16話 戦いの足音
ローエン教皇領。
レイヴァン帝国を打ち破った聖騎士ローエンによって建国された国。
ユーロピア大陸の北西岸に位置するアドメリアス島を領土とする。
周囲はニグリス海に囲まれている。
海峡を挟んで大陸と隔てられたかの地には太古からの自然が手つかずで残っており
ペガサスを始めとする神聖な生き物たちが生息しているといわれている。
教皇領の聖都(事実上の首都)、キュロスは名峰を背に、周囲を美しき河川に囲まれた
大自然の中に聳えている。
聖都の中央にはカナン宮殿とローエン大聖堂。
宮殿では聖典教の精神的指導者たる教皇と、それを支える枢機卿が政を執り行う。
ローエン大聖堂には神から授けられた聖典が保管され、白銀の騎士たちがそれを守っている。
壮大な二つの建造物と、都を取り囲む美しき自然。
その神々しき遠景は何者にも犯しがたい聖なる地を彷彿させるに十分であった。
◇◇
ハウゼンが敵視するローエン教皇領と彼らの軍隊、聖典騎士団。
その本部はローエン大聖堂に置かれていた。
数日前、そのローエン大聖堂に一つの衝撃的な報せがもたらされた。
聖典騎士団の中でも屈指の精鋭部隊《天馬騎空団》が壊滅した、というものだった。
隊長であるカターリナをはじめとして28名が戦死。
命からがら逃げかえってきた騎士は、異形の機械の騎士に襲われた、と証言した。
《巨神機兵》、報告を受けた騎士団上層部の者たちは確信を抱くと同時に戦慄を覚えた。
《予言》が動き出した、と。
事態を重くみた騎士団上層部は大聖堂に騎士たちを招集した。
「ヴィルヘルム・フォン・ハウゼンは以前よりレイヴァン帝国の古代兵器、その復活を目論んでいた」
大聖堂に整然と並ぶ騎士たちを前に声を発するのは、聖典騎士団の長、枢機卿の一人でもあるガザリエル・ウィンドヘルムだ。
プラチナブロンドの髪のオールバックに、緑色の鋭い眼。
若さが残る凛々しい顔立ち。
史上最年少で枢機卿の一人にまで上り詰めた、屈強かつ頭の切れる男であった。
「天馬騎空団隊長、カナエル・グム・カターリナはハウゼンを追い、ハンマーベル山へと向かった。
そして、死んだ」
ウィンドヘルムの言葉に騎士たちがわずかに騒めきだす。
カターリナといえば聖典騎士団で知らぬ者はいない、神に魅入られし聖女。
天使化魔術の使い手であり、屈指の武力を誇った。
その彼女が死んだ。
「誰が殺したか。皆が真っ先に脳裏を掠めたのはあの男だろう。
ヴィルヘルム・フォン・ハウゼン。
ネクロマンシーの使い手であり、死霊兵の生みの親。
だが、殺したのは奴ではない」
では、誰がカターリナを殺したのか。
ハウゼン以外に、ブラン帝国でカターリナに匹敵する力を持つ者がいただろうか。
「《巨神機兵》だ」
騒めきが止み、静寂が訪れる。
神のためならば死をも厭わない騎士達が呼吸すらも忘れて凍り付いた。
「ハウゼンは《巨神機兵》を復活させた。
三面六臂の騎士、レギオンだ」
巨神機兵、レギオン。
その名を聖典騎士団で知らぬ者はいない。
4000年前、レイヴァン皇帝の親衛隊を率いて虐殺の限りを行った殺戮兵器。
最後の決戦においても抵抗軍に甚大な被害をもたらした。
聖騎士ローエンもレギオンを破壊することはできず、虚無の世界に封印するのでやっとだった。
その化け物が復活してしまった。
「だが、悪い報せはそれだけではない
天馬騎空団の生き残りの証言では、さらにもう一匹、謎の悪霊の姿が確認されている
不可思議な模様が彫り込まれた金属の外殻を纏い、人の言葉を喋ったそうだ」
一言、殺してやる、と。
だが、人語を喋る悪霊など聞いたこともない。
「その悪霊が一体、何なのかはわからない。
しかし、巨神機兵が復活した以上、もはや一刻の猶予もない。
教皇猊下は3大列強に号令をかけられた。
近いうち、ヘクトリア、ガリウス、ハルメルの3か国がブラン帝国に総攻撃を仕掛ける。
我らも今回ばかりは人間の軍と行動を共にし、彼らを支援する。
そして巨神機兵が現れたら総力をもってこれを叩くッ!」
ヘクトリア、ガリウス、ハルメル。
世界3大列強と呼ばれる、ユーロピアの強国だ。
圧倒的な武力を背景に、世界中に植民地を広げている。
100年前に始まった《大戦争》でも連合軍の主力を担い、多くの半神族国家を滅亡させた。
ローエン教皇領にとってはある種の盟友のような国家である。
「決戦の地は《レイヴァンシュタイン》。
古の帝国が産声を上げた地で雌雄を決するッ!」
そのための準備はすでに始まっていた。
しかし、シーザー達はまだこのことを知らない。
だがいずれ、彼も知ることになる。
大軍の地響きがレイヴァン地方を震撼させ、かの帝国に滅亡の時を報せんとすることを。
◇◇
「さて、今晩の夕食は何だろうか
実に楽しみだ」
と、ハウゼンは席に着きながら歪な笑みを浮かべる。
魔術の授業が終わると、その次は夕食の時間らしい。
アルナとカーナもいつものポジションに腰を下ろし、僕も二人の前に雑に置かれる。
夕食はハウゼンと、アルナ、カーナの3人で食事をするようだ。
全員が席に着くとクライセルさんとノルエールさんがやってきて、クライセルさんがハウゼンの、ノルエールさんがアルナ、カーナの給仕についた。
夕食も相変わらずハランキノコがふんだんに使われている。
朝も昼も夜もそうメニューが変わっているようにも見えない。
しかし、アルナとカーナは飽きている様子もなく、無心でキノコを食べていた。
だけど、自分達の向かいに座る父とは一言も言葉を交わそうともしない。
そしてハウゼンも自分から二人に声をかけるようなことはしない。
(これが家族との食事か)
血の繋がった、家族との。
僕のイメージと全然、違う。
家族との食事なんてこんなものなのだろうか。
夕食が終わると、入浴の時間だ。
ノルエールさんがアルナとカーナを浴室へと連れて行く。
僕は昼間の時と同じように部屋で待機、だと思ってったんだけど
「行くよ」
「行きますよ」
「え?」
アルナとカーナは僕まで浴室へ連れて行こうとした。
「いやいやいや、絶対におかしいってッ!」
流石にそれはないしょ?」
と言ったんだけど、問答無用だった。
アルナにガシッと掴まれてままランタンから引きずり出される。
そして今度はカーナに透明のガラス瓶の中に押し込まれ、蓋をされてしまう。
「あ、あの、これはいったい……」
「お父様から貰った」
「生き物の臓器とか保管しておくためのビンです」
それってハウゼンの工房にあった奴だよね。
ホルマリン漬けにするための瓶ってことだよね。
つまり、僕は標本ってこと?
いや、そんなことはこの際、どうでもいい。
正直言って、僕は幼女の裸など興味もない。
僕はロリコンじゃないからね。
でも、風呂場に連れ込まれたら目のやり場に困るのは間違いない。
ただ、問題なのはそこだけじゃない。
まだ一緒に生活し始めて1日も経ってないけど、二人の異常性ないし、狂暴性はよく理解できた。
この二人なら、僕が少しでも気に入らないことをしたら問答無用で湯船の中に沈めるだろう。
なのでここは謹んでご入浴のお誘いを辞退しよう。
「僕は入らない。待ってる」
「は?」
「うるさいです」
アルナとカーナは僕の言葉をガン無視して歩き出してしまう。
どうしても僕を持って風呂に入るつもりらしい。
なんで悪霊と風呂に入りたいなんて思うんだろうね、この子達は。
一緒にいるノルエールさんが僕を助けてくれたりしないだろうかな、チラ、チラ、と視線を送ってみるが、彼女はあくまでも主筋であるアルナとカーナに忠実であり、僕を救おうとはしてくれなかった。
結局、僕は一緒に二人とお風呂に入るのである。
「はあ……」
僕は張られたお湯の上にぷかぷかと浮かべられながら僕は大きくため息をついた。
『どうした、シーザー。元気がないじゃないか?』
と、僕の頭上から覗き込んでくるレギオン。
「こんな状況でどう元気を出せと?」
何が悲しくて幼女の入浴に付き合わなければならんのだ。
興味ないんだよな。
しかも、何が気に入らないって、ガラス瓶が曇ることだ。
立ち上る湯気でガラスが曇り、何も見えない。
別に、幼女の裸体が見えないから苛立ってるわけじゃない。
個人的に視界が悪いのは好きじゃないんだ。
世界がぼやけて、崩れていくような錯覚にとらわれて落ち着かない。
突然、何か起こった時に対処もできない。
だから、少しでもいいからガラスの曇りを取り除きたかった。
(アルナとカーナのいない方だけ拭うか)
音からだいたい二人の方角がわかる。
反対方向を少し拭ってみて、問題なければそれを広げればいい。
あとは浴室の壁を眺めて過ごせばいい。
そう思ってガラスに手を伸ばしたんだが
『なんだ、幼女の裸体が見たいのか?』
例にもれずレギオンがニヤニヤしながら訊いてくる。
「違う、バカ。
ガラスが曇ってると落ち着かないから少し拭うだけだ。
アルナとカーナのいない方をな」
と言って改めてガラスを拭おうとするのだが
『でもそっち、アルナとカーナのいる方だぞ』
「え?そうなのか?」
音からして今向いている方向でいいはずなんだが。
『音が反響してるけど、間違いない。
そっちにアルナとカーナがいる』
ガラス瓶は湯船の上に浮いているから最初に浮かべられた位置からずれる。
向きもお湯の流れで変わっていく。
確かに、レギオンに言われるといま拭おうとしている方にアルナとカーナがいるような気もしなくはない。
「こんなことでレギオンに助けられるなんてな」
『俺はいつだってお前の味方さ』
それはありがたい。
本当ならの話だけどね。
僕は180度体を回転させ、キュ、キュ、キュとガラスに着いた曇りを拭った。
すると目の前に、小さなくぼみのようなものが二つあった。
「え………?」
どこかで見たことのあるくぼみだった。
絹のように艶やかで、薄い肌色をした平面に一つだけぽつりと存在するくぼみ。
それが二つ並んでいる。
いや、まどろっこしい言い方は止めよう。これは、おへそだ。
そしてこの浴室におへそを持つ生命体は二人しか存在していない。
視線を上に向け、曇った部分を手で拭ってみる。
すると、僕を見下ろすアルナとカーナの顔があった。
僕を、二人が見下ろしていたのだ。
(まずい………)
何がまずいかって?
察してくれ。
『ぷぅくすくす』
僕の頭上からレギオンの笑い声がしてきて、全てを理解した。
「レギオンッ!騙したなッ!
何が味方だ、この嘘つきめッ!」
僕はレギオンに向かって怒鳴った。
一方のレギオンは球体をプルプルと震わせて、してやったりと笑みを浮かべてくる。
『あれ~俺の方が勘違いしてたみたいです~。ごめんね、テヘ』
「ごめんじゃないッ!お前、なんてことをッ!」
(これがどんな悲惨な結果に繋がるのか、こいつはわかってるのかッ!?)
そう思った時、アルナが両手を伸ばしてきて僕を持ち上げたのだ。
「ま、まってッ!誤解ッ!これは誤解なんだッ!
僕は別に下心があったわけじゃなくて―」
慌てて弁解するも双子は無視。
お湯の中で立ち姿勢だった二人は、僕をゲッチュするとそのままお湯の中に身を沈めていくではないか。
まずい、水没させられるッ!
まだこの異世界に来て間もないというのに。
こんなにも早く死ぬことになるなんて思わなかった。
しかも、幼女の興味もなかった裸をちょっとした手違いで見てしまったというだけで。
死因は溺死。
冗談じゃない。
そんなの絶対にいや―
ちゃぽん………
その時、耳に水音がした。
ああ、終った、と僕はそっと目を閉じる。
きっとこれから沢山の湯が瓶の中に入ってきて、僕は水に溶けだすんだ。
そして、排水管から汚い下水へと流れて行って悲惨な最期を遂げる。
しかし、待てども、待てども、お湯が瓶の中に入ってこない。
悪霊だからその感覚がないだけなのかもしれないけど。
「なにしてんの?」
「変な悪霊です」
アルナとカーナの声が聞こえ、僕は静かに目を開いた。
すると、双子の幼い顔がランタンの中の僕を覗きこんでた。
瓶はお湯に沈められてもいないし、僕はまだ健在だった。
「あれ、僕は……生きてる……?」
「はぁ?最初から死んでんじゃん」
「悪霊は生きてません」
次々と鋭い突っ込みをいれられる。
瓶はお湯に沈められることはなく、お湯にぷかぷかと浮かべられていた。
ただ、アルナとカーナが瓶に手を触れて動かないように固定しているだけだ。
なにはともあれ助かったよ。
「ふぅ……」
「悪霊のくせに溜息ついてる」
「本当に変な悪霊ですね」
ランタンの中でぐったりとした僕を見て、アルナとカーナがまた鋭い指摘を加えてくる。
でも
(笑ってる……)
僕を覗き込んでいるアルナとカーナが微笑んでいた。
珍しい物でも見る様な目で。
(初めてこの二人が笑うのを見たな)
可愛い笑顔だ。
陳腐な表現だけど、柔らかなその笑みはとても輝いて見えた。
「普段もそうやって笑ってればいいのに」
と思わず口にしてしまう程に。
でも、双子は怒るわけでもなく、何かを言い返すこともなく、時折、瓶を軽く揺らして僕の姿を眺めていた。
少しずつ打ち解けているのかもしれない。
なんとなくそう思うようになった。
『俺のおかげだな』
「うるさい」
お風呂から上がり、ネグリジェへと着替えたアルナとカーナは授業で使っている書庫へと移動する。
アルナとカーナは5歳でありながら読書好きという変わり種だ。
毎晩、寝る前に必ず本を読むらしい。
ただ、ジャンルが様々であり、これといったパターンがない。
目についた本を片端から読み漁っていくのが二人の読書スタイルらしい。
そこへノルエールさんが二人分の温かなミルクを持ってくる。
当然、僕の分は無い。
それから様子を見に来たハウゼンも合流し、二人の読書の様子を見守っている。
僕はというと、やはりハウゼンと同じように読書をするアルナとカーナを眺めているだけだ。
そして夜も更けてきた所で読書の時間は終了し、部屋に戻った。
アルナとカーナの部屋に。
双子はしょぼしょぼとした目をこすり、眠そうだった。
生活はドきついがまだそこは5歳児。
キングサイズ、レース付きの豪華な寝具に双子はもぐりこむ。
ガラス瓶に入った僕を挟んで。
「おやすみなさいませ」
ノルエールさんは寝室から出ると同時に、蝋燭の火を消した。
それからしばらくして、僕の耳元に少女達の小さな寝息が聞こえてくる。
耳なんてないけど。
「すぅ……すぅ……すぅ……」
目とも体とも言えない球体をぐるりと回すと、目の前にアルナの寝顔があった。
子供のくせに目つきの悪い彼女だけど、今は天使のように無垢な寝顔を晒している。
反対を向けば、今度はカーナの寝顔があった。
気怠そうな半目をしているこの子も、寝ている時だけは5歳児の女の子。
『悪霊の身分で両手に花とは贅沢だな、シーザー』
と、レギオンがひそひそ声で囁いてくる。
(全く、何が両手に花だ)
僕としてはいい迷惑だ。
ガラス瓶の中に詰め込まれた僕は、アルナとカーナに抱きつかれるような格好で横になっていた。
(にしても、不思議なものだ)
僕が女の子と一緒に寝る時が来るなんて。幼女だけど。
正直なところ、僕は健全な男子高校生だった。だからこそ言える。
僕はロリコンじゃない。幼女じゃ全く興奮しない。
そしてもう一つ大事なことがある。僕はもう人間じゃない。
ハウゼンの話によると、悪霊に性別は無いらしい。
生前の記憶によって自分のことを男であったり女であったりと思う悪霊、つまり、僕みたいのもたまにいるらしいが、本来、中性的な存在だ。
だから当然、性的興奮を覚えることもない。
ただ、ふと寝入る二人の唇を見つめているとアルナとカーナも子供ではあるけど、やっぱり《女》なんだな、と思った。
薄くも、プリッとした唇。
微かに湿っていて、艶やかな光沢を放つそれは、寝息を立てる度に微かに開かれ、また閉じられる。
僕はそれをただ冷静に観察していた。
この二人は幼いのに妙な色気を持っていた。
でも、その顔立ちは完璧なまでに整い過ぎていて、少し気色の悪い顔でもある。
人というのは必ず欠点というものがある。
どんな美青年や美少年にだって顔立ちをよく見てみれば一つぐらい悪い部分があるものだ。
たとえば、唇の形がゆがんでいたり
左右で顔の輪郭が違ったり
耳の大きさが違ったり
目の大きさが違ったり
と言い出せばきりがない。
でも、それは結果として顔の持つ味になる。
アクセントになるんだ。
だけど、この双子にはそれがない。
まるで造形物のように、顔の全てが、まるで計算し尽くされたかのように左右対称に作られている。
それこそ、美の黄金律。
じっと見つめていると、まるで人形を眺めているような錯覚に陥ってしまう。
生気を感じない顔だ。
こんな顔がこの世に存在するなんて思わなかったよ。
『おいおい、幼女が好みなのか。悪霊のくせに好色だな』
「だから違うと言っているだろ、わからずやめ」
こうして僕たちの下らない夜は更けていった。