3話 裏切り
一族の頭首が事故で急死した。
なんでも運転中、交差点で信号待ちしていたところ居眠り運転のトラックに背後から追突され、即死だったそうだ。
ちなみに、死んだ頭首は祖父の次男、祖父を殺したのは三男だ。
―ざまあ見ろ―
僕は心の中で笑った。
御爺ちゃんを殺したから天罰が落ちたんだ。
そしてこれからまた面白いことになる、と僕は心を躍らせる。
そう、我が一族のお家芸、《遺産争い》だ。
頭首の死を受け、一族があの日のように一堂に会して醜い争いを開始する。
焦点は勿論、頭首の持っていた遺産をどう分配するか。
むろん、頭首の妻子が独占的に遺産を貰う権利が法律によって保障されているが、ハイエナのようなこの一族は頑としてそれを許さない。
なんとかしてお零れを貰おうと、あの手この手で頭首の妻子にすり寄り、情に訴え、最後は脅しにかかる。本当に救いようのない一族だ。でも、僕には関係ない。
居間で一族が揉めているのを尻目に、僕はその日も学校へ行くべく家を出ようとした。
その時
「おい、待て」
居間の前を通り過ぎたところで男に呼び止められる。白髪交じりの灰色の髪をした厳つい顔の男。祖父を殺したあいつだ。
「お前、遺産相続の権利は放棄しろ。いいな?」
僕は死んだ頭首の養子だ。
日本の法律では実子と同じ分だけの遺産を相続できることになっている。
だけど、一族からしてみたらそれは面白くない。
《鬼子》になんて一円たりとも渡したくない。
全て奪ってしまえばいい、と考えているのが見え見えだった。
だからこそ叔父は、拒否することは許さない、と一方的な言い方したんだ。
さっきまで鬼のような形相で醜い争いを続けていた一族の大人たちも、僕を睨み、権利は放棄しろと命令してくる。高校生である僕に、だ。
呆れ果てて物も言えない。
以前の僕なら相手にするのも面倒で、わかりました、とだけ言ってこの場を去っただろう。
でも、今の僕は違う。
お前ら《劣等》の取り分なんて知ったことか。
「嫌だって言ったら、どうする?」
僕は歪な笑みを浮かべながら、煽る様に訊いてやった。
バカな三男はみるみる顔を紅潮させて、お得意の方法で僕を脅してきた。
「お前、殴られたいのか?」
人の心など微塵も籠ってない、冷徹な眼が僕を射抜くが何も怖くない。
僕にはもう失うものなんて何もない。
両親も死に、祖父も死に、僕には何もないんだ。
だから一族全員が集っている目の前であっても平然と減らず口を叩くことが出来る。
「殴るのか?なら、殴ればいい。あの日、御爺ちゃんを灰皿で殴って、殺した時みたいにさ」
三男の目が大きく見開かれる。
でも、僕に殴りかかってきたりはしない。
むしろ、赤かった顔から血の気が引いていくのがわかる。
小心な男だ。自分で殺しておいたくせに。
一族の面子も残らず蒼白い顔をして僕を見ていた。
僕が祖父の死の真相を知っているなんて夢にも思っていなかったのだろう。
「じゃあ、行ってきます」
僕はすっきりとした気分で家を後にした。
◇◇
その日の夕暮れ時、僕はいつも通り駅前のCDショップに寄った。
今日はバイトが無いため暫くは店にいられる。
早く帰っても、家じゃ親族の醜い争いが続いていることだろうしね。
ショップに入ると、早々にヘッドフォンを被り、CDの試聴を始める。
入荷されたばかりの新曲を聞いて、お宝探しだ。
でも、あまり惹きつけられるような曲は見つからない。
だけど、それはそれでいいものだ。
いつもいいものが見つかるわけじゃないからこそ、出会ったときの喜びは何倍にもなる。
暫くは耳に聞こえる旋律に身を委ねよう。
―…………っ………―
「ん?」
と思っていた矢先、ピアノの旋律に交じって何か聞こえた。
誰かに呼ばれたような気がした。
僕はヘッドフォンを外して、周囲を見渡してみた。
でも、店内には殆ど人影なく、僕の周りには誰もいない。
「なんだろう?ノイズ……かな……?」
その可能性も無いわけでは無い。
でも、凄く変な感じがする。
不気味な気分だ。
「帰るか……」
普段はあまり帰りたいとは思わない家だけど、なぜか今日は早く帰ろうと思った。
足早にCDショップを出て、駅へと向かう。
人混みに交じると心に浮かんでいた不安が薄れていった。
やっぱり、ノイズか何かだろう、ということで決着をつけることも出来た。
あとはあの家に帰るだけ。
駅のホームで電車を待ちながら、ふと向かいのホームを見た。
夕暮れ時ということもあり、どこのホームも人で溢れている。
皆、これから家に帰るんだろう。
愛しい家族がいる、温かな家庭に。
羨ましい。
―……こ…………い……―
「え?」
声が聞こえた。
今度は間違いない。
―……ち……に……い………―
でも、それは酷くノイズがかっていて上手く聞き取れない。
(なんだ、なんの音だ?)
僕は周囲を見回しつつ、次第に強くなっていく異音の発生源を探す。
でも、それらしいものは何も見つからず。
周りの人たちも平然と普段通りの日常を続けていた。
この音が聞こえていないのか?
―…こっ…に……い…―
(くそ……なんなんだ……)
次第に音が近づいてくる。
逆に今まで聞こえていた周囲の騒音が遠ざかっていく。
不思議な感覚だ。
僕の聴覚がその音だけにクローズアップしているかのように、ノイズがかった音だけが鮮明に聞こえてくる。
―ピンポンパンポーン―
『間もなく、ホームに電車が到着します。白線の内側までお下がりください』
そこへ、普段通りの聞きなれたアナウンスが響いてきて、今の今まで聞こえていた音を掻き消してしまった。
アナウンスが終わると、もう音は聞こえてこない。
「あ、あれ?」
(一体、なんだったんだ?)
確かに僕は声を聞いた。
あれは幻聴なんかじゃない、と思う……たぶん……。
でも、考えてみれば可笑しい話だ。
僕以外の誰もあの音に気付いている様子がなかった。
それはつまり、僕の耳に異常があるということだ。
若いと人の聴覚はかなりの高周波の音も聞き取れるらしい。
ひょっとしたら今の音も、CDショップで聞いた音もその類なのかもしれない。
深く考えるのはよそう。
今日はこれから家に帰るというだけでも億劫なのに。
「はあ、やれやれだ」
きっと疲れてるんだ。
最近、ずっとアルバイトが続いてたし、養父が死んで家もごたごたしてたし。
その疲れがきっと出てきたけで―
―こっちに来いッ!―
「えッ!」
突然、直ぐ耳元で声がした。エコーがかった、男の声とも女の声とも判断のつかないもの。でも確かに直ぐ顔の真横で、誰かが囁くのを感じた。
慌てて声のした方角を振り向き、その人物を確かめる。
「って……あれ……?」
僕の真横に人影はない。でも、視線を少し下げると小学生ぐらいの小さな男の子が立っていた。母親と手を繋ぎ、電車を大人しく待っている。
(違う……よな……)
僕は確かに顔の真横から声を聞いた。隣の男の子ではあまりにも身長差がありすぎるし、声色も違うように思う。
と、男の子は僕の視線に気づいて、笑いながら小さく手を振ってくる。
僕の容姿を見ても平気らしい。
可愛い子だな。
願わくは、このまま純真に育ってくれることを祈りたい。
僕の一族の大人たちみたいに育ったら、その先に幸せはないだろうからね。
「はぁ……」
と、僕は無意識のうちに小さくため息をついた。
その時だ。
「「キャ――――――!!」」
耳に、普段は聞かない甲高い叫び声が飛び込んできた。
何だ?どうした?
「人がッ!人が線路に落ちたぞッ!」
どこからともなく男の人が叫ぶ声が聞こえてきて、慌てて線路の中を覗き込む。
すると、着物姿のおばあさんが線路の上に横たわっていた。
どうやら、ホームから足を滑らせて転落してしまったらしい。
しかも、頭を強く打ったのか意識がないようにも見える。
でも、誰一人として線路に飛び込んでおばあさんを助けようとする人はいなかった。
その場にいる誰もが、誰かがきっと助けるだろうと思ってみている。
中には、興味もなさそうに携帯の画面に視線を戻した人まで。
(誰も行かない、か……)
御婆さんがここで死んでも、野次馬達からすれば関係のない人の死。
何も感じないだろう。
ただ、電車のダイアが大幅に遅れることに不満を口にするぐらいだ。
誰も動こうとしない中、僕の耳に悪魔のサイレンが轟いてきた。
プゥ―――――!!
電車の甲高い警笛が聞こえ、眩いヘッドライトが駅のホームに差し込んできた。
だけど、おばあさんは線路の上で気絶したまま動かない。
でも、頼りの駅員もいなければおばあさんを助けようとしている人もいない。
(ちくしょう!)
気づいた時、僕は線路に飛び込んでいた。
なんで僕が、自分を犠牲にしてまで人を助けなくちゃいけないのか。
そんな不満を心の中に叫びながらの行動だった。
視界の中に高速で近づく鉄の塊が見えるのを無視しておばあさんに駆け寄る。
周囲からは訳の分からない悲鳴が飛び交うが気にしている場合じゃない。
ていうか、今更騒ぐぐらいなら、最初から助ければよかったじゃないか。
「しっかりして、おばあさんッ!」
小柄なおばあさんだ。非力な僕でも持ち上げられないこともない。
急いで抱き上げ、ホームの淵に駆け寄った。
すると、スーツ姿のサラリーマンたちが駆け寄ってきて、おばあさんをホームに持ち上げるのを手伝ってくれた。
でも、その時、あることに気づく。
「お前………」
聞きなれた声がした。
おばあさんを助けようと駆け寄ってきてくれたサラリーマンの一団、その端っこで、唯一何もしてないスーツ姿の男に僕は見覚えがあった。
あの、御爺ちゃんを殺した三男だ。
今朝、僕に遺産相続の権利を捨てるよう迫ってきたあの屑野郎だ。
ということは、おばあさんをホームに引き上げている人達は彼の同僚ということになる。同僚の人達は皆、正義感に溢れるいい顔立ちの人ばかり。
白髪が目立ち始める年齢だというのに、立派なものだ。
こんな人たちが叔父と一緒に仕事をしているなんて信じられなかった。
「さあ、君も急ぐんだッ!!」
おばあさんが無事ホームに引っ張りあげられると、次は君の番だ、と叔父の同僚が声をあげる。
そして、どこからか一本の腕が僕に向かって手を差し出された。
「何ぼやっとしてるッ!早く掴まれッ!」
その手の持ち主はあの叔父だった。
今まで散々、僕に暴力を振るい、《鬼子》と言って差別してきた男が、今朝も遺産相続の権利を捨てなければ酷い目にあわせてやると脅したあの叔父が、焦った顔をしながら怒鳴ってきた。
僕を助けようとしてくれているのか?
正直、驚きだった。
彼らからすれば僕なんていなくなったほうがいい筈なのに。
だけど、今は考えている時間はない。
「あ、ありがとう」
僕は叔父の手を握る。
すると叔父はありったけの力を込めて僕を引っ張り上げてくれた。
小柄な僕の体躯が線路から浮き上がり、ホームまで持ち上げられていく。
(あと、少し)
もう、あと少しでホームにまでたどり着ける。
そう思った時だった。
「悪いな」
急に、僕の手を掴んでいた叔父の手の感覚が無くなった。
「え………?」
叔父はあと少しというところで僕の手を放していた。
叔父は口元を邪悪に歪めて、微笑んでた。
しまった、と僕は強い後悔の念を抱いた。
なぜ最初から疑わなかったのだろうか。
なぜこんな男を信頼してしまったのだろうか。
目の前のこいつは遺産のためだけに実の父を殺すようなやつだ。
僕はおろかにも奴に、絶好のタイミングで助けを求めてしまったのだ。
奴がこの機を逃すはずがなかった。
―お前、邪魔なんだ。わるいが死んでくれ―
叔父の唇がそう紡ぐのを僕は、はっきりと見た。
ドンッ!!!
「「「キャァァァァァァァァァァァッ!!!!」」」
目の前がいきなり真っ暗になって、でも、最後に沢山の悲鳴を聞いた気がする。
僕は、死んでしまったんだ。
こんなにも呆気なく……。
ようやく勝ち組に手が届きそうだったのに、人を助けようとして死ぬことになるなんて思わなかったよ。
負け組は産まれた時から負け組。
その差を埋めるだけで人生が終わってしまう。
僕は短い期間でその差を埋めたけど、そこで寿命に追いつかれたらしい。
何のための人生だったのか。
やるせない気持ちが次から次へと溢れてくる。
でもその時だった。
僕の視界を優しげな白い光が覆い尽くしてきて、その向こうに遠い記憶の中だけの存在だった両親が顔を覗かせ、微笑んでいるように見えた。
そして二人は僕に向けて二つの手を差し出してくる。
御母さんと御父さんの手だと直ぐに分かった。
二人の手を取れば僕は天国に行ける。
僕の魂がこの世界から救われようとしているんだ。
(それも悪くないか……)
人としての人生は負け犬で終わった。
だけど、僕は最愛の両親の下に帰れる。
それも悪くない。
僕は二人に向かって手を伸ばしかけた、が―
―こっちへ来いッ!―
その声は僕の魂に直接、響き渡ってきた。
その直後、巨大な黒い手が僕の魂を鷲掴みにし、赤黒い闇の中へと引きずり込んだ。
翌日、老人を助けるべく線路に飛び込み、命を落とした高校生、河崎零の名前は国中に轟いた。その勇敢さを人々は称え、早すぎる死に涙した。
皮肉にも、彼の行動は落ちぶれはじめていた名門、河崎家に再び脚光を浴びせる切掛を作り、彼をないがしろにしていた者達に利益だけを与える結果となった。
その一方で、天に召されようとした河崎零の魂は突如として現れた空間の亀裂へと吸い込まれ、異次元の彼方へと飛んで行ってしまった。
しかし、それを知る者は誰もいない。
次回 黒い球