2話 歪んだ夢
祖父が死んだあの日を境に僕はある夢を見るようになる。
赤黒い巨大な渦。
僕はその中を落ちていく。
そこは異世界へと通じる入り口だと僕はなぜか知っていた。
渦の奥へ奥へと進むにつれて、剣戟の音が聞こえるようになる。
その異世界は戦いに溢れていた。
泣き叫ぶ声、断末魔の叫び、怨嗟の声。
無数の命が消えていく。
人々はそれでも殺し合いを止めようとはしない。
だが、気づくとその光景は消え、目の前を真赤な炎が覆い尽くしてくる。
そこは戦場だった。
戦場を遥かな高みから見下ろしていた。
下からは沢山の悲鳴が聞こえてくる。
街が燃えているんだ。
月下の大地は、文明を焼く炎の明かりで煌々とした輝きを放っている。
僕はそれを遥か高みから見下ろすことのできる、巨大な何かになっていた。
両手に握りしめているのは重厚な剣。
と、その時、僕は剣を持ち上げていた。
巨大な僕が持ってしても大きく見える大剣。
僕はその柄を両手でもち、切っ先を地面に突き刺した。
次の瞬間、剣が突き刺さった場所を中心に巨大な爆発が巻き起こる。
街が、まるで紙細工のように次々と吹き飛ばされ、地上にあった全ての物が宙へと舞い上がった。
多くの命が一瞬で消えていく。
そして多くの命が僕の中へと入ってきた。
余りの量に、自分の身体がぶくぶくと膨れ上がっていくのを感じた。
でも、僕は止まらない。
行く先々で破壊と殺戮を繰り返し、命を食らっていく。
『虚無の先に在る《者》は?』
―その者は、醜き魂の群体―
―地獄の窯の底に住み、あらゆるものを貪り食い―
―どこまでも増殖する―
―しかし、その者の飢えはこの世の全てをもってしても満たすことはできない―
―故に、その行動に意味はなく―
―故に、その行動に価値もなく―
―ただ虚しく、全てを食らい尽くすのみ―
―故に男は尋ねた。お前は何か―
―男の問いにその者は答えた―
―我が名は《レギオン》―
―我は群体。我は個。大勢にして一、一にして大勢なる者―
―我々は大勢であるがゆえに、一であることを命じられた者なり―
僕は高らかと持ち上げた剣を大地に突き刺した。
それは纏わりつくハエを叩き落とすような、雑な感覚だった。
次の瞬間、巨大な爆炎が空高く間で舞い上がり、周囲の街を焦土へと変えてしまう。
大勢の命がまた消えた。
そして大勢の命が僕の《糧》となる。
「あッ……!」
僕こと《河崎零》はいつもそこで目を覚ます。
ベッドから飛び起き、いつの間にか荒くなっていた息を整える。
「また……あの……夢……」
祖父が殺された日を境に、僕は時々、あの夢を見る。
悪夢、とは思わない。
でも、不思議な夢であることに変わりない。
目を覚ますと、全身には夥しい汗、呼吸は荒く、少し頭痛もする。
いや、頭痛は夢のせいじゃないな。
目を覚ます度に思い出させられる、嫌な現実のせいだろう。
遺産争いに決着が着いたあの日から、僕は河崎一族の本家で暮らしていた。
新たに頭首となった祖父の次男の養子となり既に10年。
僕は高校生になっていた。
でも、ここまで来た道のりは決して生ぬるいものじゃなかった。
同居人である義父の子供たちには苛められ
養父や養母には、お前は産まれ来てはいけない存在だったとまで言われ、暴力を振るわれてきた。
―バカな奴らだ―
子供を虐待するような一族が名家を名乗るとは呆れて言葉も出ない。
所詮、没落していく一族などこんなものだろう。
こんな家、必ず出て行ってやる。
高校を卒業したら上京して大学に行くんだ。
義父母の力を借りなくても大学へ行く方法なんていくらでもある。
そして大学を出たら自分の夢に向かって歩いていく。
僕は《政治家》になるんだ。
◇◇
僕が政治家を志す切っ掛けになったのは7歳の時。
義父の傍らでテレビを見ていると、とある《独裁者》の特集が放送された。
テレビの中の独裁者は雄弁な演説によって民衆を洗脳し、国家を自らの狂気で染め、世界を戦争へと巻き込んでいった。
最終的に独裁者は敗れたものの、彼が築いた屍の山と、目を覆いたくなるような惨劇の数々は未来永劫、人々の脳裏に焼き付けられた。
彼は死してもなお、人々の心に暗い闇を残したのだ。
僕はその姿になぜか魅了された。
子供ながらに彼のような大人になりたいと思った。
僕も屍の山を築いて、多くの人々に苦痛を与えたい、と。
今思えば、あの頃の僕はどうかしていた。
辛いことがあまりにも多すぎて、真面ではいられなかったんだろう。
暴力と偏見の中に幼少の時から打ち込まれれば誰だって精神に異常ぐらいきたす。
―ねぇ、独裁者にはどうすればなれるの?―
僕は本気で独裁者になりたいと思い、義父にどうすればなれるのかを聞いた。
子供じみた質問に義父はツボに入ったようで、大声で笑ったのを覚えてる。
独裁者になりたい、と子供が言ったのだから、何をバカな、と思ったのだろう。
義父もその例に漏れず、影響されやすい子供が戦隊もののヒーローに憧れるのと同じ程度にしか考えていなかった。
そんな幼稚な質問に義父はこう言った。
―そうだな。一杯、勉強して、偉くなったらなれるかもな―
義父の回答はなんともありふれた、捻りのないものだった。
でも僕は義父の言葉を真に受けて、勉強して偉くなれば独裁者になれると信じた。
人々を狂気に誘い、戦争へと巻き込んだ邪悪な独裁者の姿に自分を重ねながら、僕はひたすらに勉強した。
酷い虐待を繰り返す義父母でも学校に行かせなければ児童相談所がやってくる。
僕を遊びに誘う友達は学校にいない。
毎日、図書館に籠って本を読み漁った。
学校の帰り道、書店に寄り道して知識を貪るように吸収した。
時々もらえる僅かなお金を使って分厚い参考書を買った。
そしてとにかく勉強して、勉強して、勉強し続けた。
そして10歳になった頃、義父母は僕の知能の発達が同年代の子供達と比べて異常なまでに早いことに気が付いた。
僕は俗に言う《天才児》というやつだったらしい。
ただ、これは義理の両親からしてみれば面白くないことだった。
義父母を始め河崎の一族は優秀だった僕の父と母にコンプレックスを持っていた。
だから自分達の子供には徹底的な英才教育をして、家名に恥じない優秀な子供にしようと頑張っていた。
だけどそこに、コンプレックスの対象であった僕の両親の、近親相姦の果てに産まれた《鬼子》が現れて、異常な知性を持ち、自分たちの子供よりも遥かに優秀な頭脳を持っていることがわかった。
大人たちからしてみれば屈辱以外の何物でもなかっただろう。
そして僕が禁忌の果てに産まれた子供であることは巷でも有名だった。
真白な髪と、真赤な目のおかげで。
その僕が異常な知性を持っている。
それがただの噂ではなく、学校での行いを見ていれば誰でもわかることだった。
夏休みの自由研究に、アインシュタインの相対性理論の証明をやってくる小学生がどこにいる?
だが、人というのは嫉妬深い生き物だ。
僕の生い立ちに託けて、僕が努力の果てに手に入れた知性を蔑んだ。
血が濃いから、どこかが異常にとびぬけている。
僕の知性はそれなんだと。
しかしそれは褒め称えられるものではなくて、遺伝的な欠陥の対価でしかないのだそうだ。
悪い噂に歯止めがかからなくなり、家名はどんどんと傷ついていく。
義父母のうろたえようは半端ではなかった。
僕のことが原因で自分達の子供まで学校でいじめられるようになったみたいだ。
正直言って、いい気味だった。
義父母の出来損ないのガキどもが成績で底辺を這いつくばっている時に、僕は地元でも最難関と言われた高校の入試で満点を取って合格していた。
優秀だった僕の両親にコンプレックスを抱いていた義父母が、その子供に見下され、自分達の子供の遥か上をいかれた。
その屈辱がどれほどのものだったのか想像すらつかない。
その時、義父母が見せた悔しげな顔は今でも忘れられない。
人を見下すことが、こんなにも愉快で心地いいものだったのか、と感動すら覚えた。
でも、増長はしない。
見下すのは自分の一族の奴らだけにすると決めていた。
僕は禁忌の果てに産まれた《鬼子》かもしれないが、僕の遺伝子は優秀だった父母の掛け合わせだ。
才能の搾りかすでしかない義父母やそのガキどものような《劣等種》とは違う。
「それにしても……」
僕は汗ばんだ額を拭いながら、夢のことを思い出す。
あの夢は異様にリアルだった。
上手く説明できないけど、あれにはしっかりとした感触があった。
剣を握りしめる感触。
地面に突き刺し、全てを無に帰する感触。
命を食らう感触……。
生肉を貪るような、生々しい感覚だった。
人肉なんて食べたことは無いけれど、食べればきっとあんな味がるすんだろうな。
「って……なに言ってんだか……」
高校生にもなって夢と現実の区別も出来ないなんて情けない話じゃないか。
僕は夢の世界に逃げ込むような弱い人間じゃない。
もう、独裁者になりたい、などという下らない夢も抱いていない。
僕は現実と向き合って生きてきた。
その果てに今は勝ち組の側にいる。
でも、まだ完璧じゃない。
義父母の下にいる限り、常にリスクは伴う。
高校を出たらこの家を離れるんだ。
そうして初めて僕は完璧な勝利者になる。
その日まで、今しばらく耐えるんだ。
◇◇
突然だけど、僕は音楽が好きだ。
一番好きな楽器はピアノだ。
なぜかというと、母さんが僕に弾いて聞かせてくれた楽器だから。
今でも耳に微かにだけど残ってる。
母さんの優しい音色。
それを探すかのように、僕はよく学校帰りにCDショップに寄る。
今はネットで色々と聞ける時代だけど、生憎、パソコンなんて高価な物、買ってもらえるわけもないのでね。
僕は沢山の音色を聴いて、耳に残っている母さんの旋律を探した。
だけど、なかなか同じものは見つからない。
だけど、気に入ったものは買って帰る。
お金はアルバイトをして稼いだ。
世の中には物好きな人もいて、僕の容姿を見ても雇ってくれた。
成功したら、絶対に恩返ししよう。
こんな感じで、僕は高校が終わると、CDショップに寄って、その足でバイト先に向かう。
◇ ◇
「さて、今日は何を聞こうかな~」
僕が一日の中で一番、幸せなひと時。
それはお気に入りの音楽を聴いて、まったりと過ごすことだ。
アルバイト代で買ったCDプレイヤーとヘッドフォン、そして気に入った音楽で心の疲れをいやす。
この家で生きていくのであれば誰もが自然とそうなるだろう。
夜になれば、河崎家のお家芸が始まるからだ。
ぱりんッ!
部屋の外から何かが割れる音が聞こえてきた。
始まったな、と僕は気にも留めない。
その直後から、男性と女性が激しく言い争う声が聞こえてきた。
養父と養母が醜い言い争いを繰り広げているんだ。
この家は本当に揉め事が多い。
気に入らないことがあればすぐ喧嘩をする。
まるで子供みたいだ。
僕はヘッドフォンを耳にかぶせ、下らない喧騒が聞こえなくなるまで音量を上げる。
あとはただ、流れてくる音色に心を委ねるだけ。
ピアノの旋律は僕にとっての子守歌だった。
次第に意識が……遠のいて……。
その夜、僕はまたあの夢を見た。
燃え盛る街の中央に立つ、巨大な影。
僕はそれになって、街を破壊しつくす。
失われる無数の命。
大量の糧を得て膨れ上がる僕の身体。
でも、そこで夢は終わらなかった。
気が付くと僕は真白な世界にいた。
どこまでも続く、ただ白いだけの世界。
その世界を眺めていると足元に湿った感触を覚えて下を見た。
「あ………」
すると、僕の足元は真赤な血に覆われていて、僕の顔がそこに映っていた。
耳に、むしゃむしゃ、と何かを貪るような音が聞こえてくる。
ふと振り返って見ると、そこには折り重なって死んでいる裸の死体の山がそびえていた。
その麓に座り込み、裸の誰かが何かを食べている。
「誰だ……」
思わず裸の背中に声をかけた。
すると、何かを食べる音が止み、目の前の誰かが動きを止める。
そして、彼が僕を振り向いた。
彼は、僕だった。
裸の僕は、腕に抱いた女性の死体をむしゃむしゃと食べていた。
その目は狂気に満ちていて、唇は歪な笑みを浮かべている。
口の周りには真赤な血と肉片をくっつけて。
むしゃむしゃ、ぐちゃぐちゃ
また、何かを食べる音が聞こえてきた。
裸の僕が死体を食べている音だろうか?
いや、違った。
それは僕が、死体を食べている音だった。
僕は気が付くと、死体を食べていた。
でも、目の前にはまだまだ沢山の死体が転がっている。
僕は今から、これを全て食べるんだ。
僕の《糧》とするために。
美味しそうだ……。
「はッ……!」
目を覚ますと、耳にピアノの滑らかな旋律が聞こえてきた。
僕は音楽を聞いたまま眠ってしまっていたらしい。
ヘッドフォンを外すと、もう養父と養母の言い争う声は聞こえない。
時刻は既に深夜。流石に寝たんだろう。
「にしても……」
最近、夢を見る間隔が狭くなってる、気がする。
それになんだろう……夢が近づいてくる。
おかしな感覚だけど、そうとしか言葉でしか言い表せない。
「疲れてる……のかな……」
でも、最近は養父や養母に虐待されることも、同居する従弟たちに苛められることも少なくなってきてる。
僕の体格がしっかりしてきて、反撃されるかもしれないと恐れるようになったからだ。
バカな奴らだ。
誰がお前たちのような屑に手を出して、自分の人生を汚さなくちゃいけない。
いずれ滅ぶ家にどうして僕が自分で手を下さないといけない?
そう、いずれ誰かが、または何かが、手を下してくれる。
そう思っていたある日、一族の頭首、僕の義父が事故で急死した。
次回 裏切り