1話 鬼子
皆は思ったことがあるだろうか。
《独裁者》になりたい、と。
僕は幼い頃、思ったことがある。
世界は皆の物じゃない。
世界のどこかにいる、たった一握りの人達によってすべてが決定されている。
彼らは自分の思うがままに世界をコントロールして、奴隷のように従う人々を見てほくそ笑んでいる。
羨ましかった。
僕も力で全てを押さえつけ、自分の価値観だけで世界を染め上げたかった。
他人の命を、人々の運命を手のひらで弄び、優越感に浸りたかった。
だけど、人は産まれた瞬間から勝ち組と負け組に振り分けられる。
世界の支配者になりたければ、勝ち組に産まれなければならない。
そして、世界を支配しうるに足りる力を持って産まれる必要がある。
でも、それは簡単ではない。
人には選べない事柄が多すぎる。
人は親を選べない。
人は生まれ持ってくる才能を選べない。
人は容姿を選べない。
人は環境を選べない。
選べないものを全て上げればきりがない。
でも、人は産まれた瞬間から他人との差を持って産まれる。
産まれながらに勝ち組にいる者。
産まれながらに負け組にいる者。
勝ち組に産まれることができた者は幸福だろう。
最初から周囲よりも恵まれた場所から人生をスタートできる。
だがもし、負け組に産まれてしまったらどうすればいいだろうか?
勝ち組との差を埋めようと努力するのだろうか。
一生かけても埋まるかわからない差を埋めるために人生を捧げるのだろうか。
そんな人生を、人生と呼べるだろうか。
だからといって、ずっと負け組の側で生きていたいだろうか。
負け組に産まれた者達は、産まれた時から残酷な選択を迫られる。
だがもし、全ての選択肢を選べなかったら?
どの選択肢をも選べず、自らの生すらも否定するに至ったらどうすればいい?
一から全てをやり直すのか。
今の自分を捨てて、さいころの目を振りなおすように、もう一度、人生の選定をやり直す。
完全なランダム。
そして気に入らなければもう一度、人生をやり直す。
それも、人によってはいいのかもしれない。
だけど世界には、その選択肢すら選べずに、ただ足掻き続ける奴がいた。
どうしようもなく愚かで、どうしようもなく醜悪で、無駄だとわかっているのに諦めずにはいられない。
それが、僕だった。
「負け犬は何度、やり直しても負け犬だ」
「今を必死に生きられない奴が、もう一度、人生をやり直しても上手くいくはずがない」
「僕は夢想家じゃない」
「自分の全てと向き合い、必ず勝者になってみせる」
それが僕の昔からの口癖だった。
努力を続ければいつの日か勝ち組になれると信じていた。
そう、《あの日》までは……。
◇◇
僕は貧しいながらも温かな家庭の長男として産まれた。
父と母は惜しみなく僕に愛情を注いでくれた。
ただ、僕は幼い頃から肌の色素が薄くなる病を患っていた。
その病気によって併発したのか、髪は白髪、目は真紅だった。
僕の容姿を見た大人たちは揃って嫌な顔をした。
僕が人間離れした容姿なのは、禁忌の果てに産まれた子供だからだ、と。
父さんと母さんが兄妹だからだ、と。
それ故に、僕は《鬼子》……。
僕の遺伝子は欠損しているらしい……。
たかが髪の色が、目の色が、肌の色が違うだけなのに……。
僕は容姿が原因で友達が出来なかった。
両親が近親婚であることを理由に苛められた。
そして皆が言う。
僕は、普通じゃない、と。
そんな僕の心の支えは家族しかいなかった。
大好きな父さんと母さん。
僕をいつも温かな愛情で包み込んでくれた。
今でも鮮明に覚えている。
僕を腕に抱き、幸せそうに微笑む父さんの姿。
耳にはお母さんが弾いて聞かせてくれたピアノの旋律が微かにだけど残っている。
今思えば、貧しかった僕の家によくピアノを買う余裕があったものだ。
ずっと後になって知った話だけど、それは父さんが音楽好きな母さんに送ったプレゼントだったらしい。
兎にも角にも、僕は両親のかげで友達がいなくても幸せだった。
《鬼子》と周囲から後ろ指を指されても、平気だった。
だって僕は父さんと母さんに望まれて産まれてきたんだから。
二人がいてさえくれれば僕は幸せだった。
そう、幸せでいられたんだ……。
人生の歯車が狂いだしたのは僕が4歳の時。
お母さんが天国に行ってしまった。
お母さんはもともと体が弱くて、僕を産んでから体調を崩すことが多くなった。
そして最後は重い病を患って、でも、僕に心配をかけまいとして笑顔を浮かべ、そのまま天に身罷られた。
そしてその1年後、僕が5歳の時、お父さんも天国に旅立ってしまった。
お父さんの死因は交通事故。
家路を急ぐあまり運転を誤り、死んでしまった。
その日は僕の誕生日で、お父さんは僕のために誕生日ケーキを買って帰ってきてくれている最中だった。
僕を喜ばせようと家路を急いだがために……。
父さんと母さんは天に召されてしまった。
幼い僕をたった一人、残酷な世界に残して。
◇◇
僕は両親の実家に身を寄せることになった。
その時、初めて、僕の生まれ落ちた家は名門と名高い家系だったことを知った。
父さんと母さんはその家でも将来を期待され、一族の家名を高める存在とされていたが期待を裏切り僕を産んだ。
名高い家柄の家系にあってはならないことだった。
禁忌を犯したなどと世に知れれば面目は丸つぶれだろうから。
父と母は一族に迷惑をかけないよう産まれたばかりの僕を連れ、家を出たのだ。
でも、このたび、目の上のこぶである僕がやってきてしまった。
一族は揃って僕を毛嫌いしたし、僕を引き取ることに反対した者も多かったと聞く。
だけど僕にも味方はいた。
それは一族の頭首を務めていた祖父だった。
今でも覚えてる。
祖父が僕を庇い、一族の人たちに向かって怒鳴っていたことを。
「あの子を私達に相談もなく、勝手に養子にするなんてッ!」
僕が両親の実家にやってきて暫くたったある日の夜、突然、誰かの怒鳴り声がして布団から飛び起きたのを覚えている。
ふすまの間から差し込むわずかな光に誘われて、僕はこっそりとその場を覗き見た。
当時の僕には何をしていたのか理解できなかったが、俗にいう《家族会議》というやつだ。一族の大人たちが一堂に会して祖父にああだこうだと迫っていた。
「二人は絶縁して家を出て行ったんだッ!なのに今更、どうしてあの子を一族に加える必要があるッ!」
「そうだッ!どうして《鬼子》を引き取る必要があるんだッ!」
「まさか、あの子にも遺産を分けてやるって言うんじゃないでしょうねッ!」
鬼の形相で迫る一族の大人たち。
彼らの目には人の情という者が無かった。
暴利に生きる金の亡者たち。
「静かにせんか……ッ!あの子が起きるじゃないか……ッ!」
祖父は声をひそめながらも強い口調で言い返す
だが、親族たちはなりふり構わない。
血走らせた眼で祖父を睨みながら、必死な形相で迫る。
「どうせ寝てるさッ!所詮は子供だッ!」
「それよりも、どうして勝手にあの子を養子になんてしたんだッ!」
「それは、お前たちにもう何度も話しただろッ!あの子の事情も知っているくせにッ!あの子は、我が一族の子だぞッ!」
一族の子、その言葉を聞き、大人たちはケッと小さく吐き捨てる。
「ああ、そうさ。あいつは一族の子だ。だが、あの子は望まれずに産まれてきた。いらない子なんだよッ!」
「お前、なんてことをッ!」
激怒した祖父は中年の男を殴り飛ばした。
いつも優しく、笑顔ばかり浮かべている祖父とは思えないぐらい、その時の顔は怒りに満ちていた。
(なんで……こんなことに……)
醜い大人たちの戦場。大切なのは金、金、金。名門の血統がきいて呆れる。
僕はいらない子、《鬼子》、心を抉られるような痛みに涙が止まらなかった。
でも、起きているのを気づかれたくなくて、泣いているのも知られたくなくて、必死に声を押し殺して泣いた。子供ながらも、空気を読んだのだ。
でも、泣きじゃくる僕の耳に祖父の怒声が飛び込んでくる。
「あの子はいらない子などではないッ!」
しかし、そもそも人の情というものに欠ける人たちは冷ややかな目線を送り、祖父の言葉を暗に否定する。邪魔なのだ、僕は。彼らの大切な《遺産》とやらを減らす存在だから。
「あの子にはお前たちにはない物を持っているッ!あの子は明るく、笑顔なら誰にも負けないッ!誰がなんと言おうとも、俺はあの子の笑顔を守り抜いて見せるッ!」
その時、ふすまの隙間から見えた祖父の顔を僕は一生忘れない。
僕を愛し、守ろうとしてくれている一人の立派な男がそこにいた。
僕の唯一の味方であり、僕を愛してくれている唯一の存在だった。
僕は泣いた。でも、その涙は一瞬で止まってしまう。
「ふざけやがってッ!」
先ほど祖父に殴られた中年の男が、顔を真赤にして立ち上がり、手にした灰皿で祖父の頭を殴りつけた。
(あッ!!)
声が出そうになって思わず口を塞ぐ。
「バカッ!何してんだッ!」
大人たちは慌てて倒れた祖父の傍に駆け寄るが祖父はピクリとも動かない。
一族の目が一斉に、血の付いた灰皿を握りしめた中年の男に向くが、彼は血走った目を見開いて一族に向かって叫ぶ。
「お前たちだってわかってるだろッ!親父はいつだって兄貴と姉貴を特別視してたッ!遺産だってきっとあいつに全部くれちまう腹積もりだったはずだッ!お前らだって遺産は欲しいだろッ!」
「だ、だけど、どうするんだ……。殺しちまったんだぞ……」
「いいか、今日のことは秘密だ。漏れでもしたら俺だけじゃく、お前たちも終わりだぞ」
「そのかわり、遺産はちゃんと貰えるんだろうな?」
「親父の死の真相をこれからずっと背負って生きていくんだ。はした金じゃ許さんぞ」
「遺産は《あいつ》を覗く一族で、均等に分配する。それでいいだろ?」
大人たちは無言でうなずくと、自分達の犯した罪の痕跡を抹消し始めた。
僕は布団の中に逃げ込み、知らぬ、存ぜぬ、を決め込むことしか出来なかった。
そしてこの時から、僕の《負け犬》の人生が始まった。
救いも何も無い、地獄のような日々が幕を開けたんだ。
次回 歪んだ夢