるだろう。亜紀はなるべく頭を刺激しないよう、ゆっくりと足を踏み出した。
「あの……」
暗闇から声がして驚く。目をこらしてみると、廊下に男が壁により掛かり、頭を抱えてうずくまっていた。立ち止まり、いつでも逃げられるよう慎重に構えながら観察してみる。
「申し訳ないですが、ロビーに行って誰か呼んできてくれませんか」
男が顔を上げて亜紀を見た。
「どこか具合でも悪くなったんですか」
「ええ。足が痛くて歩けなくなってしまったんですよ。頭もがんがん痛むし」
「それは大変です。ナースセンターで助けてもらうよう頼みますわ」
「ナースセンターって……」
「え? ここは病院じゃないんですか」
「違います。ここはホテルですよ」
「そうだったんですか。私、地震で怪我をしまして、気がついたらここにいたんです。けが人が病院へ収容しきれないほど多かったんでしょうか」
男が怪訝な顔をした気がしたが、暗いのではっきりとわからなかった。まあいい。ともかくロビーへ行って、この人が助けを求めているのを伝えよう。ついでに電話も借りればいい。
「ここは何階なんですか」
「二階です。階段を降りればすぐにロビーになっています」
「わかりました。行ってきます」
男の前を横切って廊下を進んだ。すぐに階段がぼんやり現われてくる。足を踏み外さないよう、手すりに手をかけ、慎重に降りた。
一階も二階と同様に照明が落ちていた。ホテルであれ病院であれ、二十四時間人が常駐しているはずだが。ともかくこの施設の関係者を探さなければいけない。亜紀は廊下を進んだ。
廊下の右側は窓になっていて、部屋が見えていた。二階のような個室でなく、ミーティングルームのような広間になっているらしい。薄暗いので、細かい部分は判別できなかったが。
前方で影が動いたかと思うと、人が現われた。脂ぎった顔にぎょろりとした大きな目。髪の毛は何日も洗っていないのか、ぺたりと頭に張り付き、てかてかと非常灯の光を照り返していた。
「おい、未来はどこに行った」
いきなりのぞんざいな口ぶりに、怒りと警戒感がわき起こる。
「未来? 誰ですか」
「お前亜美だろ。知っているはずだ」