29話 レイヴァンシュタイン城夜戦 総反撃編
地上では20万の大軍勢が壮大な地響きと共に進軍を始めていた。
声を張り上げながら大地を駆け、城壁に殺到する。
だが、敵軍からの反撃が無い。
しかし、構うことなく連合軍は梯子を城壁に立て掛け、次々と昇っていくが、壁の上にもブラン帝国軍の姿はなかった。
兵士達は次から次へと昇ってくる味方の兵士に押される形で城内へとなだれ込み、その理由を考える暇は与えられなかった。
内側から城門が連合軍の兵士によって開かれると、外で控えていた軍勢も一斉に城内へとなだれ込み、連合軍は一切の抵抗を受けることなく城壁及び、二の丸を制圧できた。
後は金属製の門に守られた本丸を残すのみ。
直ぐに破城槌が城内に運び入れられ城門への攻撃を開始した。
まるで鐘を打つかのような音が木霊し、城内、城外へと響いていく。
◇◇
破城槌が奏でる城門への激突音は遠くバンロックの丘に布陣するブラン帝国本陣にまで届いてきた。
「本城の門が」
グロディアス大公爵はアーメットのバイザーから陥落寸前のレイヴァンシュタイン城を見つめていた。
城は一切の抵抗も見せず、城壁と二の丸を敵軍に制圧され、残すは本城のみ。
その一方で、連合軍の別動隊がバンロックの丘の目と鼻の先まで迫っていた。
このままでは戦いに負ける。
そんな不安が脳裏を過る中、真横に並ぶ主君と同格の貴族は楽しげに敵軍に埋め尽くされた眼下の光景を楽しんでいた。
「ハウゼン、見よ。敵軍のかがり火に照らし出された荒城もなかなかオツな物ではないか」
「はい、陛下。
ですが、私はこの眼下に群がる敵兵達が折り重なるように死にゆくさまの方が絵になるともいます」
「うむ、それはそれで見物だ。余は出陣してしまうためここからの景色は見ていられんがな」
などと言って笑いあう皇帝と大公爵。
グロディアスには狂人の会話としか思えなかった。
とその時だった。
―ウアァァァァァァッ!―
城の方角から悲鳴のような声が轟いてきて、ドカン、バコン、といった衝撃音が響いてくる。
そしてレイヴァンシュタイン城の城内から火の手が上がったのだ。
「始まったようです、陛下」
「そのようだな」
先ほどまでの流暢な会話が嘘のように静まり返った二人。
ガザリウス一世は長年、共に戦ってきた宝斧を肩に担ぐと兵士達を振り返った。
「全軍ッ!突撃用意ッ!」
いよいよ、始まるのだ。
◇◇
「城門への攻撃が始まったか」
レイヴァンシュタイン城の地下遺跡、その中央に置かれた機械装置の上にシーザーが乗っていた。
ちょうど円錐形の頂点を平たく潰したような空間の淵に金属の球体を置き、その脇には半球状の溝にしっかりとはまり込んだヴィシュバカルマンの姿。
そして、その赤いクリスタルから漏れ出る光は空気中に城外の様子を映しだしていた。
まるでプロジェクターみたいだ、とシーザーは思っていた。
映像には破城槌で本城の門を攻撃する連合軍兵士達の姿が映しだされている。
だが、分厚い金属で出来た城門はなかなか破壊される様子が無かった。
「ヴィシュバカルマン、東以外の全ての城門を閉じろ」
『御意』
シーザーがヴィシュバカルマンに命じると、映像は一度、二の丸の城門の映像へと切り替わった。
三つの門の様子が同時に映し出されており、金属の門が重厚な音と共に閉じられていく。
全くの無人であるにもかかわらず。
映像には突然に閉じられた門を再び開けようとしている兵士達の姿が映っているが、既に城はヴィシュバカルマンの制御下に入っているためびくともしない。
この地下の遺跡は地上の城と繋がっている。
ヴィシュバカルマンが嵌っている装置は彼の意志を地上の城に反映させるための端末のようなものであり、レイヴァンシュタイン城の真の支配者の座でもあった。
ここにヴィシュバカルマンがある限り、城は彼の身体と同じ。
仮に門を再び開きたければ物理的に破壊する以外、方法は無かった。
「ヴィシュヴァカルマン、防衛装置、稼働」
『御意』
そしてヴィシュヴァカルマンは城内に侵入してきた不埒者を断罪すべく、その力を解放する。
シーザーが見つめる映像の中で、城の至る所から機械仕掛けの兵器が生えてきた。
『ははは、城の兵器が稼働するのを見るのは本当に久しぶりだな。
ライカンヘルムの戦い以来だぜ』
シーザーと同じように映像に食い入っているレギオンは城が再び兵器として稼働することに高揚を覚えていた。
城の内部に閉じ込められた者達がいかに悲惨な末路を辿るのかを知っているからだ。
「ヴィシュバカルマン、攻撃開始」
Armedの支配者、ディクタトルの合図と共に、デス・マーチの旋律が奏でられた。
『全防衛兵器、攻撃開始ッ!!!』
◇◇
城門が独りでに閉まり、閉じ込められてしまった兵士達の間に動揺が広がり始めていた。
内側から門を開けたときは呆気なく動いた門が、今は同じようにしてもびくともしない。
それに、先ほどから足元に小さな地響きのようなものが永遠と響いてきている。
自分達の足元で何かが目をさまし、今まさに動き出そうとしているかのようだった。
そして事態は唐突に動き出す。
レイヴァンシュタイン城の城壁は外壁塔と呼ばれる、内側に向けてだけ開かれた塔が一定間隔で置かれ、その間を城壁で繋ぐという一般的な造りをしていた。
その塔の上には兵士達が詰めて攻め寄せてくる敵軍に弓を射かけたり、広いスペースを活かして防衛用の兵器を設置したりする。
レイヴァンシュタイン城の場合は、そこに兵器は設置されておらず、今は敵軍の兵士達が犇めいていた。
が、等々に塔の床が開き、連合軍の兵士達が次々と穴に呑まれていった。
悲鳴がぽっかりと開かれた穴の奥から轟いてくるが、直ぐに聞こえなくなる。
兵士達は敵のトラップかと穴の周りか少しだけ距離を置くが、直ぐにその穴を塞ぐように巨大な弩が上昇する床に乗って姿を現した。
だが、本来なら数人を持って稼働させる兵器の周りに人影は無い。
そして同じようなことは他の全ての塔でも起こっている。
城壁のすぐ脇にたたずむ兵士達は、壁から突如として伸びてきた金属製の筒を見て首をかしげていた。
組み合わされた石と石の間からそれこそチョコンと顔を覗かせているだけの金属製の筒。
だが普通、石の間から筒が生えてくるだろうか。
考えあぐねていると、今度は本丸にも変化が見え始めた。
レヴァンシュタイン城の本城は一種の塔にも似た形をしており、城を防衛するにあたって要となるベルクフリートと呼ばれる高い塔のように背が高かった。
その側部が突然に開かれ、幾つもの弩が顔を覗かせて来たのだ。
本来ならば射手が握るための柄の部分は無く、歯車で組み合わされた仕掛けがトリガー部分と繋がっていた。
こういった兵器が次々と城から生えてくるという怪事件が城内の至る所でおきていた。
しかも、兵器の傍に敵兵の影は無く、一体、誰がこれらの兵器を操作するのだろうか、と思わず連合軍兵士達が首を傾げる。
だが、興味津々に兵器を鑑賞していた兵士達の目の前で、今までピクリともしていなかた兵器がいきなり動き出したのだ。
自動的にボルトが装填され、台座が回転し、連合軍兵士を狙ってきた。
次の瞬間、え?と呆気にとられていた兵士の胴を巨大なボルトが貫き、その背後にいた数名を串刺しにして吹き飛ばした。
本城から生えていた弩が眼下に犇めく連合軍兵士達にむかって矢を雨のように射かけ始めた。
壁から顔を覗かせていた金属の筒からは突然に炎が噴きだし、ひしめき合っていた兵士達は逃げることもままならず次々と炎に包まれ、断末魔の声をあげる。
城内の兵器が勝手に兵士達を攻撃しだしたのだ。
その時の轟音と兵士達の悲鳴を合図に、本城の門が開かれた。
同時に、巨大な四つ脚の機械仕掛けの騎士が飛び出し、連合軍の兵士達を文字通り蹴散らしながら一目散に城外へと向かって駆けだす。
「ははは、我が子ながら威勢がいいッ!」
その姿を背後から見ていたナイトフォース伯爵は、馬上で大きな笑い声をあげながら剣を構える。
『我が主からの命を果たすのみ』
ナイトフォース伯爵に馬首を並べてきたのは真黒な甲冑に身を包む騎士。
頭部は騎士の兜としては珍しく、頭頂にスパイク、銀の装飾が施されたヘルメットを被り、顔は無骨な金属の仮面に覆われていた。
だが、目の部分に空けられた二つの穴からは赤々とした光が漏れ出している。
「では、参りましょう、ブリアオレス殿。互いの主君のために」
『心得た』
ナイトフォース伯爵は背後を振り返り、完全武装のブラン騎士達に向かって声を上げる。
「誇り高きブランの騎士よッ!突撃ッ!」
―おおおおおおおッ!!―
白馬にまたがる純白の騎士と、黒馬にまたがる漆黒の騎士を先頭に、3000騎の騎士が一斉に城外へと打って出た。
本城を出ると、静かだった城内とは打って変わって断末魔の叫び声に溢れていた。
ヴィシュヴァカルマンが起動させた防衛兵器の攻撃にさらされ、連合軍兵士達が次々と悲鳴を上げながら倒れていくのだ。
ブラン騎士達は混迷極める連合軍を蹴散らし、渾身の一刀、一突きを繰り出しながら敵軍を食い破った。
「目指すは敵軍本陣のみッ!他は捨て置けッ!!」
―おおおおおおおおおッ!―
巨大な軍馬が踏破したかのように東門から敵司令部にむかって一本の道が出来ていた。
踏みつぶされたと思われる兵士達の潰れた死体がナイトフォースの子のルートを教えてくれる。
3000騎の騎士がその道を疾走した。
◇◇
「ほう、動いたか」
マクベスは相も変わらず望遠鏡を片手にレイヴァンシュタイン城を遠くから眺めていた。
東門から四足の機械騎士が飛び出し、その後ろにはブラン帝国の騎士達が続いている。
方角からして狙うはヘクトリア王国軍の本陣。
「マクベス様、いかがいたしますか?」
背後に控える騎士達が伺いを立てるが、マクベスは頬を吊り上げるような笑みを浮かべたまま望遠鏡から目を離さない。
「まだよい。
ここから愚鈍な人間と雑多な半神族の戦いを見ていようではないか」
「では、ウィンドヘルム猊下のご指示はどういたしますか?」
人間と協調して行動するよう命令を受けていた。
だが、この状況を見過ごせば命令に背くことになる。
「猊下にはこう伝える。
人間族は我らを信用しようとせず、勝手に攻撃を始めたうえに敵の術中に嵌った、とな」
「では、我らは巨神機兵が現れるまでここで」
聖典騎士団の一番の目的は巨神機兵、レギオンを撃破すること。
そのための人間族との協調だが、レギオンを撃破できるなら人間族と協調する必要はない。
マクベスはそう考えていた。
「巨神機兵を倒すのに人間族の力など必要ない。
むしろ、目障りだ。
我々はレギオンの出現が確認されるまでここで待機する」
「御意」
マクベスはまだ待つことを選択した。
人間族が無様に死にゆく姿を望遠鏡で覗き見ながら。
◇◇
バンロックの丘からは、レイヴァンシュタイン城の様子が良く見えた。
無数の兵器が動きだし、城内外の敵軍を攻撃している。
敵軍は既に大混乱に陥っており、城内の敵軍が全滅するまでそう時間はかからないだろう。
そして本城からは四脚の機械仕掛けの騎士が飛び出し、敵軍の真っただ中を疾走している。
それからわずかに遅れて城内に残っていたブラン帝国の騎士達が出撃し、機械仕掛けの騎士が走り去った後を駆け抜けて敵陣を食い破っていく。
「全て上手くいったようですね、陛下」
「そのようだ、ハウゼン。こちらも行くとしよう」
ちょうど連合軍がバンロックの丘を登り始めているところだった。
ガザリウス一世は黒光りする斧を高らかと掲げ、詠唱を開始する。
―古の黒き鎧を纏う騎士―
―その鋼の身に宿るは怨嗟の声―
―歴史の悲劇を糧にして―
―闇に蠢く悪夢とならん―
「《騎士変身》、《黒き装甲の巨人騎士(リーゼ・カヴァリエ・シュヴァルツ・パンツァー)》」
詠唱を唱え終えると同時に斧から漆黒の闇が溢れだし、ガザリウス一世を包み込む。
闇は膨張し、その内側に孕むものを異質なものへと変えていく。
『うおぉぉぉぉぉぉッ!!!』
そして大きな雄叫びと共に、それが闇を引き裂いて現れた。
黒き装甲を纏った巨大な騎士。
装甲と歯車だけで組み上げられた、涙無き殺人兵器。
その禍々しき外殻には騎士が殺してきた人々の怨嗟が宿っている。
黒き装甲の巨人騎士と化したガザリウス一世は、彼と共に大きくなったグランド・アクスを高らかに掲げ、背後に侍る騎士達に叫んだ。
『誇り高きブランの騎士達よッ!今日という日を忘れるなッ!4000年という雌伏の時から解き放たれ、レイヴァンの大地が半神族の手に還る日であるッ!』
―おおおおおおおおおおおッ!!―
『死を恐れるなッ!その先にこそ真の栄光が待っているのだッ!』
―おおおおおおおおおおおッ!!―
『そしてライカンドルフの野を、赤き血で、夜明けの前に朱に染めよッ!!突撃ッ!!!』
―うおおおおおおおおおおおッ!!―
巨大な黒き騎士へと変化したガザリウス一世を先頭に、9000騎のブラン帝国騎兵が雪崩を打って丘を駆け下りる。
『狙うは敵本陣ッ!進めッ!!』
◇◇
「終わったな」
ナサフ公爵はヘクトリア王国の本陣から遠く離れた場所から戦場を眺め、呆れた様にため息をついた。
ガザリウス一世は騎士変化の変身魔術によって《黒き装甲の巨人騎士(リーゼ・カヴァリエ・シュヴァルツ・パンツァー)》となった。
それは彼の宝斧である《グランド・アクス》の力であると同時に、斧に認められた者のみが手にすることのできる強大な力だった。
ああなったガザリウスを討ち取るのは容易ではない。
20万という圧倒的な数の差に物を言わせて攻め寄せればそれも可能だったものを連合軍は完全に機を逃し、逆に敵の作戦にまんまと嵌ってしまった。
また、城内からは同じ騎士変化の変身魔術の使い手が、純白の四足騎士として出撃し、ヘクトリア軍の陣を次々と突破している。
ヘクトリア軍は前後から強大な力の挟撃にあい、大した抵抗も出来ず敗北するだろう。
「所詮は無能者達に率いられた連合軍。奴らにブラン帝国打倒は荷が重すぎたようだ」
「閣下、いかが致しますか?」
脇に控える副官とおもぼしき騎士が尋ねる。
「全軍に撤退命令を出せ」
「よろしいのですか。第一王子様のご指示も無く」
「良い。あのバカ息子はどのみちここで死ぬ。
あの無能者のために優れた指揮官や騎士達は失えん。
それに、この戦に徴用された民や農奴たちの命もな」
「わかりました、閣下。ご指示通りに」
騎士は周辺の部隊に撤退命令を伝えるため、馬に跨り駆けた。
(これで私の命運も尽きたか)
ナサフはヘクトリア国王から第一王子の補佐役として派遣されてきた。
臣下が王子を見捨てて撤退したと王の耳に入ればナサフは間違いなく処刑される。
だが、彼の心は清々しい思いでいっぱいだった。
失ってばかりの人生だったが最後の最後で人を活かす決断ができた。
ただ、唯一、心残り上がるならば
「我が国はこれから生き残れるであろうか。
この戦いを機にレイヴァンの地は大きく動く」
この戦いを契機にレイヴァン地方統一の動きは加速するだろう。
ブラン帝国がレイヴァン地方を飲み込んだ後は、その隣に位置するヘクトリア王国。
今の王ではガザリウス一世には勝てない。
(ともあれ、今日、王国が滅びるわけではない)
ここで兵を多く生きて連れ帰ることができれば王国は延命できる。
あとはその間に優れた指導者が現れてくれるのを待つしかないだろう。
「よし、全軍、撤退するぞッ!」
ナサフは周辺の軍に順次、レイヴァンシュタインからの撤退を命令。
彼のこの機転によってヘクトリア王国軍は全滅の運命を免れた。
そしてこの決断が後に彼の運命を大きく変えることになる。
しかし、それはまだ少し先の話。
◇◇
ブラン帝国軍の反撃が始まるとヘクトリア王国軍は瞬く間に敗走を始めた。
もともと指揮の低下が著しかったヘクトリア軍はレイヴァンシュタイン城の謎の兵器と、機械仕掛けの騎士、そして精強な帝国騎士団の挟撃のトリプルパンチによって戦意を喪失。
われ先にと逃げ始め、軍は崩壊した。
だが、機械騎士となったガザリウス一世と、彼の率いる9000の騎兵部隊は敵軍の逃亡を許さず、ヘクトリア軍の本陣を目指しながら退却する兵士達を次々と討ち取っていた。
特にガザリウス一世の戦いぶりは鬼神の如く。
蟻を踏み潰すような容易さでヘクトリア兵をばっさばっさと切り殺し、怒涛の勢いでヘクトリア軍の本陣を目指す。
同じころ、機械仕掛けの四脚騎士もヘクトリア軍を蹴散らしながらその本陣を目指していた。
またその背後を精鋭3000の騎士とブラン人の騎士に変装したブリアオレスが続いている。
だがその事をヘクトリア軍総司令官、サファイアヌス第一王子は知らなかった。
「な、何が起こっているッ!一体、どうしたというのだッ!」
サファイアヌス第一王子は状況を把握できず、困惑の表情を浮かべていた。
先ほどからテントの外が異常なまでに騒がしい。
兵士達が悲鳴を上げながら駆け回っている。
様子を見に行かせた家臣もなぜか戻ってこない。
それからも多くの家臣が様子を見に行くとテントの外に行き、誰一人として戻ってこなかった。
そして気づけば司令部のテントの中にはサファイアヌス王子ただ一人。
「誰ぞッ!誰ぞおらぬかッ!」
普段ならテントの入り口に衛兵が立ち、王子の呼びかけとあらば直ぐに飛んでくる。
だが、今はサファイアヌス王子がいくら声を張り上げても誰もやってこない。
テントの外には間違いなく自軍の兵士がいる筈なのに、テントの傍を走り抜ける兵士達にも自分の声は届いている筈なのに、誰もやってきてはくれない。
「なんだ……何が起こっている……」
レイヴァンシュタイン城に攻撃を仕掛けた当初は、城攻めは順調だと報告を受けていた。
だが、城の方角が何やら騒がしくなると前線からの報せが途絶えた。
それからさらに時が経つと本陣の周りが慌ただしくなり、兵士達が明らかに動揺しだしていた。
何が起こっているのか見て参ります、と重臣の一人が司令部のテントを出て、それから帰ってこなかった。
不審に思ったように他の家臣たちもテントの外の様子を身に行ったが、結局、誰も帰ってこなかった。
そして今、テントの中にはサファイアヌス第一王子がただ一人、取り残されている。
「ナサフッ!ナサフはどこぞッ!ナサフはどこにおるッ!」
思い出したように臣下の名前を口にするがやはり返事は無い。
「誰ぞッ!誰でもよいッ!誰かッ!」
だがやはり誰も王子の声に応じなかった。
サファイアヌス王子はそこでようやく、自分も外のテントに出ようと決めた。
もっと前にそうしていればいいものを、彼は外のただならぬ様子に恐怖を抱き、外に出る勇気をもてなかったのだ。
だが、そこで誰かがテントに近づいてきたことに気づく。
歩く度に甲冑が擦れる音がすることから騎士であることは間違いない。
ここがヘクトリア王国軍の本陣であることを鑑みれば、その騎士は自分の臣下であると王子は確信した。
そしてテントの布一枚を挟んだ向こう側に騎士の影が見えた。
「一体、外で何が起こってるッ!余の臣下達はどこだッ!」
サファイアヌス王子はテントの外に立つ騎士に向かって大声で尋ねたが、騎士は応えなかった。
だが、その代わりに騎士が司令部のテントへと足を踏み入れ、その姿を見た王子は思わず絶叫した。
「お、お前はッ………!!」
真黒な甲冑に身を包む、不気味な雰囲気の騎士。
顔は仮面に隠れてわからないが、覗き穴からは赤い光が漏れ、頭部はスパイクの付いたヘルメットで覆っている。
その全身は返り血を浴びて赤く染まっており、手には血の滴る真黒な剣が握りしめられていた。
『貴様がサファイアヌス王子だな。我が主君の命により捕縛する』
騎士から轟いてきた声はおおよそ人のそれは遥かにかけ離れていた。
間違いなく人ではない。
そして目の前の騎士は敵。
サファイアヌス王子は目に涙を浮かべ、騎士の放つ威圧感におされて尻もちをついてしまう。
「お、お前は……お前は一体、何者だッ!」
苦し紛れの叫び声をサファイアヌスが挙げるが、騎士は無言で近づいてくる。
もはや何も語ることは無い、と言わんばかりに。
「ひ、ひぃぃぃッ!!」
王子は恐怖に耐えかねて騎士に背を向け、テントと地面の間から外へと逃げようとする。
だが、大きな音と共にテントそのものが突如として宙を舞い、王子を外の世界と隔絶していた布の壁が消失する。
そして彼の目の前に聳えていたのは純白の甲冑に身を包んだ、巨大な四足の騎士だった。
ナサフが言っていた機械仕掛けの騎士とは目の前の騎士のことだと瞬時に理解する。
騎士の手にはつい先ほどまで王子の頭上を覆っていたテントだったものが握りしめられていた。
『戦の勝敗は決しました。降伏してください』
その巨大な騎士からは子供の声が聞こえてきた。
だが、相手が子供であろうと何であろうと圧倒的な武力をもつ敵であることに変わりはない。
王子は慌てて周囲を見渡し、自軍の兵士を探す。
誰か自分をここから救い出してくれる勇者を探すが、ヘクトリア軍の兵士の姿はなかった。
「残念ですが、既に本陣は制圧しました」
と、王子に声をかけてきたのは純白の甲冑に身を包んだ騎士だった。
「貴方を守っていた兵士達は死体として地面に転がっているか、貴方のことなど忘れてさっさと逃げたかのどちらかです」
だいたいは後者であったが、一部、逃げ遅れた兵士はブリアオレスの手にかかり、殺されてしまった。
だがそこに、王子をさらなる絶望が襲いかかる。
巨大な黒い騎士が空から降ってきて、彼の目の前に着地してきたのだ。
大きな衝撃に王子の体は簡単に吹き飛ばされ、小太り気味の肉体が地面を転がっていく。
「うぅ……あぁ……」
体を強打したサファイアヌスは、全身がバラバラになったかのような痛みに苛まれ、動けなかった。
『貴様がヘクトリア軍の司令官か』
情けない王子をあざ笑うかのような声が、巨大な黒き騎士から聞こえてくる。
『脆弱にして惰弱。貴様のような男に率いられた兵士達はさぞ、哀れだろうな』
黒い騎士は愉悦にでも浸る様に楽しげな口調で王子を言葉で嬲った。
そして、恐怖に震えているサファイアヌス王子を巨大な金属の手で鷲掴みにすると、それを空高く掲げる。
『皆の者ッ!勝ったぞッ!ブランの勝利だッ!』
黒き巨大な騎士こと、ガザリウス一世は捕虜としたサファイアヌス王子を掲げ、勝利を宣言する。
本陣の周囲はブラン帝国軍の騎士によって完全に制圧されており、大地はヘクトリア兵の死体と彼らが流した血によって赤く染まっていた。
その光景は、騎士の巨大な手に掴まれ、掲げられたサファイアヌス王子には良く見えた。
また遠巻きには、逃げまどうヘクトリア軍をブラン帝国の騎士達が追撃し、戦意を失っている者達を虐殺する様も。
戦いに負けた。
それを改めて認識したサファイアヌス王子は諦めた様に目を瞑り、涙を溢れさせる。
『全軍、勝鬨を挙げよッ!』
―うおおおおおおおおおおッ!―
―ブラン帝国万歳ッ!―
―皇帝陛下万歳ッ!―
―勝利万歳ッ!―
◇◇
ヘクトリア王国軍は呆気なく敗れた。
だが、南と西にはまだ敵軍がいる。
ハルメル王国軍とガリウス帝国軍。
両軍とも既に撤退の準備を始めていた。
ヘクトリア王国軍に全ての敵を押し付けて。
だが、彼らはヘクトリア軍が既に敗北したとは知らなかった。
かの軍がそこまで脆弱だとは夢にも思わなかっただろう。
おまけに北側のヘクトリア軍は既にナサフが率いて撤退している。
まさか戦場に自分たちだけが取り残された形にあるとは予想もしていなかった。
そして彼らに死をもたらす魔神がレイヴァンシュタインから産まれ出ようとしていた。
―ギャアアアアアアアアアアアアアア!―
レイヴァンシュタイン中に響き渡った奇声。
それと共に、レイヴァンシュタイン城の門が開かれた。
そこから現れたのは巨大な異形の騎士。
三面六臂の機械仕掛けの騎士だった。
(レギオン、行くよ)
『おお、やってやるぜッ!』
三面六臂の騎士、巨神機兵のレギオンと、それと一体化したシーザー。
圧倒的な武威を誇る殺人兵器が城門から打って出る。
「現れたか、アンティークめ」
そこに聖典の刺客が待ち受けているとも知らずに。