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本当の物語は一つだけ  作者: 青嶋幻
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第1話 早坂亜紀に降りかかった災い

 

プロローグ 目覚め


 午前二時、人気のない公園に湿った風が吹いている。周囲は木で囲まれており、奥にある噴水が、街頭でぼんやり照らされていた。


 タイル張りの地面を、男が駆け抜けようとしていた。


――目覚めよ――


 不意に発せられた言葉に戸惑い、男は制止する。


――目覚めよ――

               *


 男は茂みの中を這い回っていた。近くから、昨日の雨で水かさを増した川の荒々しい水音が聞こえてくる。周囲は暗く、街灯の光も届かない。


 湿り気を帯び、暖かい陰が吹き抜け、茂みを揺らした。


――目覚めよ――


 声を聞いて、男は身構えた。声はどこから来ているのだろうか。慎重に辺りを見回すが、声の主は姿を現さない。


――目覚めよ――


 もう一度声がした。




                      *



 虎ノ門に去年完成した超高層オフィスビルの三十二階。窓からは霞がかった東京の町並みが一望できるが、部屋いる二人はそんな風景を愛でようとする余裕はなかった。


「何考えてんのよ、あんたのおかげで会社が潰れるかもしれないのよ」


「でも……。航空便では三百カートンの貨物を航空便で運ぶとなると、相当の経費が発生しまして……」


「だったら十でも二十でも先に入れてくればよかったんだ。交換を希望しているのは現在何人いる」


「それが……。あの……、ちょっと待ってください」


「もういいっ」


 顔面蒼白で立ち尽くす大城製造部部長を前に、早坂亜紀は内線で物流課の相川を呼び出した。


「交換希望は現在何人だ」


「はいっ、少々お待ちください……。ええっと、現在七十六体となっています」


 何も言わず受話器をたたきつけると、血走った目で大城を睨付ける。


「七十六体だ……。先に二十カートン運んどけば今頃はチェックも済んで、発送ができたかもしれないんだよ」


「申し訳ございません……」


「何度謝れば会社の信用が取り戻せるんだよ。言ってみろ」


「それは……」


 答えに窮して脂汗を流し始めた大城に蔑みの視線を向ける。


「バカ、もう下がれ」


「はい、失礼します」


 深々と一礼し、白髪交じりの整った髪型を見せる。再び顔を上げ、強ばった表情を見せる手前の一瞬、安堵の顔を浮かべたのを見逃さなかった。


 こいつ、だめだ。腹は決まった。


 ドアノブに手をかけた大城に声をかける。


「言い忘れたことがある」亜紀の顔から表情が消えていた。「あんた、来月から総務部に異動してもらう」


「えっ、それじゃあ中岡君は……」


「バカ、お前が総務部長になるわけないだろ。配属先は業務管理課、役職は主任だ」


「なんだと……」


「不満だったら裁判でも何でも起こせばいい。それよりキャリアに傷が付かない前に、辞表を出した方が得だと思うがな」


 大城はあからさまに歯を食いしばり、亜紀を睨み付ける。


 それを冷たい笑みで受け流す。


 酒を飲めば、世界的に大ヒットを飛ばした電子オーブン〈スペリオル〉を開発したのは自分だと自慢するのが口癖な男だった。Eブラザースでの経歴を見ても、その話は間違いないのだろう。


 しかし、所詮は大企業の駒の一つでしかなかったということか。スカウト会社もヘッドハンティングなどと大げさな話でこの男を推薦したが、要は体のいいリストラ再就職だったというわけだ。


「お前もまだ年金を貰う年じゃないだろ。ここですんなり辞めとけば、町工場ぐらいなら職はあるんじゃないのか」


 大城がドアノブを離して向き直る。


「くそアマが……」


 一瞬、殴りかかられるかと思ったが、再び背中を向け、ドアを開けて出て行った。


 亜紀はほっと息を吐き、いすの背もたれに身を預けたが、それもほんのわずかな時間だけだ。


 社内に動揺が走る前に、説明をしておかなければならない。亜紀は製造部の幹部社員へメールを打ち、全員を会議室に呼んだ。


 亜紀が会議室のドアを開けると、全員が立ち上がり、緊張した面持ちで一礼する。亜紀は出席者を一通り見回すと、頷いて上座へ座る。


「原、阿久津はどうした」


「はい……。阿久津課長は現在上海で――」


「そんなのはわかってる。なんのためにテレビ電話があるんだ」


「はいっ、少々お待ちを」


 原が怯えた表情で立ち上がり、会議室を飛び出していく。


 あんな顔をしているが、奴も内心この小娘がとでも思っているのだろう。


 こいつらもそうだ。緊張した面持ちの幹部社員を一瞥し、タバコを取り出して火を点ける。


 だからこそ、徹底的に締めて行かなければならない。


 雇った当初は、この中の誰もが自分を敬うなど思っていなかったはずだ。あからさまに侮蔑の目を向けた者もいる。


 若い、しかも女性であるという理由だけで。


 亜紀はそうした連中を頭ごなしに怒鳴りつけ、従わせてきた。反発して辞めていった者もいた。しかし金さえあれば、代わりはいくらでもいる。そうした現実を見させて、彼らを飼い慣らしていった。


 ここでの私は王なんだ。


 それを常に見せつけてやらねば、奴らはたちまちつけあがる。


 原とその部下が入ってきて、パソコンとモニターをセッティングした。


 しばらくしてモニターに阿久津製造課長の姿が現われた。背後は白壁と無骨な作りのキャビネットが見える。上海のOEM先事務所だろう。


「全員揃ったので会議を始める。まず、大城部長だが、来月退職することとなった」


 全員の顔に動揺が走る。


「どうしてなんですか。リコールの件で責任を取ったんですか」


 宅川がいきり立って発言した。大城と宅川は大学の先輩後輩の間柄で、とりわけ親しかった。今後注意しなければと思う。


「一身上の都合だ。私からはそれ以上話す必要もないし、関知もしていない」


 亜紀が見つめると、宅川は怯えた表情に戻り、視線を逸らした。それでいい。


「当面の間は私が製造部部長を兼任し、仕事を取り仕切る。早速だが、上海からの商品の到着予定を教えてくれ」


 相川が発言する。


「高知沖に居座っていた低気圧がようやく動き出したそうです。順調にいけば、今夜運行を再開するとのことです」


「東京に入るのはいつだ」


「東京へは明後日の午前中の予定です」


「大阪から東京まで、一日以上もかかるのか」


「東京へ入港する前に、清水港へ入る予定りまして……」


「だったら商品を清水へ上げられないのか」


「は、はい。船会社に相談してみます」


「すぐに話をしろ」


「はいっ」


 相川は弾かれたように立ち上がり、会議室から飛び出していく。


「不具合の状況はどうなっている」


 製品開発課の竹本が苦しげに顔を歪めた。


「それが……。まだ特定はできておりません。不良品を解体して、パーツを一つ一つチェックしているところです」


「何やってんだよ」


 亜紀はこれ見よがしにため息をついた。竹本は体を縮こませる。


「我が社は設立してまだ四年の若い会社だ。それが六百億も売り上げたのは要因はなんだ」


「はい、サクラのおかげです」


「されに不具合が起こっているんだぞ。問題が長期化すればするほど我が社の柱が浸食されていくんだ。わかっているだろう」


 その後、対策が話し合われたが、有効な意見が出ることはなかった。亜紀にも不具合の原因がわからなければどうにもならないのはわかっていたが、それでも部下たちを怒鳴りつけずにはいられなかった。


 ひりひりした空気のまま、会議は散会した。



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