23話 皇帝ガザリウス
突然だが、ガザリウス一世という男の話をしよう。
彼は今年で511歳にもなる高齢な男性だ。
半神族がよく生きて500年と言われるなか彼はその限界を超えて生きていた。
彼はブラン公国の領主家に生を受けた。
レイヴァン地方に数ある領邦の一つであるブラン公国のだ。
彼は長男であり、両親から惜しみなく愛情を注がれて育った。
欲しい物は全て与えられ、我がまま放題に育てられた。
その結果、彼は誰も手の付けられないような傍若無人な少年に育った。
領主の子としてあるまじき派手な服装に身を包み、素性を隠しては街に繰り出して酒と喧嘩におぼれた。
喧嘩の果てに真剣勝負となり、相手を叩き切ったこともあった。
手の付けられない放蕩息子。
誰もが彼を白い眼で見ていた。
そんな彼の才能が発揮されたのは隣国との戦争が勃発した時だった。
ガザリウスは巨大な斧を片手に自ら騎士団を率いて戦った。
その戦ぶりはまさしく鬼神。
ガザリウスは敵軍の名だたる猛者を次から次へと切り伏せ、自国を勝利へと導いた。
彼は戦争の天才だった。
戦いの中で彼は自分に才能があることに気づき、それに磨きをかけた。
彼は数年でウォーリアーのクラスでキングの称号を獲得。
剣、槍、弓でも公爵の称号まで獲得した。
そして彼はブラン公国に古くから伝わる伝説の斧に魅入られ、《巨大な騎士》に変身する力を手に入れたのだ。
ひとたび戦場に出れば彼に敵はいなかった。
彼の前にはいかなる猛者も赤子同然に捻りつぶされた。
だが彼の才能は戦いだけにとどまらなかった。
彼は自国の都であるノイヴァンシュタインが海沿いに面していることに着目した。
海沿いに大規模な港を建設し、レイヴァン地方中から人、物、金を呼び込んだ。
彼の機転によってブラン公国はレイヴァン地方最大の経済力を有することができたのだ。
放蕩息子と彼を見下していた民衆は態度を一変させ、彼を称賛した。
偉大なる君主としてあがめた。
そしてガザリウスはその名声をいとも簡単に捨て去った。
彼は両親が邪魔だった。
弟達、妹達が目障りだった。
だから彼は軍を使い、クーデターを起こした。
親族を容赦なく皆殺しにて公爵の座を奪い取った。
このとき、彼の傍らには天才的な闇魔術の使い手がいた。
それは若き日のハウゼンであり、ガザリウスが唯一、友と呼んだ青年だ。
ハウゼンもガザリウス派の一員としてクーデターに参加していたのだ。
これを機にハウゼンはガザリウスの懐刀として高い地位を得ることになる。
しかし、それはまた別の話。
肉親を殺し公爵の座を奪ったガザリウスは《雷帝》と呼ばれるようになった。
家臣からも民衆からも恐怖される存在になった。
だが、彼にとって人々の恐怖などとるにも足らないもの。
彼は権力の座に就くと周辺諸国への侵攻を開始した。
同じ半神族の国を滅ぼし、領土を奪いった。
レイヴァン地方の一領邦でありかなかった公国はいつしか、同地方最大の国へと変貌した。
しかし、ガザリウス一世という男は優れた嗅覚も持ち合わせていた。
彼は西方の地、ユーロピアで帝国主義の機運が高まりつつあるのを見ると方針を転換した。
レイヴァン地方の領邦に結束を呼びかけ、いずれ攻めてくるであろう人間とエルフの連合軍に対抗する策を講じた。
そして今から一世紀ほど前、《大戦争》が勃発した。
ガザリウス一世の予見した通り、人間とエルフの連合軍がレイヴァン地方に侵攻してきたのだ。
半神族の多くの国が滅ぼされた。
生き残った国はガザリウスのブラン公国に縋った。
並大抵の神経の持ち主であるならばその状況に危機感を抱いただろう。
半神族に滅亡の危機が迫っているのだから。
だが、《雷帝》はむしろ笑った。
59の領邦を一つに纏め上げ、半神族の頂点に君臨するチャンスが巡ってきたのだから。
彼は新生ブラン帝国の第一代皇帝になった。
権力を後ろ盾に先軍政治を敷き、政治の全て軍中心に行う政を執り行った。
大戦争で疲弊する民たちを顧みようともしなかった。
彼は本物の《暴君》だった。
◇◇
「これがノイヴァンシュタイン」
街に入った時、僕は列車の窓から街を見て、その巨大さに思わず声をあげた。
帝国最大の都市と言われるだけあり、その規模はハウゼンのボルメンシュタインを遥かに上回っている。
空高くそびえる巨大な防壁は20m以上。
街の内部には背の高い家が林立し、行き交う人々はみな、裕福な格好に身を包んでいた。
隣接する港を拠点とした貿易により財を成したこの街は帝国でも有数の金持ちの街でもある。
そして目に着くのはいたるところに飾られている皇帝旗と、それを掲げ、行進する騎士達だ。
軍人皇帝が治める街だけあり、ノイヴァンシュタイン城に向かう道々には騎士達の一団が隊列を組み、街の中を巡回していた。
そして彼らの掲げる皇帝旗は、七つの頭を持つ赤い竜、《セブンス・ドラゴン》というらしい。
モデルはかつて魔神と共に最高神に挑んだ《始まりのドラゴン》らしい。
ノイヴァンシュタイン城は街の中央に聳えたつ巨城であり、ボルメンシュタイン城よりも遥かに大きい。
ブラン公国が肥大化するに連れて改修を繰り返し、今の大きさになったのだとか。
そして今は、古代レイヴァン帝国の歴史を継承する国を自負しているブラン帝国の中枢を担っている。
◇◇
ノイヴァンシュタインの玉座の間は、皇帝が鎮座する間というだけあって壮大だった。
床には鏡面になるまで磨き上げられた青黒い石が一面に敷き詰めれ、夜の湖面を見ているかのような静寂な美に彩られている。
天井は高く、石で出来ている。そこにはブラン帝国の戦いの歴史が描かれていた。
壁際には装飾の施された石柱が規則正しく並び、天井まで伸びている。
そんな玉座の間を一直線に、血のように赤い一本のカーペットが貫いていた。
玉座の間の入り口から始まり、玉座の目の前まで伸びている。
玉座は当然ながら上座に位置しており、下座よりも数段、高くなっている。
これは、皇帝が玉座に深く腰を掛けても配下たちよりも目線が高くなるようにするためだ。
おかげで皇帝は座ったままの姿勢で終始、配下を見下ろすことができる。
その玉座の間には今、貴族たちが犇めいていた。
皇帝の名において、上は大侯爵から、下は騎士公まで、帝国全土の全ての貴族、またはその名代が召集されていた。
理由は聞かされていない。
集まれと命じられたのである。
下座の最前列は大侯爵が並び、その後ろに侯爵が並んだ。
逆に入り口付近は騎士公が占めおり、玉座の間の下座は皇帝に近ければ近い程、階級の高い者達が、遠くなればなるほど階級の低い者達が占めるという、身分によって立てる位置が決まっていた。
また、レッドカーペットによって左右に隔てられている玉座の間には、左側に《第一皇子派》、右側に《第一皇女派》が立つ、という暗黙の了解が出来上がっている。
皇宮は今、権力闘争の真っただ中にあった。
事の発端はガザリウス一世の女癖の悪さにあった。
彼は老齢でありながら、精力の強い御仁でもあった。
正妻は既にこの世を去り、自由の身であった彼は大勢の愛人を持った。
だが、それでも彼の欲望を満たしきることはできず、禁忌に手を出してしまう。
一人息子であり、第一皇子でもあるモルド皇子の妃を寝取り、自分の子を産ませたのだ。
しかもそれだけでは飽き足らず、愛人の一人を貴族たちの反対を押し切って強引に宮廷に迎え、第二夫人の地位を与えてしまったのだ。
ただ、彼女は宮廷に来て直ぐに女の子を出産し、そして直ぐにこの世を去った。
その赤子がどうなったのかは有耶無耶になったため大した騒動に発展することはなかった。
だが、自分の妻を寝取られたモルド第一皇子との確執は決定的となった。
モルド第一皇子は激怒し、寝取られた妻を遠ざけると、別の貴族の娘を妻として迎えた。
その女性との間に女児を儲けると、彼女を次の皇帝にすると宣言したのだ。
しかし、ガリウス一世は寝取った息子の妻が産んだ子、つまりは自分の第二子を次の皇帝にしたいと考えていた。
意見が真っ向から対立するとガザリウス一世は実子であっても容赦しなかった。
ガザリウス一世はモルド皇子を廃位し、自分の子であるアスバル皇子を第一皇子に据えた。
この行いが宮廷を真っ二つにする大きな騒動へと発展した。
モルド皇子はガザリウス一世によって廃位されたが、皇帝の先軍政治に反発する貴族たちを味方につけることで宮廷勢力を二分することに成功。
宮廷はアスバル皇子を次の皇帝に推す第一皇子派とアテネ王女を次の皇帝に推す第一皇女派の二つの勢力に分裂した。
そのため、玉座の間の左側には第一皇子派、右側には第一皇女派が立ち、互いにいがみ合っている。
そんな彼らを見下ろすかのような位置にあるのが皇帝の玉座だ。
それは金剛石、地球ではブラックダイヤモンドと呼ばれている石を削りだして作られた無骨な玉座である。
金や宝石もあしらわれていない質素な造りは、普段からここに座する者の富への無関心さを象徴していた。
その玉座には今、誰も座っていない。
空席である。
皇帝の両脇には玉座よりも一回り小さな席が用意されていた。
それは皇帝の子供達のための席。
そちらには既に二人の《皇子》が腰を下ろしていた。
玉座の左に腰を下ろしているのは、皇帝の第二子であり、第一皇子の位を与えられているアスバル皇子。今年で9歳になる。
その容姿は誰もが目を見張る程の絶世の美青年だった。
黄金を連想させるような金髪のショートヘアに、雪のように白い肌、上品な輝きを帯びた金色の瞳。
凛々しいその顔立ちからは知性と聡明さが伺える。
そして玉座の左側に腰を下ろしているのはモルド皇子に擁立された帝国の第一皇女であるアテネ皇女だった。
彼女もまた皇族の血筋を引くだけあり、絶世の美貌を誇っている。
年齢は6歳。
金色のセミロングの髪に、星々を望むような青く、澄み切った円らな瞳。
少し気弱そうではあるものの人形のような愛くるしい面持ちの幼女だった。
「大公爵、ヴィルヘルム・フォン・ハウゼン閣下、御入場ッ!!」
玉座の間に衛兵の声が響き渡る。
ハウゼンの名を聞くと、玉座の間に居並ぶ者達の反応は真二つに分かれた。
第一皇女派の貴族はハウゼンの名を聞き、顔をしかめた。
その表情には恐怖と憎悪と軽蔑の意が含まれている。
第一皇子派はハウゼンの名を聞き、賞賛の笑みを浮かべた。
その表情には彼への尊敬の念が込められており、さながら凱旋した英雄を迎え入れる時のようだ。
玉座の間の扉が重厚な音と共に開かれると、軍服姿のハウゼンが入ってきた。
本来、皇帝に謁見する場合は貴族の礼装に身を包むのが常識であり、軍服など無礼の極みとされている。
しかし、ハウゼンにそれを気にする素振りはない。
彼の入場に少し遅れてシュナイゼルが入場した。
彼もハウゼンの御付とはいえ軍服姿であり、当然それも無礼に値する。
しかし、シュナイゼルも周囲から向けられる鋭い視線にまるで動じることなく自分の任務に集中した。
彼は両手で羽毛のクッションの持ち、その上に乗せられている皇帝への供物を運んでいる。
赤黒い金属の球体から真赤な眼を覗かせ、頭頂にスパイクのついた黒のヘルメットを被った謎の物体。
玉座の間に詰める者達はその正体を知らない。
その球体も自分が皇帝への供物だということを知らないのはここだけの話。
唯一まともなのはシュナイゼルのすぐ後ろをくっついて歩いているアルナとカーナだ。
二人は正式な貴族の礼装であるドレスに身を包んでいる。
周囲の視線を浴びても動じるそぶりも見せず、堂々としたものだった。
ハウゼンは玉座の間に入るとレッドカーペットに隔てられた左側に入った。
それは自らが所属する陣営、第一皇子派の立ち位置だ。
貴族たちはハウゼンに敬意を表すかのように最前列までの道を空け、軽く会釈する。
ハウゼンは笑みを持って彼らの敬意に応えると、そのまま下座の最前列へと立った。
「ハウゼン殿」
と、第一皇子派の先頭にハウゼンが顔を覗かせると、対立陣営である第一皇女派から彼を呼ぶ声が響いてくる。
そして、一人の貴族が第一皇女派の先頭に顔を覗かせた。
立派な茶色の口髭を生やし、優しげな丸い目じりが印象的な中年の貴族。
見るからに穏健派なその貴族の名はセプテム・グロディアス大公爵。
ブラン帝国ではハウゼンと並ぶ唯一の大公爵の地位の持ち主であり、第一皇女派の筆頭として知られている男だった。
「これはグロディアス殿。お元気そうでなにより」
ハウゼンは胸に手を当て、小さく会釈する。
それに対し、グロディアス大公爵も同じように挨拶を返した。
だが、それは二人の言葉による戦いのゴングでもあった。
「ハウゼン殿。我らは皆、理由を聞かされることなくここに集められた。
だが聞くところによると、今回の招集には貴殿が関わっているそうですが真ですかな?」
凛として、よく響く声でグロディアスが尋ねる。
「さて、私には心当たりがございません。
しかし、皇帝陛下が全土から諸侯を招集されたのには何か理由があると考えております」
ハウゼンは乾いた声で答え、今回の招集と自分との関係性を否定する。
「それにしては、皇帝陛下に何かを献上されようとしているようですが。
それは今回の招集とは全く関係ない、と?」
グロディアスが指摘するのはシュナイゼルが手にしている金属の球体。
しかも、スパイク着きのヘルメットまで被っている。
「皇帝陛下が貴殿に何を命じたのか既に諸侯らの耳に入っておりますぞ。
帝国が危機に瀕し、多くの臣民が困窮する中、陛下は実在するかしないかもわからない古代の力を探し求め、民を顧みようともなされない。
貴殿は太古の力とやらが本当にこの国を救うとお考えか」
ハウゼンが皇帝の密命を受けて巨神機兵の復活に取り掛かっていたことは何者かによって第一皇女派の貴族たちに知られてしまっていたようだった。
もし、ハウゼンが巨神機兵―シーザーとレギオン―の復活に失敗していたら、彼はこの場で第一皇女派の批難を一身に浴びていただろう。
だが、彼は成功していた。
ブラン帝国の切り札となる強大な力を既に手中に収めていた。
その切り札は自分のことをさしてそれほどの存在だとは思っていないが。
「皇帝陛下は常に帝国のことを、臣民の事を考えておられる。
我ら貴族は皇帝陛下の崇高な理想を信じ、そのために結束することこそ肝要かと」
「皇帝陛下の崇高な理想とは終わりなき戦いに国の全てを傾け、国を疲弊させることでしょうかな。
それとも御子息の名誉を辱め、自らの欲望のままに皇帝としての生涯を桜花することでしょうか」
グロディアスの言葉は第一皇女派から賞賛の拍手を呼び、第一皇子派から痛烈な批難の声をあげさせた。
彼の言葉は明らかな皇族批判であり、国よっては死罪にされてもおかしくないものだ。
だが、ここにブラン帝国というものの内情が見えてくる。
帝国はあくまでも領邦が連合して出来た国にすぎない。
皇帝はいるが、所詮は都市国家連合の盟主でしかなく、他の公国の君主からすればもとは同格の君主であり主君ではなかった。
不敬不遜と言われても、彼らからすれば皇帝は自分達の代表でしかないのだ。
「グロディアス殿、なんと嘆かわしい。
皇帝陛下が御不在の場で、こうも陛下を貶めるような発言を繰り返されるとは」
ハウゼンは焼けただれあ頬を吊り上げながら、小さな笑みを浮かべて首を振る。
「皇帝陛下は次代のブランを背負うに相応しきお方を選び抜かれただけのこと。
皇帝陛下が選ばれたアスバル皇子はまさにその器を持つ御方にございます」
「その器、不足なりッ!」
玉座の間一杯に広がるほどの声量で誰かが叫んだ。
誰だと聞き返される前に一人の男性が最前列に顔を出した。
まだ若い。
見た目は20代後半から30代前半に見える男性。
長寿で知られる半神族であることを考えると年齢までは判別しづらい。
しかし、ブラン人の中では比較的、若い部類であるのは間違いなかった。
凛々しい顔立ちをしたその男性の名はイルタミ・ソサイエス侯爵。
第一皇女派の急先鋒として知られている血の気の多い男だった。
彼はハウゼンに向かって恐れる様子もなく
「アスバル皇子はモルド皇子の実子ではありません。
皇帝陛下の淫らな行いが産んだ存在なりッ!
正統な皇位継承権を持つは、モルド皇子の実子であらせられるアテネ皇女をおいて他にありませんッ!
皇帝陛下が真にブラン帝国の次代を担う存在を嘱望されるなら、正当な血統の中から選べれるべきですッ!」
玉座の間に割れんばかりの拍手が鳴り響いた。
ソサイエス侯爵の言葉に賛同する第一皇女派の者達が彼の背中を押すように。
「ソサイエス殿、その物言いは臣下にあるまじきものですぞ。
皇帝陛下の御意志を疑うばかりか、アスバル皇子の生い立ちを辱めるが如き発言。
宮中における貴族の礼儀は地に落ちたようですな」
ハウゼンは呆れたように額に手を当てる。
グロディアス家とソサイエス家はブラン帝国の中でも名門と名高い家系であった。
それが揃いも揃って第一皇子と皇帝に痛烈な批判を浴びせているのだ。
「無礼なのは承知の上。
だが、時として臣下は主君に苦言を呈することも必要なのだ」
と、グロディアス大侯爵が反論する。
「我々は長きにわたり考え、議論を重ねた。
その上でアテネ皇女こそ、この国の次代に王に相応しい判断したのだ。
全てはこの国を思えばこそ、忠臣が故の苦渋の決断なのだ。貴殿とは違う」
グロディアスアスの目は軽蔑の色を含み、ハウゼンを睨んでいる。
隣に並ぶソサイエスも、そして第一皇女派に名を連ねているであろう多くの貴族がハウゼンに敵意を向けていた。
だが、その空気をまるで読みもせず、またしても新たな弁士が割り込んできた。
「そろそろ終いにしませんか、皆様方?
これ以上、無駄な議論を続けていても仕方がないでしょう」
玉座の間に男の声が響き、視線がハウゼンから声の主へと向けられる。
長身だが横にも大きい巨漢が貴族の群れから出て来て、ゆったりとした足取りでハウゼンの隣に並んできた。
「無駄な議論とはどういう意味だッ!エーレンブルグッ!」
ソサイエスが鋭い怒声を上げたその人物は、グラハム・フォン・エーレンブルグ侯爵だ。
2mには届かないものの、かなりの長身の持ち主であり、同時に横幅も大きい。
いわば巨漢の男だ。
金髪のショートヘアに分厚いメガネの奥からギョロっとした大きな赤い目を覗かせる。
肉付いた頬を吊り上げるように笑う、不気味な印象を持つ男だ。
「無駄といったのは、まさしく無駄だからです、大公爵殿、そして侯爵殿」
エーレンブルグはメガネをかけなおしながら、特にソサイエスを見るわけでもなく、ただ無駄と口にした。
視線を合わせずに意見を口にするその態度はまさしく無礼。
だが、怒りに震えるグロディアスに目もくれない。
彼も第一皇子派の貴族であり、ハウゼンとはいわば盟友の関係にある。
「此度、皇帝陛下が我々を招集されたのは次の皇帝を決めるためではありません。
また、今回の招集についてハウゼン閣下に一方的に噛み付かれるなどまさに狂犬の所業。
大公爵と侯爵の地位にあるお方達とは思えぬ幼稚な行いにございます。
余計な茶々を入れて場をかき乱すような行為はお控えいただきたい」
頬を吊り上げるように笑い、エーレンブルグは目上である筈のグロディアスに苦言を呈し、ソサイエスには見下したような視線を向けた。
グロディアスは地位と年齢に見合った重々しい態度でその言葉を受け流す。
だが、若く、血の気の多いソサイエス侯爵が黙っていられるはずがなく
「何が茶々だッ!
ハウゼン殿は皇帝陛下からの密命を受け、太古の力を探していたッ!
背後に控える従者が何を持っているのか、貴殿の目には見えんというのかッ!」
グロディアスはそう言ってシュナイゼルが持つ金属の球体を指差した。
太古の力、それがどんなものなのかこの場で知るのはハウゼン、ただ一人。
それ故に彼らは金属の球体を話題の中心に据えられるのだ。
彼の恐ろしさを何も知らない。
「やれやれ、下らんな」
金属の球体から声がして、第一皇子派、第一皇女派の貴族たちの表情が一瞬で凍りついた。
シュナイゼルの持つクッションの上で金属の球体がぐるりと回転し、ソサイエスとグロディアスの方を振り向いて来たのだ。
その光景に、思わずアスバル第一皇子も、アテネ第一皇女も驚いたような表情を浮かべる。
「しゃ、喋った……」
「金属の球が……」
「なんだあれは……」
「やはり、噂は本当だったのか……」
玉座の間の貴族たちが一斉に蠢きだし、突如として喋り出した金属の球体に視線を向ける。
「な、何が下らないというのだ」
ソサイエスは驚きを胸の奥に仕舞い込み、球体が口にした言葉の意を問いただす。
「下らないから下らないと言ったのだ。
それ以上でもそれ以下でもない。
誰と誰の間の子であろうとも、子は子だ。
それに正統もくそもない」
金属の球体に宿っている負の魂は、前世、禁忌の果てに産まれてきた。
その生い立ちを常に周囲から咎められ、辛い日々を生きてきた。
それ故に彼は生い立ちを出汁に他者を批判する者を嫌う。
無論、そのことを知る者は皆無だが。
「グロディアス殿、ソサイエス殿、彼の名はシーザー。
趣味の遺跡探検で見つけた、喋る悪霊です。
珍しい故、今回の謁見を利用して皇帝陛下に献上しようと思った物です」
ハウゼンの口から悪霊の二文字が出るとまた玉座の間がざわめき合った。
この世界では悪霊は最も弱い魔物とされる。
複数の害意の集合体である雑多な存在でしかない悪霊が言葉を話し、自我を持っている。
ハウゼンのいう通り、確かに珍しい悪霊だ。
だが、金属の球体の正体を知ったソサイエスは失笑し、あざ笑うかのような目で悪霊を見返した。
ソサイエスはハウゼンが皇帝の密命に失敗し、代わりに珍しい悪霊を献上することで事実を隠ぺいしようとしている、と考えたのだろう。
「なるほど、悪霊でしたか。
皇帝陛下はハウゼン殿に珍しい悪霊を捕まえるよう命じていたのですね。
これは、滑稽だ」
「ソサイエス殿、彼の気分を害するような発言は慎んだ方がいい。
これは誠意ある忠告だ」
だが、ソサイエスはハウゼンの忠告を無視してここぞとばかりに糾弾する。
「貴方が受けた皇帝陛下の密命がどのような物か、既に知られているのですぞッ!
貴方は古代帝国の遺跡の調査を命じられ、それに多くの国費を投じたッ!
その結果、得られたのが喋るだけが取り柄の悪霊風情など、許されるとお思いかッ!」
「許すも許されるも無い。
私は彼を皇帝陛下に献上するだけのこと。
それよりも、彼を侮辱するのは止めたまえ。命が欲しければな」
興奮気味に喚き散らすソサイエスに対して、ハウゼンは静かな口調でそれ以上は慎むよう促す。
その隣では悪霊が真赤な眼を大きく見開き、ソサイエスを睨んでいた。
だが、彼の糾弾は終わらない。
「たかが悪霊ではないかッ!そんなものに一体、何が出来るというのだッ!
《下等》な存在ごときに何を恐れ―」
そして彼は絶対に言ってはいけないことを口にしてしまったのだ。
下等、などと彼の尊厳を踏みにじるような二言を。
グサッ!!
それは唐突に起こった。
ソサイエスの胸から槍が生えていた。
真黒な影で出来ているランスがソサイエスの背中側から正面めがけて一突きにしていたのだ。
「え……あぁ……」
自分の胸板を背後から貫いている槍を見て、ソサイエスは目を見開いた。
唇の端から血が滴りだし、ビクビクと体を震わせる。
「僕をバカにしたな」
金属の球体から伸びる黒い影。
それが貴族たちの足元を抜けてソサイエスの背後に回り込むと、そこからガントレットに包まれた真黒な腕が伸び、その手に握りしめられていたランスがソサイエスを貫いていたのだ。
『あ~あ、怒らせちまったな。俺はし~らね~』
ヘルメットの正面から顔を覗かせていた金属の球体がギザギザの口を微笑ませ、小さな笑い声をあげる。
「バカな小僧だ。あれほど忠告してやったのに」
ハウゼンも白い歯を覗かせながら呆れたように首を振った。
こうなってしまってはもう、どうしようもない、と。
『我が主よ、いかが致しますか?』
悪霊の被るヘルメットから重々しい声が聞こえてくる。
悪霊は冷徹な眼差しで胸のを貫かれたソサイエスを見たまま
「惨殺しろ。原型を残すな。ただし他は傷つけるなよ、後が面倒だ」
『御意』
ソサイエスの周りに幾つもの新たな影が現れ、槍や、剣や、斧に変形する。
「やめろッ!ハウゼン殿、その悪霊を止めるんだッ!」
何が起こるかを理解したグロディアスがハウゼンに向かって怒鳴るが、もう手遅れだ。
第一皇子アスバルは思わず目を瞑り、第一皇女アテナは両手で顔を覆った。
「彼は誰の命令も聞きません。
それに相手はたかが悪霊風情。
御自分達でなんとか出来るのでは?」
意地悪く笑ったハウゼンは、視線をソサイエスに向けたままぼそりと
「シーザー君、あまり玉座の間を血で汚すのはよくない。なるべく穏やかに」
「わかった」
ハウゼンはソサイエスを殺すことには反対しない。
彼はハウゼンが忠誠を誓う皇帝を侮辱した。
むしろいい気味だとさえ思っている。
ただ、玉座の間は皇帝にとって重要な場所。
そこを血で汚し過ぎるのも良くない。
そう思っての発言だった。
ソサイエスを取り囲んでいた影が全て槍に変化し、全周囲から彼を一突きにした。
そして即座に槍を引き抜き、影を引っ込める。
それから直ぐに、無数の風穴があいた死体がべちゃりと生々しい音を立てながら倒れ伏した。
「きゃああああああああああああああああああッ!!」
ソサイエスの死体を見た貴族の誰かが悲鳴を上げる。
第一皇女派が雪崩を打って玉座の間から逃げ出そうとした。
だが、バンッ!と勢いよく玉座の間の扉が開かれると、完全武装した騎士達が玉座の間に流れ込んできたのだ。
「静まれッ!!」
そこでハウゼンが今までにない大きな声で怒鳴り、パニック状態だった第一皇女派の貴族たちが足を止めた。
流れ込んできた騎士達はレッドカーペットに足を踏み込んでいる貴族を次々と雑に突き飛ばし、排除する。
そしてカーペット沿いに整列すると、剣を抜き、顔の前で構える。
「皇帝陛下、御入場ッ!!」
衛兵の高らかな宣言の後、コツ、コツ、と軍靴が石床を踏みしめる音が玉座の間に木霊した。
◇◇
(いよいよか)
僕をバカにした糞貴族を始末した直後、騎士達が一斉になだれ込んできて場を鎮静化させた。
そして玉座の間に皇帝が入場してくる。
とんだ三文芝居だ。
全てはハウゼンの仕組んだ台本通り。
ハウゼンはソサイエスとグロディアスという二人の貴族について僕に教えてくれた。
二人が第一皇女派の中心であると同時に、ハウゼンが皇帝からの密命を受けたことも知っている。
そして血の気の多いソサイエスが必ず何か無礼な物言いをすることも。
無論、僕のこともバカにしてくるとハウゼンは予想していた。
その場合、迷うことなくソサイエスを殺すように、と前もってハウゼンが指示してきた。
そしてソサイエスを殺し、場が混沌としたタイミングで騎士達が玉座の間に飛び込んでくる手はずになっていることも教えてくれた。
手の込んだことだよ、全く。
コツ、コツ、コツ……
そして玉座の間に軍靴の足音が響いてくると、貴族たちは第一皇子派、第一皇女派関係なしに一斉に片膝を付き、深く頭を垂れる。
一応、僕も視線は床に向けておく。
(だが、なんだ)
急に空気が重くなった気がする。
軍靴の足音が聞こえ始めてからというもの、空気が薄くなったみたいに呼吸しづらい。
悪霊であり、既に死んでいる僕が息苦しさを感じているのだ。
足音が近付くにつれて空気が鉛のように重く圧し掛かってきた。
ひんやりとした風が頬を撫でてくるような錯覚さえ覚える。
こんな三文芝居をうってくるような皇帝が、これほどまでの存在感を醸し出すものなのだろうか。
などと考えていると、軍靴の音が横を通り過ぎようとする。
レッドカーペットに誘われるように、そのまま玉座へと向かうのだろう。
そう思っていたが
コツッ!
一際大きな音と共に、僕の下へ向けている視線の中に黒の軍靴が飛び込んできた。
磨き上げられ、黒光りしている軍靴が。
「お前がシーザーか」
その時、僕の頭上から蛇のようにガラガラとした声が圧し掛かってきた。
その声を聞いた瞬間、僕は思った。
こいつはやばい。
言葉の一つ、一つから伝わってくるのは狂気だ。
それもハウゼンのようなマッドサイエンティストタイプの狂気ではなく、サイコキラーのような殺意に満ちた狂気だ。
だが、僕はもう何者にも屈しはしない。
「はい」
頭上から圧し掛かってくる圧倒的な存在感に反抗して、お前など恐れはしないという意志を込めて返事をする。
僕にはレギオンがいる。
皇帝がどんな男だろうとやり合えば勝つのは僕だ。
などと思っていると
ガシッ!
ヘルメットのスパイクを何かが掴んできて、持ち上げてくる。
そして僕の目を、真ん丸と見開かれた金の瞳が覗き込んできた。
目と鼻の先に突き出された顔を見て、僕は暴力的な意志を前面に押し出した顔がこの世にあることを知った。
その男は明らかに高齢で、顔はしわくちゃだった。
だが、その深い皺は男の容貌をより凶悪に見せた。
血の気の悪そうな灰色にも近い肌に、スキンヘッドの頭部、ぎょろぎょろとした金色の大きな目、笑みを浮かべうっすらと開かれた口からは鋭い犬歯が顔を覗かせる。
その全身は漆黒の鎧に包まれ、背には七つの頭を持った赤い竜が描かれたマントを身に着けている。
男が根っからの武人であることはその姿から疑う余地も無い。
そして異常なまでの暴力的な気が僕に降り注がれてくる。
「いい面構えだ」
男は満足に笑い、僕を持ったままレッドカーペットの上を歩き出す。
そしてブラックダイヤモンドで出来た椅子を前に、体の正面を臣下達へと向ける。
「余は長らく、ブラン帝国の、半神族の繁栄を願ってきた。
レイヴァン地方から劣等種共を駆逐し、半神族による半神族のためだけの国家の樹立を目指してきた。
それこそが我らブラン帝国の大義であり、半神族の尊厳を取り戻す唯一の道だからだ。そして我々は今日、大願を成就させるための力を手に入れたッ!」
ブラン皇帝ガザリウス一世は、まるで敵将の御首級をとった時のように僕を高らかと掲げ、大声で叫んだ。
「グローリア・ヘミテオス(半神族に栄光あれ)ッ!」
皇帝の声が玉座に響き渡ると同時に、第一皇子派の貴族たちが一斉に立ち上がる。
胸に手を当て、皇帝の叫んだ言葉を反芻する。
グローリア・ヘミテオスッ!
グローリア・ヘミテオスッ!
グローリア・ヘミテオスッ!
一方の第一皇女派は皇帝の言葉を反芻することもなく静かに立ち上がり、玉座の間に立ち込めた熱気が失せるのをただただ待ち続けた。
そして権力闘争の渦中にいる第一皇子、第一皇女は共に怯えたような顔で事の行く末を見守っている。
こうして僕はブラン帝国皇帝、ガザリウス一世と対面したのだ。