第14話 声がする
未来は自分の名前が入ったマンガを読んでいた。スタンドライトが手元を照らすだけで、周囲は暗い。ページをめくる音だけが響く。
怖い。
読み進めるうちに、心臓が激しく鼓動していた。苦しくて読みたくなくなかったが、目を背けられない。
「コーヒーでもいかがですか」
不意に声をかけられ、飛び上がるほど驚いた。
「申し訳ありません、かなり集中されていたようですね」
「ああ……。とんでもないです」
久米が本気で恐縮しているのを見て、未来は慌てて頭を下げる。
「コーヒー、いただきます」
目の前に差し出されたコーヒーカップから立ち上る香りを嗅ぐと、少し落ち着いてきた。まだ震えていたので、カップを両手で持ち、ブラックのまま口を付けた。暖かさを伴って、苦みとこくが口の中に広がった。
「マンガを読んで思い出しましたか」
未来は首を振った。「何も……。でも、すごく怖かった。ほら、まだ少し手が震えているわ」
「確かに怖い話です。でも、これはホラーというほどじゃないでしょう。どちらかというとサスペンスなんじゃないですか。確かに読んでいるとき、はらはらしますけど」
「その通りなんです。でも、登場人物の男の子がすごく怖いんです。おかしくなってしまいそうなくらいなんです」
「想像なんですけど、来栖さんはこの男の子に対する思い込みが激しいんじゃないですかねえ」
未来は頷いた。「あの……もう少し読ませてもらってもいいですか」
「どうぞお構いなく。私は奥で仕事をしていますので、いくらでも読んでいてください」
立ち去る久米に礼を言い、マンガに視線を戻した。出版社は〈常磐出版〉となっているが、やはり記憶になかった。なぜか住所も電話番号も書いてなかったが、あとでパソコンを借りて調べればいいだろう。ともかく、この物語を最後まで読まないと、気が済まなかった。
途中まで読んでいたページを開く。メインキャストの一人はユキオという名前で、さっき駅で見た少年とそっくりだった。
再び、心臓が激しく鼓動してきた。一体どうしてなんだろう。久米の言うとおり、彼に対する思い入れが強いのかもしれないが、描いたときの記憶がすっぽりと抜けている。
舞台はとある地方都市の児童保護施設だ。そこへある日ユキオという名の少年が転入してきた。ユキオは気さくで明るく、誰とでも友達になれた。彼がクラスで人気者になるには長くかからなかった。
しかし、主人公のミク(自分の名前だ!)は街の本屋で万引きしているのを目撃する。その日以降、ミクはユキオに目を付けられはじめる。ミクは今まで素直だったと思っていた彼の性格に疑問を持ち始める。
そんな中、施設で暮らしていたヒロキという子供が行方不明になる。方々探すが見つからない。家出したのだろうという結論に達するが、ミクは疑問を持ち始める。ヒロキはこの施設のリーダー的な存在で、家出する理由を持たなかったからだ。
しばらくして、今までヒロキが担っていた役割をユキオが持ち始める。ユキオは同じ施設のアミという女の子と付き合い始めた。
不意に頭痛がしてきて、頭を押さえる。
靄のような何かが膨れあがっていく。
たまらずマンガを置き、頭を抱えた。いやな汗がにじみ出てくる。
――ミクちゃーん――
「誰?」
未来は顔を上げ、周囲を見回した。
久米さんじゃない。嫌らしい、泥のような声だった。どこかで聞いたことがあるが、思い出せない。
今までとは、違う種類の恐怖がわき起こってくる。吐きそうになるくらい、おぞましい声だ。
――ミークーちゃーん――
今度は妙に間延びしていた。音声をスローに再生したような。
どこからかわからないが、店の中で響いている。
危険だと本能が叫んでいた。
声を出せば、どこに居るのか悟られてしまうので、助けを呼ぶわけにはいかない。久米の元へと行こうと、未来はそっと立ち上がった。
スタンドライトの明かりの切れ目に、奥の部屋へ繋がる入り口が見えていた。中へ入っていく。
その部屋は今いた部屋より更に暗く、やはり本棚がいくつも置いてある。未来は奥へ向かった。古本のかび臭い臭いが更に強まっていく。
――ミィークゥゥー――