12話 荒涼の大地
(なんだか汚い土地だな)
列車の窓の外を荒廃しきった大地が通り過ぎていく。
ハンマーベルの戦いの後、僕らは北へと撤退した。
ヘクトリア王国の支配地域を抜けてブラン帝国領内に入り、そこから軍の車両基地にたどり着くと休む間もなく軍用列車へと乗り込んだ。
今は懐かしの蒸気機関車だ。
先頭車両の形は角ばっていて地球のデザインとは少し異なるけど、蒸気を使って動くシステムは変わっていない。
(蒸気機関はあるのに武器は中世のままか)
とちょっとした違和感を覚えたが、そこはやはり地球とは違う世界なのだと思っていったんは納得しておく。
そして僕達は今、ブラン帝国の都市、ボルメンシュタインに向かっていた。
ボルメンシュタインはハウゼンが公爵を務めているカラキリアス領の主都であり、いわば彼の本拠地だ。
地理的にはレイヴァン地方の北西に位置しており、東の帝都ノイバンシュタインとは対を成す大都市だそうだ。
ハンマーベル山が帝国の南であることを考えると、今は帝国の領土内を縦に横断していることになる。
「ボルメンシュタインに到着するには今しばらく時間がかかる。その間はぜひ、我が祖国の景色を楽しんでくれ」
ハウゼンは軍の仕事があるということでデスクワークの真最中。
山積みの書類に万年筆を走らせ、脇に控えるシュナイゼルとああだこうだと話していた。
(景色……ね……)
ハウゼン達から窓の外へと視線を戻しながら僕は心の中で大きくため息する。
異世界というからには地球じゃ見る事も出来ないような珍しい景色が広がっているんだと思っていた。
そうでなくても、ヨーロッパみたいなお洒落で綺麗な街並みを見ることが出来る。
そう期待していた。
でも現実は違った。
青黒い大地、空を覆う黒い雲、時々大地に見えるやばそうな黄緑色の水たまり。
時折、森と思わしき場所も通過したが、木々の表皮は石のような灰色で食虫植物のような気色悪い形をした葉をつけていた。
何から何まで異形の気色悪い土地だ。
何時間と窓の外を眺めているけど期待していたお洒落で綺麗な景色など、どこにも見当たらない。
まあ、地球上には存在しない景色ではあるけど。
これがハウゼンの生まれ故郷、レイヴァン地方だとはね。
『懐かしい景色だ』
と、呟くのはレギオンだ。
「懐かしい?ここの出身なのか?」
僕はこの頭上にいるちっぽけな球体のことをほとんど知らない。
そういえばハンマーベル山からここまでの間も殆ど話してなかったな。
まあ、話す必要性を特に感じなかったし、向こうも話しかけてこなかったからね。
『いや、違う。でも、《あいつ》の故郷だからな』
「あいつ?」
《あいつ》って誰だ?
はっきりしない言い方だな。
『なんだ、興味があるのか?』
「いや、特に」
久しぶりにレギオンが話したから聞いてみただけだ。
特に教えてもらえなくても問題は無い。
『どんな奴だったかっていうとな~』
「いや、別に聞いてないけど」
と言ってもレギオンはお構いなしに喋り出す。
本当に人の話を聞かないやつだ。
『一言で言うなら《クズ》だった』
「クズ?」
レギオンははっきりと《クズ》と言った。
どんな奴かを言い表すのにいきなりクズ呼ばわりされるとはそいつも哀れだな。
『正真正銘のクズ野郎さ。極度のサディストで、他人の不幸を糧とするようなゲスだ。そのくせ、女々しくて、嫉妬深くて、直ぐに癇癪を起して、自分の思うようにいかないと最後はいじけるような奴だ。加えて小心者で、神経質で、落ち着きも無かった』
なんだろう、聞く限りだと本当にいいところが一つもない。
でも、なぜかレギオンの声には怒りや呆れといった負の感情が籠っていなかった。
それよりもどこか微笑ましそうに悪口を言っているようにも聞こえる。
『ただ、人の悪意を見抜くのはぴか一だった。あいつは人というものを常に斜めからしか見ない。人の全ての行動に裏があると信じて疑わなかった。だから、悪人に騙されるようなことは一度も無かったよ』
随分とひねくれた奴らしい。
だが、ある意味いって正しい物の見方をする奴だったようだ。
確かに、人なんてそうそう信用するものではない。
何か裏がある筈だと疑ってかかった方が確実だ。
騙されて死んだ僕が言うんだから間違いないよ。
『他にもあるぞ。あいつは年齢の割に老獪で、狡猾で、とにかく悪知恵が働いた。しかも、仮面を被るのが上手で、人をだます天才だった。ペテン師という奴だな』
話を聞けば聞くほど、とんでもない悪党だということがわかってくる。
それも、大悪党ではなくちんけな方の悪党だ。
『あとは、《召喚魔術》の天才でもあった。それが突出して優れていたせいか他の魔術はからっきしダメだった。それと、アイディアマンとしてのセンスは高かったな。他人の能力も自分のために上手く活用していたし』
ふむ、召喚魔術にアイディアマン。
そう言えばこの世界には魔術があるんだっけか。
そのくせ蒸気機関車はあるのに武器が中世。
なんだが某人気ゲームに出てくるファンタジーの世界みたいだ。
科学と魔術が都合のいい割合で融合してる違和感たっぷりの世界。
気にならない人には全く気にらないかもしれないけど、僕は凄く気になる。
どう考えても矛盾してるだろ、って言いたくて仕方がない。
ま、言ったところでどうにかなるわけでもないから言わないけど。
「そんな奴と一緒だったとは随分と苦労したんだろうな」
『まあな。でも、楽しかったよ、あいつと一緒にいられた時間は』
そう言ってレギオンはどこか遠くを見る様な目で窓の外を眺めた。
急にしんみりとした空気が漂い始めて、なんとも言えない感じになる。
僕、そういう雰囲気、苦手なんだよね。
だからハウゼンの執務が終わるまでの間、ずっと無言なまま窓の外を眺め続けた。
荒廃しきった大地を。
◇◇
「さて、どこから話したらいいかね」
軍の執務を終えたハウゼンの、この世界に関する講義が始まった。
ただ、僕はこの世界のことを何も知らない真っ新なにんげ、いや悪霊だ。
ハウゼンもどこから教えればいいか顎に手を添えて考えていた。
だが、それは僕が無知すぎて困っているわけじゃない。
教えたいことがありすぎてどこから教えようか悩んでいるといった感じだ。
本当に変わってる爺さんだとしか言いようがない。
「じゃあ、ハウゼンの国について話てくれ」
と、いつまで経っても始まらないのでこちらから質問することにした。
「なるほど、ブラン帝国のことが知りたいのだね。ならばレイヴァン地方についても教えなければならんな」
よくぞ興味を持ってくれましたと言わんばかりにハウゼンの赤い目が輝きだす。
「シュナイゼル君、地図だ」
パチン、とハウゼンが指を鳴らし、シュナイゼルに地図を持ってくるよう命令した。
シュナイゼルは直ぐに命令通り大きな巻物みたいなものを持ってきて、それをハウゼンに手渡す。
巻物が開かれて壁につるされるとハウゼンによるブラン帝国講座が開始された。
「これがまず、我がブラン帝国が属するユーロピア大陸だ」
と、指棒で地図に描かれた大陸を指すハウゼン。
地図はどうやら世界地図の一部地域をクローズアップしてあるもののようで、東端から西に向かって陸地が伸び、周辺は海になっていた。
(ヨーロッパみたいだな)
第一印象は地球の欧州みたい、だった。
もちろん、雰囲気が似ているだけで一致はしていない。
ただ、突き出した半島みたいな形の地域に国が沢山あるあたりが似ている。
「そして、これがレイヴァン地方だ」
と、ハウゼンは地図の東を指した。
地図の東側には赤線で囲まれている地域があり、中心に《レイヴァン》と書かれている。
ただ
「でかいね」
そう、大きい。
地図の東地域全体がレイヴァン地方になっている。
「地図には縮尺上、レイヴァン地方の一部しか入っていないが東にはもっと広大な大地が広がっているよ。
まあ、その全部を見たいとなると世界地図を持ってこないといけないがね」
つまり、東西に跨る広大な大地というわけか。
「そしてこれがブラン帝国だ」
と、ハウゼンはレイヴァン地方の中央部から地図の端っこまで続く灰色の国家を指した。
そしてこれまたデカい。
地図に領土が入りきっていない。
「レイヴァン地方は古代レイヴァン帝国の本拠地だったことから付けられた名前だ。
だが、レイヴァン帝国滅亡後は59の国に解体され、そのうちの一部は列強の支配下にある」
ハンマーベル山も、もともとはバルケン公国という帝国崩壊後に生まれた国の中に位置していたが、今はヘクトリア王国によって武力で制圧され、吸収されてしまったそうだ。
他にも、赤線の内側には黒線が血管みたいに走っていて領域内を区切っている。
といっても、ブラン帝国以外の国はどれも小さくて、他のユーロピアにある国と大きさが変わらない。
それに、区切られた国の数を数えてみるけど59もない。
つまり、残りの国は地図の外、もっと東に位置しているということだろう。
「一つ気になったんだけど、どうして半神族はこんな荒廃した土地に住んでるの?」
失礼な質問かもしれないけど、ハウゼンの故郷というレイヴァン地方は余り人の住みやすい土地とは思えない。
地面は青黒いし、空は分厚い雲で覆われているし、時折、見かける木々や植物は異形で不気味なものばかりだ。
「確かにレイヴァン地方は他には類を見ないほど荒廃した土地だ。
生きるには厳しく、辛い土地であることには違いない。
だが、我々、半神族にとってここは住み慣れた故郷であり、始まりの地なのだ」
「始まりの地?」
『レイヴァン帝国』
と、僕の疑問に答えるかのようにレギオンが口を開いた。
『この荒れ果てた地で産声を上げた半神族の帝国の名だ』
そこから講義の内容が地理から歴史へと切り替わった。
「我ら半神族は太古の時代から人間を始めとする多くの種族から《迫害》を受けてきた。
それこそ奴隷のように扱われ、人として扱われることもなかった。
故に、今から4000年前、半神族の先祖たちは安住の地を求めて未開だったレイヴァン地方に移住してきたのだ」
だから始まりの地、というわけか。
だが、疑問は残る。
「なぜ半神族は《迫害》を受けたんだ?
半神族は神の血を受け継ぐ種族なんだろ?」
迫害されるどころかむしろ神聖な存在として扱われそうなものなのに。
『神は神でも半神族がひいていたのは《魔神》の血だ』
「それが迫害された理由?」
「そうだ。
魔神はもともとこの世界を作り上げた最高神の奴隷で、奴隷を司る神だった。
最高神がこの世界の設計図を描き、それに沿って築いたのが魔神だと言われている。
だが、魔神はある時、神に対して反乱を起こした」
「奴隷の身分に嫌気でもさしたのか?」
『いや、《女》だ』
「女?」
レギオンが意外な言葉を口にする。
魔神が反乱を起こす理由が女とは。
『この世界にはドラゴンという生き物がいる。
世界の始まりから終わりまでを見届ける、不老不死の生き物だ。
魔神は最高神が遣わしたそのドラゴンと恋に落ちたのさ。
でも、ドラゴンは最高神からの命令で、世界が滅亡するその日までこの世の行く末を見届けなければならなかった。
魔神はドラゴンをその役目から解放し、一つになるために戦いを挑んだのさ』
「情熱的な話だな」
元の世界でも男の神が女神と恋に落ちるっていうのは王道パターンだ。
特に、男の神の女垂らしっぷりはやばい。
そして、嫉妬に駆られた女神の報復もおっかない。
それと比較するとこの世界の魔神は中々に見上げた奴だ。
奴隷の神でありながら惚れた女のために自分よりも強い存在に挑むなんて。
『だが、戦いを挑むには魔神と最高神とでは大きな力の差があった。
それを埋め合わせるために魔神は優れた3人の人間の女を選び抜き、子供を産ませた。
それが世界で最初の半神族、《ブラン》、《ヴォルデミア》、《サラディン》の3人だ』
だが、勘違いするなよ。3人は男ではなく、女だ。
魔神は3人の娘に魔術をはじめとする戦いの術を教え、屈強な戦乙女へと育て上げた。
そして魔神は一匹のドラゴンと半神である3人の娘と共に最高神に戦いを挑んだ』
「で、結果は?」
『一度は勝った。最高神を敗北させ、世界の頂点の座を手に入れた。
だが、一瞬の隙を突かれて敗北し、魔神は殺され、ドラゴンは奈落の底へと落とされた。
魔神の娘である3人の半神は女であることを理由に命だけは救われたが、最高神に犯され、子を宿された状態でこの世界に捨てられた』
えぐい最高神だ。
だけど、こっちの世界にも最高神が人間の王の妻を、夫に変身して寝取った有名な話もある。
『その後、3人の娘達は最高神との間の子を産み、その子孫が《ブラン人》、《ヴォルデミア人》、《サラディン人》になった』
「それってつまり、半神族には3つの人種があるってこと?」
「その通りだ。
といってもどう半神族を3つの人種に分けるかは難しいのだが《容姿の違い》で区別するというのが一番わかりやすいだろう。
ブラン人は金色の髪に赤い目を持つ。
サラディン人は真紅の髪に青い瞳。
ヴォルデミア人は黒い髪に青い瞳。
もちろん、例外もあるが基本的にはこんなところだろう。
ちなみに私はブラン人だ」
「なるほど。半神族がどうして誕生したのかその経緯はわかった。
ただ、半神族が最高神と半神との間の子孫なら血の割合がおかしくないか?」
どうでもいい突っ込みかもしれないが、それだと神と人の血は半々じゃなくてスリークォーター、つまり、四分の三が神の血ということになる。
「それについては諸説ある。
ブラン、ヴォルデミア、サラディンの3人は自分達が《半神》であるということに誇りを持っていたため、最高神との間の子供達にも半神であると教え込んだという説。
また、ブラン、ヴォルデミア、サラディンが人種として区別さるまでの大きな民族集団になる過程で人間との交わりが進み、血の濃さが半々になったから、という説もある」
「なるほど」
それで半神か。
『だが、地上での暮らしは楽なものじゃなかった。
ブラン人、ヴォルデミア人、サラディン人は最高神に反乱を引き起こした魔神の子孫としてありとあらゆる種族から迫害を受けた。
魔神がドラゴンとの恋を成就するためだけに作り出した、《生きた兵器》だとね』
神様と人間が作り出した《生物兵器》か。
なかなか面白いたとえをする。
「そこで話は4000年前に戻るわけだ。
我らの祖先は迫害から逃れるために荒廃したこのレイヴァンの地に移り住み、国を興したわけだ。
でも、それですべてが終わったわけじゃなかった。
この地は住むに辛く、生きるに厳しい荒れ果てた大地。
大勢の半神族が命を落とし、そして豊かな土地への憧れを抱くようになった。
そんな時、一人のカリスマが半神族に現れた。
それがレイヴァン皇帝だ」
レイヴァン、半神族の住む大地の名前にもなった人物か。
彼の名を口にした時、ハウゼンの眼には強い敬意が垣間見えた。
この狂人ですら崇拝する英雄なのだから、半神族にとっては神のような存在なのかもしれない。
「彼は敗北の民であった半神族をまとめ上げ、強大な帝国を築き上げた。
そしてレイヴァン皇帝のもとで比類なき力を養った半神族は、自らの生存をかけて世界に戦いを挑んだのだ。
それが4000年前の戦争、《レイヴァン・リベリオン》だ」
「その戦い、勝ったの?」
『いや、負けた』
と、レギオンが答えた。
『戦争の終盤まではレイヴァン帝国が勝ち続けていた。
だが、最後の決戦でレイヴァン皇帝が聖騎士ローエンに討ち取られ、帝国は崩壊
半神族の生き残りをかけた戦いはあと一歩というところで敗北したんだ』
「聖騎士ローエン………」
名前から何となく想像がつく。
「ローエン教皇領」
『そうだ。4000年前、レイヴァン皇帝は聖典騎士団の騎士ローエンに討たれた。
そしてローエンは教皇領を建国しその初代法皇になったんだ』
「さっきからレギオン、お前、昔のことに随分と詳しいな」
《虚無の世界》とやらに封印されていたのに。
『俺もその時代にいたからだ。
《レイヴァン・リベリオン》をレイヴァン皇帝の下で戦った。
だが、皇帝が死に、帝国は崩壊、俺もまた敵に敗れ虚無の世界に封印された』
そんな経緯があったのか。
「だが、戦いは終わっていない」
とハウゼンは赤い眼に強い意志を滲ませた。
「ローエン教皇領とユーロピアの人間国家は連合を組み、幾度となくレイヴァン地方に侵攻してきた。
我ら半神族も、レイヴァン帝国は崩壊したが互いに結束し、母なる大地を守るための戦いを続けている
しかし」
とハウゼンがわずかに声のトーンを落とした。
「残念なことに我々は負けつつある。
一世紀ほど前から連合軍は《大戦争》と呼ばれる大規模攻勢を仕掛けてきた。
我らは総力を挙げて戦ったが、圧倒的な物量の差に押しつぶされ、敗北を繰り返した。
領土を失い、同胞を失い、この百年の間にレイアヴァン地方東部にあった半神族の国々が滅んだ。
そして今はブラン帝国領内にまで敵が深く入り込んできている」
つまりもう、後が無いってことか。
荒れ果てた大地の奥深くまで、半神族を滅ぼすためだけに攻めてくるローエン教皇領、そして人間の国家群。
何が彼らをそこまで突き動かすのだろうか。
よほどの思いがない限りできないことだ。
「我々はどんな犠牲を払っても奴らには負けるわけにはいかない。
如何なる手段を用いても、絶対にだ」
そう言ってハウゼンはいつもの狂気じみた笑みに強い怒りをにじませた。
(やれやれ、寄生しようと思った先が滅びかけの帝国だったとはね)
これから僕が行くブラン帝国。
そして半神族の世界。
その全てが滅びに瀕している。
運命をかけた決戦は近いのかもしれない。
この荒れ果てた大地のどこかで。
次回 ハウゼンの娘たち