19話 百手騎士(後編)
「よし、これでいいだろう」
ハウゼンは床に描かれた真っ赤な魔法陣を見て満足そうにうなずいた。
それは地獄から悪霊を召喚するための魔法陣だ。
工房の中央に広いスペースを設け、家畜の血を使って描いた。
地獄の悪霊を召喚するとき、魔法陣を描くのに使うのは血でないとだめらしい。
そして僕は魔法陣の中央に置かれた。
Qliphothとして使用するピッケルハウベは僕の目の前に置かれる。
レギオンが見てきたArmedの製造にはこれといって特別な動作はなかったという。
レイヴァン帝国の術者たちは悪霊を宿したいQliphothに手を触れていただけ。
それで悪霊を閉じ込められていた、と。
『これで準備は完了だな』
レギオンが僕の頭の上で周囲を見回し、準備が完了したことを確認する。
あとはハウゼンが百手騎士とやらを召喚しするだけだ。
「なあ、本当に大丈夫なの?」
正直、不安しかない。
ただヘルメットに手を添えているだけでいいって本当なにか?
『安心しろって。大丈夫、大丈夫』
レギオンは全く心配していない。
その自信はどこから来るんだか。
「召喚を開始してもいいかね?」
ハウゼンは魔法陣の外に位置取り、いつでも召喚を行える態勢を整えていた。
その背後では術の発動を見守るアルナとカーナの姿も。
『ああ、いつでもいいぜ』
レギオンがそうハウゼンに答えると、ハウゼンは片膝を付き、両手を魔法陣の円に重ねた。
召喚魔術は対象となる悪霊を表すシンボルと複数の魔術文字を描き、それに魔力を流し込むことで発動する。
今回召喚する百手騎士のシンボルは、レオナルド・ダ・ヴィンチが描いたウィトルウィウス的人体図に似ていた。
一つの人体から円に沿って複数の手が伸びている構図だ。
「では始めよう」
ハウゼンが魔法陣に魔力の供給を開始した。
すると、魔法陣が眩いばかりの真赤な光を放ちだす。
(いよいよか)
一体、どんな悪霊なのか。
下っ端だからそこまで恐れる事は無いんだろうけど。
と、心配していると部屋が僅かに揺れ始めた。
カタカタと物が小刻みにぶつかり合う音が響き、天井から僅かに塵や埃が落ちてくる。
魔法陣から溢れてくる赤い光がより強度をまし、目がくらみそうになる。
「来るぞ」
と、ハウゼンが呟いたその直後だった。
ガタガタガタガタッ!!
部屋が、いや、おそらくお城全体が大きく揺れ出した。
まるで地震が起きたんだじゃないかと思う程に揺れ、棚や机から物が落ち、建物の軋む嫌な音が響いてきた。
下っ端の悪霊を呼び出すにもこんな大がかりな召喚が必要なのか?
「な、なあレギオン、本当に大丈―」
大丈夫なのか?と尋ねようとした時だった。
魔法陣から巨大な黒い手が伸びてきて僕とレギオン、そしてランタンを一掴みにした。
(え?)
そして僕たちは魔法陣の中に引きずり込まれた。
召喚じゃなかったの?
◇◇
僕は気づくと赤黒い渦の中を落ちていた。
前にもどこかで見た気がする。
ああそうだ、僕は死んだあと、この赤い渦を落ちてこっちの世界に来たんだ。
あの時に落ちた渦の中をまた同じように落ちている。
そして不意に渦が途切れ、世界は真っ暗になった。
『誰だ』
次に聞こえてきたのは重低音の聞いた声。
それが人の声じゃないことは直ぐにわかった。
『なぜ、我を呼んだ』
何をしに来た、と聞かれても。
そもそも、目の前が真っ暗で何も見えない。
ここはどこだ?
声の主はどこにいる?
『上だ、シーザー』
と、頭上からレギオンの声がした。
(上?)
僕は言われるがまま上を見あげてみる。すると
「あ………」
二つの目が僕たちを見下ろしていた。
遥かなる高みから僕たちを見下ろしていたのは影の巨人だ。
ピッケルハウベに良く似た、頭頂にスパイク、そして銀の装飾が施された黒のヘルメットの中で輝く真赤な二つの目。
それを被っている巨人には肉体が無く、体全体が真黒な影のようなもので出来ていた。
目の前が真っ暗だったのは光が届いていなかったからではなく、巨人の影のような身体が視界全体に広がっていたからだ。
『あれが百手騎士の一人、ブリアレオースだ』
ブリアレオース、それが目の前の騎士の名前らしい。
僕からすれば騎士よいうよりもヘルメットのお化けだが。
巨人の身体と思われる真黒な影はヘルメットから伸びてきているような印象を受ける。
むしろ、ヘルメットが本体なのではないかと思えてしまう。
『今一度、問う。貴様は誰だ。なぜ我を呼んだ』
ヘルメットの中で輝く赤い目から重々しい声が聞こえてくる。
だが、巨人には口も鼻も耳も無く、ヘルメットの中で黒い闇が蠢いているだけ。
「レギオン……これで下っ端なの……?」
下っ端にしては大きい。
いや、大きすぎる。
しかも全身から猛者のオーラを醸し出している。
こいつはべらぼうに強い。
そう思えて仕方が無かった。
『ああ、三下の三下さ。図体と手の数だけが取り柄の、な』
レギオンは自分よりも遥か高みに鎮座している巨大なヘルメットを見下すような目で見ていた。
その目は本当に、目下を見下している奴の目だ。
(どう考えても向こうの方が強いだろ……)
と思えるのは僕だけだろうか。
『ほら、シーザー。何をしてんだ。
さっさとあいつに命令しろって。そうすればあれはお前の物だ』
軽々しく言ってくれるな。
命令したところで従うはずがないだろ。
『ははははははッ!』
影の巨人が鼓膜の破れそうな程の大声量で笑い出した。
その声に靡くようにヘルメットから伸びている影が揺れた。
『貴様らのような小さき者が我を従えるとは面白い』
ぎらぎらと輝く赤い眼が愉快そうに細まり僕たちを見入ってくる。
やばい。これ絶対に戦いになるよ。
『ほら、シーザー。早く命令しろって。俺の下僕になれってさ』
そうレギオンは催促するけど、絶対に無理だ。
『ははははははははははははははッ!』
またしても滑稽だと言わんばかりに影の巨人が笑った。
『貴様らのような小さき者が我に命じるか。愚かしいにも程がある』
交渉、失敗したようです。
いきなりかよ。
「レ、レギオン、どうするんだよ!?」
このままじゃ、絶対にまずいって。
『我に命じることが出来るはレイヴァンの王のみ』
巨人の影の体が変形し、無数の手へと変化した。
その姿はヘルメットを被ったタコみたいで、でも、タコにしは手の数が多すぎる。
『小さき者よ、我が影の一部となれ』
ヘルメットから伸びる数えきれない黒い手が僕たちに向かってきた。
逃げられない。
そう思い、目を瞑りかけた時、それは起こった。
バチバチ、という音を立てながら、黒い手が僕たちに触れる直前で赤黒い稲妻に焼かれ、消滅したのだ。
そして僕の金属の外殻、《総てを統べる独裁官》に刻まれた文字とも記号とも取れるものが赤々と輝きだした。
「え?」
『なんだとッ!』
驚いたのは僕も影の巨人も同じ。
だけど、影の巨人の理解は僕の上をいっていた。
『そのQliphothをなぜ貴様がッ!』
まるで僕の外殻に覚えがあるかのようで、彼の巨大な影の輪郭が動揺したように歪みだした。
『まだ理解できないのか、百手』
レギオンは僕の頭上で勝ち誇ったような笑みを浮かべ、動揺する影の巨人を見上げる。
『俺たちの独裁官が帰ってきたんだよ
4000年の時を超えてな』
『貴様、まさかレギオンかッ!』
影の巨人はレギオンと面識があったのか、その名前を呼ぶ。
『ああ、4000年ぶりってところか。
でも、ここに来たのは昔話をするためじゃない。
お前をシーザーの戦奴に加えるためさ』
さあ、シーザーッ!
レギオンが僕の名前を呼んだその時、何かが僕の中で蠢いた。
やり方は知らない筈だった。
誰からも教わっていない筈だった。
なのに不思議とわかってくる。
「《総てを統べる独裁官》の名において命じる。
貴様は我が、戦奴となれッ!」
そう《命令》した瞬間だった。
何かが僕の中でカチっと音を立てて切り替わった。
頭の中に無数の文字と記号と円が駆け巡る。
それが組み合わさり巨大な魔法陣が構築されていく。
(これは……召喚魔術……なのか……)
意識の中で僕は構築された魔法陣に触れるとその内容が頭の中に流れ込んできた。
莫大な情報量。
頭の回路が焦げ付きそうになる。
赤々と煌く文字で構築された文字の羅列は僕がいましようとしていることの神髄に迫るものだった。
そう、Armedの神髄に。
(なんでそれが召喚魔術なんだ……)
文字の羅列には謎の文字でこう書かれていた。
Armed……それはどこまでも増殖する、無限の武装術式。
《Qliphoth》に《悪霊》を憑依させ、兵器として武装化させる魔術体系。
《王の外殻》に取り込まれることで、悪霊は外殻への憑依が可能となる。
つまり、悪霊がArmedとなるには《王の外殻》に取り込まれる必要がある。
取り込まれた悪霊は王との間に強制的に《契約》を結ばされる。
それは魂を未来永劫にわたって王に従属させることを誓う契約。
王の戦奴として、王のために戦い続けることを誓わされる。
契約は王の魂が消滅するその瞬間まで有効である。
その間、全てのArmedは王への従属の対価として力を与えられる。
Armedは捕食した魂の数だけ成長する。
Armedは捕食した魂の数だけの霊的装甲を得る。
Armedは捕食した魂の数に応じた戦力を得る。
つまりAmredは、殺した数だけ強くなる究極の魔導兵器である。
(取り込む……つまり、それは……)
僕が《喰らう》ということだ。
でも、目の前の影の巨人は到底、僕の口に入りきらない。
ならどうすればいい?
もっと大きな口を《召喚》すればいい。
『まさか……本当に……』
信じられない。
そう言いたげに僕を見下ろす影の巨人。
その足元に頭の中で構築した巨大な魔法陣が浮かび上がる。
そしてそこから巨大な口が呼び出された。
真っ黒な影に覆われた、でも、人の歯のようなものが生え揃っている巨大な口。
その口が影の巨人に食らいついた。
『ぐあああああああああああああッ!!』
空間に影の巨人の絶叫が木霊する。
同時に、僕の口の中に今まで食べたこともないような美味しい味が広がってきた。
バグ、バグ、バグ、と巨大な口が影の巨人を喰らっていく。
口の中に影の胴体が消え、ヘルメットと赤く煌く二つの眼だけが辛うじて残っている。
『こんな……こんなことなど……』
でも次の瞬間。
影の巨人は僕に喰われ、僕の血肉の一つになった。
そして百手騎士ブリアレオスは僕の戦奴、Armedになった。
◇◇
「うーむ」
ハウゼンは目の前で起こった出来事に首を傾げ、どうしたものかと思案していた。
「消えちゃった」
「戻ってきませんね」
アルナとカーナは空っぽのランタンを指先でつついている。
ハウゼンは、冥界最強と謳われた三大騎士の一人、百手騎士ブリアレオスを召喚する魔法陣を確かに描いた筈だった。
だが、魔術を発動した直後、ブリアオレスの手に掴まれ、シーザーもレギオンも魔法陣に吸い込まれてしまった。
今、魔法陣の中心にはArmedの外殻にするはずだったピケットハウベだけが残されている。
(なぜだ?)
召喚魔術を使い、逆に地獄へと吸い込まれた事例をハウゼンは知らない。
召喚した悪霊との戦いに敗れ、魂を捕らわれて地獄に吸い込まれるのはあり得ることだが、術の発動直後にこの世界から消えてしまうなど聞いたことも無かった。
だが、思案していたハウゼンは地の底から巨大な魔力の塊がせり上がってくるのを感じ取った。
「アルナッ!カーナッ!魔法陣から出なさいッ!」
ハウゼンが叫び、アルナとカーナは俊敏な動きで魔法陣の上から飛びのいた。
その直後、魔法陣が眩い光が溢れ、天地がひっくり返ったかのような大きな揺れと共に無数の黒い手が飛び出してきた。
「これは」
ハウゼンは二人の娘を守るよう腕に抱き、魔法陣に背を向けた。
工房はまたたく間に黒い手に溢れ、扉を破り、溢れだした。
ボルメンシュタイン城のいたるところから悲鳴が上がった。
城の中で大洪水が起こったかのように、黒い手の波がいたるところに押し寄せた。
城の窓という窓が割れ、そこから長々とした真い手が顔を覗かせる。
メイドや執事たちがその波にのまれ、見えなくなる。
しかし、唐突に黒い手の動きが止まった。
直後、時が巻き戻されるかの如く、手がみるみると魔法陣の中央に吸い込まれ始めたのだ。
凄まじい轟音を巻きたてながら、無数の手が魔法陣の中央に一極して吸い込まれる。
ピケットハウベへと。
◇◇
(終わったか)
ハウゼンは背後から聞こえていた轟音が鳴りやんだのを確認し、腕の中に抱えていた二人の娘を放した。
「大丈夫か、アルナ、カーナ?」
と、父親らしく声をかけるが、アルナ、カーナ、共に涼しい顔をしていて怯えている様子もない。
何事も無かったかのように頷き、頭や体についた塵を払う。
一先ず、娘達は問題ない。
ハウゼンは何が起こったのかを確認すべく振り返ると、彼の魔術工房は滅茶苦茶に破壊されていた。
まだ部屋には土煙が立ち込めているため全容を把握することは出来ないが、目に着く範囲では殆どが原型をとどめない程に壊れている。
その渦中の傍にいながら無傷でいられたのは奇跡にも近い。
「ん、あれは」
巻き上がった土煙が次第に収まりかけてくると魔法陣の中央に当たる部分にうっすらと影が浮かび始めた。
小さく、球体のように丸みを帯びているが、その頂には角のようなものが一本だけ立っている。
ハウゼンはその正体を確かめるべく、煙を払いながら歩き出す。
そのすぐ後ろを、ひっそりとアルナとカーナが続いた。
そこまで広くいない部屋だ。
ハウゼンは直ぐに煙を抜け、魔法陣の中心部にたどり着いた。
すると、中央にはヘルメットの後ろ頭があった。
真黒なヘルメットだが、鮮やかな銀の装飾が施され、頭頂には立派なスパイクが付いている。
と、ハウゼン達の足音を耳にしたヘルメットがぐるりと振り返ってきた。
すると、見慣れた赤い一つ目に、赤黒い金属の球体、それがヘルメットを被っていたのだとわかった。
「ハウゼン」
球体がハウゼンの名前を呼び、その声をハウゼンは知っていた。
「成功したようだね、シーザー君」
ハウゼンはそう直感する。
「うん、そうみたいだね」
シーザーは落ち着いた様子だ。
何事もなかったかのように平然としている。
『な、成功するって言っただろ?』
と、レギオンの声が聞こえてきた。
でも、普段はレギオンが乗っている球体の上部はヘルメットに覆われており、その姿を確認することは出来なかった。
しかし、ヘルメットの正面の装飾が左右に分かれ、くり抜かれた小さな穴から見慣れた球体が顔を覗かせてくる。
「これがArmedか」
ハウゼンは球体の悪霊がすっぽりとかぶっている立派なヘルメットを見た。
「しかし、兵器には見えないな」
Armedは外殻に悪霊を憑依させ、兵器として武装化するための術式だ。
シーザーが被っているのはどう見てもヘルメット。
想像していた感じとは少し異なっていた。
『Armedとは外殻に兵器としての《能力》を付与する術式。
我が能力は無形故、兵器としての形を必要とせず。
故に我が象徴たる形に至れり』
と、ヘルメットから声が聞こえた。
その声はレギオンの声でもシーザーの声でもない。
重々しい声。
シーザーは球体を回転させてヘルメットの中を覗き込んでみた。
しかし、そこに広がるのはどこまでも続く深い闇。
無限の空間が広がっているように見えた。
が、その直後、赤い二つの目が闇から飛び出してきてシーザーの顔の目と鼻の先に突き出される。
『我が主よ、我は卿と共にあらん』
…………………
……………
………
…
「ギャァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!!」
シーザーはその直後、頭上に乗っていたレギオンと初めて対面したときと同じような絶叫をあげた。