13話 ハウゼンの娘たち
「間もなくトンネルだ」
とハウゼンが言った直後、窓の外が真っ暗になる。
列車がトンネルに入ったのだ。
「このトンネルを抜ければボルメンシュタインだ。レイヴァン地方では二番目に大きな街だよ」
一番は当然ながら帝都ノイヴァンシュタインだ。
余談だがここでハウゼンが公爵として国主を務めるカラキリアス領について説明しておく。
カラキリアス公国はブラン帝国を構成する59の領邦の一つだ。
もともとハウゼンはブラン帝国皇帝ガザリウス一世が国主を務めていたブラン公国出身の貴族で、領邦の主たる家柄ではなかった。
しかし、ハウゼンの家は闇魔術における稀有の才能と、それによる軍の強化に貢献したことからカラキリアス公国を与えられ、国主にまで引き立てられた。
ここでいう軍の強化とはハウゼンはハンマーベルの戦いでも見せた、人の悪霊を融合される《死霊兵》を実用化したことだ。
これがブラン帝国の軍事力を高めたのは言うまでもない。
一世紀前に勃発した《大戦争》でも死霊兵は活躍し、帝国の不足しがちだった兵力を補うことができた。
だが、その一方でハウゼンには《死霊の操者》という渾名が付けられ、人の命を弄ぶ異常者として味方からも畏れられるようになった。
また、ローエン教皇領などの宗教派閥からは生命の冒涜者として仇敵に名指しされている。
ハンマーベル山で交戦したローエン教皇領の天馬騎空団もハウゼンを強く敵視していた。
そんなこんなで敵からも味方からも異常者として畏れられたハウゼンだが、ガザリウス一世のみが彼を英雄として扱った。
ボルメンシュタインを与えて国主に任じると共に、皇帝の次席である大公爵の爵位を与えたのだ。
ボルメンシュタインは大陸国家であるブラン帝国では珍しい海沿いの領邦であり、港がある。
また、郊外には広大な平野があり、農作が盛んで、帝国の中ではブラン公国領すらも凌ぐ豊かな領邦だった。
だが、青黒いあの土で何が育つのか全く想像が出来ない。
それがボルメンシュタインという領邦がハウゼンの物になった経緯だ。
「カラキリアスについたら僕はどうなるの?」
と、窓ガラスに映るハウゼンに訊く。
「まずは我が家に滞在し、旅の疲れを癒してくれ。その後のことはゆっくりと考えればいい」
だそうです。
国が滅びかけているというのに呑気な話だ。
そしてちょうど会話が終わった時、列車がトンネルを抜けた。
そこには相変わらず青黒い大地が続いていたけど、黄色い水たまりは無かった。
◇◇
列車はカラキリアス領邦で一番の都市、ボルメンシュタインに到着した。
時刻は朝だというのに空を覆う雲は厚く、夜と見間違えるように暗かった。
そんな暗がりの中でも異様な存在感と共に浮かび上がる巨大な街がボルメンシュタインだ。
街を守るための壁は高く、ゆうに15メートルは超えているだろう。
それがぐるりと街を取り囲んでおり、帝国にとってボルメンシュタインがいかに重要な都市かがうかがえる。
「さあ、行こうか、シーザー君。ブラン帝国へ、そして我がボルメンシュタインにようこそ」
列車の窓際に置かれている僕に、ハウゼンは客人をもてなす礼として胸に手を当て、会釈する。
それからいつも通りランタンの取手を掴み、僕を持ち運んだ。
駅を出ると、そこはもうボルメンシュタインの中心街だった。
駅周辺というだけあって高級志向の店が軒を連ね、行き交う人々の服装も裕福なものばかりが目につく。
街灯も整備されており、太陽が出ていないというのに街の中は明るかった。
立派な馬車が何台も、駅の前の整備された道を行く。
その光景は中世というよりも、産業革命時代の欧州みたいだ。
『昔とあまり変わらないな』
レギオンはどうやらこの街にも来たことがあるらしく、駅を降りた時に見える街並みは昔と殆ど変っていないと言う。
違いがあるとすれば、整備された街灯と馬車が多く道を走るようになっていたことぐらいだとか。
そして一台の馬車が駅のロータリーに入ってきて僕たちの前に停まった。
シュナイゼルが馬車の扉を開けると、ハウゼンが僕を伴ってそれに乗り込む。
続いてシュナイゼルが乗り込んできて扉を閉めると馬車は動き出した。
こういうお出迎え的なのを見ると、やっぱり領主様なんだな、と実感する。
僕は馬車の窓から街の様子を観察する。
駅周辺はとにかく大きな家と見るからに高級そうな店が犇めいていた。
道を歩く人の服装も明らかに貴族ですと言わんばかりのものばかり。
だが、馬車が進むにつれて街並みは欧州でよく見かけるような庶民的な風景へと変わっていく。
建物の背が低くなり、道を歩く人たちの格好も産業革命時代の労働者を彷彿させるようなものが目につく。
この街は駅から離れれば離れるほど庶民の割合が多くなるようだ。
でも、そんな庶民の街の向こうに大きな建造物が聳え立っている。
「あれが我が屋敷だ」
「屋敷というよりは城だな」
庶民の家々が犇めく中に城が一つ、聳え立っている。
周囲の建物の背が低いせいか、余計に城の巨大さが目立った。
流石、領主様。
「名前はボルメンシュタイン城。
レイヴァン地方の領邦では領主の住む街の名前を城の名前にするのが伝統でね。
といっても、あれは城というより年代物の骨董品だよ」
と、御謙遜なさるハウゼン様だが、庶民出身の僕からすれば城を骨董品扱いし、なおかつそこに住んでいるあなたは凄いと思う。
ただ、帝都の中心に聳える皇帝の居城、ノイヴァンシュタイン城はもっと大きく、壮大らしい。
やはり皇帝ともなると別格のようだ。
◇◇
城の入り口に到着に到着すると馬車の窓からハウゼンが顔を覗かせる。
すると、甲冑姿の兵士が門を開いてくれた。
馬車を降り、城内に入ると、玄関口からレッドカーペットが城の奥へと延びていた。
そして、レッドカーペットに添うように大勢のメイド、執事が整列し、御帰りさないませ、ご主人様、とハウゼンに深々と頭をさげる。
だが、ハウゼンはいつものことだと言わんばかりに何の反応も示さない。
彼の視線は巨大な玄関扉をくぐった時から一点を向き続けている。
レッドカーペットの先には二人の女の子が立っていた。
年齢は5から6歳ぐらいで、容姿がどことなく似ているから双子と思われる。
しかも、一目見た瞬間、こいつら性格がキツそうだなと思った。
一人はクリーム色の髪のショートヘアに、キッと吊り上がった目じりが特徴的な青い瞳をした少女。
もう一人も、クリーム色の髪を三つ編みにして肩から前へと垂らし、青い瞳を気怠そうな半目にしている少女だ。
(だが、なんだ……)
二人とも将来は間違いなく美人になると思われる整った顔立ちをしているが、何か違和感を覚える。
うまく言葉で表現できないが、余りにも顔立ちが整いすぎている気がした。
『ほう』
頭上のレギオンが二人を見て小さな声を漏らすが、僕にその真意は理解できなかった。
「「お父様、お帰りなさいませ」」
双子はハウゼンが目の前にやってくると声をハモらせながら頭を下げる。
二人とも真白なゴスロリ調のドレスを身にまとっていて、可愛らしいフリルが二人の動作にあわせてふわりと舞った。
「って、え?お父様?」
ぐるり、と僕は背後を振り返ってハウゼンを見上げた。
娘どころか孫すらいそうな老齢のおっさんがお父様?
「そうか、シーザー君には娘がいることを言ってなかったね
紹介するよ。私の自慢の娘、アルナとカーナだ」
釣り目、ショートヘアの女の子がアルナ。
半目、三つ編みがカーナというらしい。
ちなみに、アルナが姉でカーナが妹とのこと。
(にしても、なんなんだろう、この子たち……)
二人とも父親が帰ってきたというのに笑み一つ零さない。
抱きつくなり、だっこをせがむなり、子供らしい仕草を一つもしない。
それに、この二人……
(睨んでる……よね?)
勿論、僕をじゃない。
アルナとカーナはハウゼンを睨んでいる。
親の仇でも見るような鋭い眼光で。
(まさか、この子達……)
嫌な予想が脳裏を過る。
でも、ハウゼンの次の一言が僕の予想を完全に打ち砕いた。
「よく似ていないと言われるのが、正真正銘、二人は私の血を分けた娘たちだ。安心してくれ」
「なるほど」
てっきり、養女かと思ったが違うらしい。
しかし、その年でこんな幼い娘がいるなんてハウゼンも隅に置けないね。
(でも、だとするとなんなんだろう、この子たち)
なぜ血を分けた実の父が相手だというのに、この双子は厳つい表情を浮かべたまま、父を睨んでいる。
まあ、他人の家族のことを詮索するのはよそう。
家々によって事情は異なる。
「この前、手紙に書いておいただろう?これがお土産の、人語を喋る珍しい悪霊だよ」
(え?)
「お土産?」
僕が?しかも人語を喋る珍しい悪霊?
再びぐるりと体を回転させてハウゼンを振り返るが、彼は白い歯を覗かせてほほ笑むだけ。
(冗談、だよね……)
ハンマーベルの遺跡から、大勢の犠牲を払って娘へのお土産を手に入れに行ったなんてことあるわけないよね?
「ほら、凄いだろ?珍しい悪霊だよ」
だけどハウゼンは、僕をランタンごとアルナに手渡してしまう。
(ほ、本気なのか?)
双子がランタンの中を覗きこんできて、整った顔立ちがアップで目に飛び込んでくる。
澄み切った青い大きな瞳に見つめられて吸い込まれていきそうな錯覚を覚える。
本当に綺麗な目をしてる。
『ははははは、傑作だな。
人語を喋る珍しい悪霊か。確かに、土産物としてはかなり面白い』
僕の頭の上に乗っかるレギオンが一人、傑作だと笑いだした。
僕が言葉を発すまでもなく、レギオンが人語を勝手にしゃべってくれた。
なら、今後の展開は二人の反応を見て決めればいい、と思っていたのだが、僕はこの二人の少女を完全に見誤っていた。
「喋る悪霊とか……」
「キモいです……」
アルナとカーラは立て続けに毒づいてきて目つきを鋭くする。
ああ、この子達はやばい。
僕の直感がそう叫んだその時
パリィンッ!
いきなりだった。
アルナが僕を、ランタンごと床に叩きつけた。
ガラスが割れ、飛び出した僕の球状の体が目まぐるしい勢いで床を転がっていく。
視界が回る……。
気持ち悪い……。
意識が……遠のいていく……。
◇◇
酷い目にあった。
双子の第二印象は、冷徹だ。
父親から御土産を受け取った直後に平然と破壊するなんて非常識にも程がある。
僕はあの後、ハウゼンに助けてもらってなんとか事なきを得た。
ランタンも新しいのを用意してくれたが、メイドが深夜の見回り用に使っているやつを一時的に代用しているため前のより高級感が薄れた。
そして今、応接間のような場所に移され双子と対峙している。
部屋に二つ並んだソファー。
その一方に僕が座り、というか置かれ、向かいのソファーの中央にハウゼン、彼の右にアルナが、左にカーナが腰かけていた。
「いや、すまなかったね、シーザー君、レギオン君。
二人とも極度の人見知りでね。
悪霊であれば普通に接する事ができるかとも考えたのだが、君達は喋れてしまうからダメらしい」
『ま、仕方がないな』
とレギオンは特に気にしている様子はない。
だが、僕は未だに怒り心頭だ。
(何が人見知りだ)
だからといってやっていいことと悪いことがある。
しかし、双子は悪びれるどころか今もどっしりとソファーに腰を掛け、下らない話が早く終わらないかな、と言わんばかりに退屈そうにしている。
これは僕の完全な予想だが、ハウゼンは親バカだ。
あんな乱暴な態度を僕に取ったのに彼は双子を全く叱らなかったし、今だって娘たちに謝らせようともしない。
だからこんな礼儀もしらないような増長した子供に育つんだ。
将来はどんだお転婆になるのやら。
(しかもこの双子、今度は僕を睨んでるし)
アルナもカーナは僕を物凄い形相で睨んでいた。
それは顔をくちゃくちゃにして、という意味じゃない。
二人は顔を無表情に、しかし、目だけで恐ろしい眼力を発揮して僕を睨んでいた。
青い瞳の向こうに殺意にも近いものを感じる。
『随分と嫌われたもんだな、シーザー。喋る悪霊はお気に召さなかったみたいだぞ』
ニヤニヤとしながら僕を見下ろしてくるレギオンだが、もとを正せばお前が勝手に口を開いたのが原因だぞ。
「でも、共に長い時間を過ごせばきっと二人も心を開いてくれるだろう」
にこやかに呟くハウゼンに対して、アルナとカーナはあからさまに嫌そうな顔をして僕を見た。
望むところだ。
こっちこそ願い下げだね、こんな生意気な子供。
そして、僕に向けたのと全く同じ目で横に座る実の父を睨みつける。
この双子、父親のことも嫌いなのか。
「とりあえず、努力はしてみるよ」
と、ようやく僕は言葉を発した。
「ではアルナ、カーナ、今日からシーザー君は二人の使い魔だ。肌身離さず持ち歩くんだよ」
「はい」
「わかりました」
ハウゼンに言われ、渋々といった顔でうなずくアルナとカーナ。
だが待てよ。
(肌身離さずって……ていうか僕、使い魔なの?)
この世界の悪霊がどう扱われているのかよくわからないけど、あんな乱暴そうな双子といつも一緒だなんて不安だな。
こうして僕と、ハウゼンの娘であるアルナとカーナの共同生活が幕を開けた。
ちなみに、ハウゼン家のメイドと執事にも僕は二人のペット、つまり使い魔ということで話を通してあるそうだ。
人間から悪霊へ、悪霊からペットへ、異世界へきて早々、涙が止まらなくなるほどの大出世である。
いったい、ここに何しに来たんだっけ?