9話 魔神の産まれた日
「我々はこの巨石を調査してきたが、一体、何なのかまるでわからなかった。しかし、こうして近くに寄るとまるで人の心臓のような鼓動が聞こえてくる。不思議だと思わないかね?」
宙に浮く、巨大な卵型の赤黒い石を前にハウゼンがそう問いかけてくる。
君ならばこの謎の正体がわかるのではないか、と。
だが、僕にその正体がわかるわけもない。
「しかも、この巨石は何者かによって結界を施されている。だからこれ以上、近づきたくても」
ハウゼンが手のひらを前に差し出すと、バチリッ!という音と共に赤い静電気のようなものが走った。
同時に、ハウゼンが触れた《見えない壁》の部分に赤黒い魔法陣が浮かび上がる。
「見ての通りだよ。我々は持てる知識を動員して解術を試みたが全て無駄だった」
しかし、とハウゼンは続ける。
「これは私の直感でしかないのだが、この巨石はArmedと深く関係があるのではないかと考えている」
Armed、今、ハウゼンは確かにそう言った。
そして僕はこの世界でArmedと呼ばれる存在らしい。
目の前の巨大な石と僕との間にも何かの関係性があるかもしれない。
ハウゼンはそう思って僕をここに連れてきたらしい。
「Armedが伝承通りの存在なら、我がブラン帝国は狂信者のエルフ共と愚鈍な人間共を地上から一掃できる。そして我々、半神族が再び世界を支配する日がやってくるのだ」
ハウゼンはどこぞの悪役みたいな台詞を口にする。
随分と物騒なことのためにArmedとやらを欲しているようだ。
『くだらんな』
うん、全く僕も同じことを思っていた。
下らないよ、本当に。
中二病痛々しいとはまさにハウゼンのことだ。
いい年の老人が世界征服とか恥ずかしくて聞くに堪えな……
「え?」
今の、誰の声?
明らかにレギオンの声とは違う。
じゃあ、誰がハウゼンに向かってそんな吐き捨てるような言い方をしたのか。
その答えは僕たちの背後にあった。
ドカァンッ!!
巨大な門に一瞬、白い大きな魔法陣が浮き上がった。
直後、門は木端微塵に吹き飛び、その前で待機していたブラン兵達が肉塊と化した。
そして、巻き上がる土煙を切り裂いて出てきたのは目を見張るような真っ白な甲冑に身を包む騎士だった。
僕のイメージそのままの、凛々しく、清廉な姿をした騎士。
極めつけは背中から生えている純白の羽根だった。
しかも体躯は、三メートルはあろうかという巨体。
天使、その言葉が脳裏を過る。
あれは武装した天使の姿だ、と。
その周りにはペガサスに跨る騎士たちが控えていた。
「閣下ッ!」
シュナイゼルが即座にハウゼンの盾になるよう前に出て、腰に差している剣の柄を握った。
しかし、小柄なシュナイゼルではハウゼンの長身を全く隠しきれない。
『ヴィルヘルム・フォン・ハウゼン。お前たちの存在は世界を歪ませる。お前たちはこの世界に存在してはいけない命なのだ』
天使は白銀の剣を僕たちに向けながら、そう言い放った。
◇◇
(やれやれ、もうここまで来たか)
ハウゼンは門を突き破ってきた天使を前に嘆息する。
《天使変化》の力は伊達ではない、と。
『兵士たちに死霊術を施していたようだが、我ら天馬騎空団の敵ではない』
カターリナ率いる10名の騎士は最高位の光魔術を使用できる。
加えて、カターリナは天使への変身が可能だった。
天使と直接、誓いを交わし、神のため、聖典のために戦うことを条件にその力を一時的に得ることが出来る。
天使化したカターリナの前には死霊兵といえど敵ではなかった。
神殿の入り口で戦っていた兵士達も瞬く間に一蹴されたのだろうとハウゼンには容易に想像がついた。
「閣下、どうしますか。必要であればここは僕が」
シュナイゼルがわずかに振りかえりながら小さな声でハウゼンにお伺いを立てる。
しかし、ハウゼンは静かに首を振って
「君を戦わせるわけにはいかんよ。そんなことをすれば、生きて帰れても御父君に首を刎ねられてしまう」
と、また物騒な会話をする二人。
「君が戦うのは最悪の場合だけだ。今は下がりたまえ」
「はい、わかりました」
シュナイゼルは素直に頷くと、剣の柄から手を離し、ハウゼンの脇へと移動した。
『貴様は魂をもてあそび、神を冒涜した。その罪により我ら聖典騎士団は貴様に死を与える』
白銀の剣先をまっすぐにハウゼンへと向けたままそう宣言するカターリナ。
それに対してハウゼンは動揺する素振りもなく、やれやれ、と首を振った。
「それを貴様たちが言うとは滑稽だ。数えきれない半神族を、ただ邪悪だと言って虐殺してきたお前たちが」
ハウゼンはしみじみとした表情で武装した天使を見て、焼けただれた頬を吊り上げるように笑みを浮かべた。
「君から逃げるのも今日で終わりだよ」
ハウゼンは長い間、ずっとカターリナ率いる天馬騎空団に追われ続けてきた。
死霊術という禁忌を犯し、生命と魂を冒涜した罪によってだ。
だが、ハウゼンは天馬騎空団の目を狡猾な手段を屈指して逃れてきた。
その分、多くの犠牲も払ったわけだが。
そして今も、彼は素直に死を受け入れるつもりはない。
カターリナもそれはわかっている。
だが、ハウゼンに何の手が残されているのだろうか?
『自慢の死霊兵達が消滅した今、貴様に何が出来る』
ハウゼンの指揮下にいたブラン兵達は全てカターリナが殺した。
ハウゼンに打つ手は残っていない。
「確かに兵はいない。だが、私には彼がいる」
ハウゼンは愉悦に満ちた表情で手に持っているランタンを見た。
何の変哲もないランタン、あれのどこが《彼》という存在なのか。
気でも触れたのかと、カターリナが思いかけた時だった。
(ん?なんだあれは?)
ランタンの中で蠢く黒い何かが見えた。
◇◇
まずい。
僕は現れた天使を見てそう直感した。
翼を羽ばたかせながら優雅に宙を舞う騎士。
その全身から漂う神聖なオーラと太陽を連想させるような煌びやかな甲冑。
その姿はまさしく武装した天使だ。
圧倒的な存在感と共に神々しさを感じる。
目の前の天使は紛れもない強者だ。
遥かなる高みから僕達を見下ろしている。
そればかりか、天使の周囲にはペガサスに跨る騎士たちが数十人。
凛としたその姿から精鋭中の精鋭であることがわかる。
では、この天使たちの一団の目的は誰か。
半神族、初めて聞くその単語と
『お前たちの存在は世界を歪ませる。お前たちはこの世界に存在してはいけない命なのだ』
というて天使の言葉から容易に察することができた。
ハウゼン達の種族はこの世界の爪弾き者だ。
しかも、その種に属しているという理由だけで殺されるぐらい世界から忌み嫌われている。
でも、この世界に来たばかりの僕になぜハウゼンの種族が世界の敵となっているのかわからない。
それなりの理由があるのか、それともただの言いがかりなのか。
でも一つだけわかることがあった。
ハウゼンは異常者だった。
一目見たときからそうだって思っていたけど、この老人、俗に言う死霊術師の使い手だったようだ。
この世界にどんな神がいるかは知らないが異端を排除しようとするのはどの宗教でも同じだろう。
天使を使役するような組織ならなおのことだ。
そんな彼らをハウゼンは、《聖典騎士団》と呼んだ。
《ローエン教皇領》と呼ばれる国家か組織かに属している、おそらくは異端専門の討伐部隊。
《天馬騎空団》という名前からペガサスを駆る部隊であることも理解できる。
問題なのは十中八九、その部隊が精鋭であるということ。
こういった部隊に所属する者は必ずといっていいほど敬虔な信者だ。
神の教えに背く者に対しては一切の容赦もしない。
むしろ、強い信仰心故に神のためとあらばどんな事でもやってのける。
その証拠に、天使はハウゼン達の種族を《存在してはいけない命》と言い放った。
この場にいる全員は残らず皆殺しにされる。
ハウゼンによってこの世に召喚された僕も始末されるかもしれない。
なにせ、異端の生み出した邪悪な産物だ。
彼を討伐に来た連中が僕を生かすはずがない。
「私には彼がいる」
そう言ってハウゼンは武装した天使に見えるよう、ランタンに閉じ込められている僕を持ち上げた。
「え?」
なぜここで僕なんだッ!と、僕はハウゼンを振り返る。
僕はまだこの世界に産まれ出たばかりの無力な悪霊だ。
出来ることは何もない。
なのに、その僕をなぜ天使たちの目に着くようにしたんだ??
しかし、僕の強い眼差しに対してハウゼンは焼けただれた頬を持ち上げ、白い歯を覗かせるだけ。
老人の物とは思えない、真白で健康的な歯を。
『お前が手にしているのは悪霊か?』
武装した天使はランタンの中にいる僕の正体に気付き、鋭い眼光で射抜いてくる。
『見たところ珍しい種類の悪霊のようだ。貴様が産みだした新種といったところだろう。だが、そんな雑多な霊魂で何をしようというのだ』
天使の言うとおり、僕にできることは何もない。
そう、何も。
『たとえ何が立ちはだかろうとも私は貴様を倒す。貴様によって弄ばれた人々の無念をここで晴らすのだッ!』
天使は剣を構え、真っ白な翼を羽ばたかせる。
僕とハウゼンめがけてその巨体を突撃させてきた。
しかし、ハウゼンは動かない。
歪な笑みを浮かべたまま根を生やしたようにその場に立ち尽くしている。
でも、このままでは僕も。
(結局……終わるのか……?)
この世界で死んだら悪霊である僕はどこに行く?
御父さんと御母さんの所に帰れるのか?
無理だ……。
ここはもう僕の知っている世界じゃない……。
御父さんと御母さんの所には帰れない……。
仮にこの世界に天国と地獄があったとしても二人に会うことはできない。
(じゃあ僕は……何のためにまた殺されるんだ……?)
僕はあいつらに《鬼子》と呼ばれ、苦しめられてきた。
あいつらにずっと奪われ続けてきた。
その果てに命まで奪われた。
そして家族と幸せに過ごす最後のチャンスも奪われた。
なのにまた、こんな所で奪われるのか……?
地球に帰ることもできずに、父さんと母さんに会うこともできずに、この世界に呼び出されて意味もわからないまま死ぬのか……?
(なんだよそれ……)
「そんな……そんなことって……」
あってたまるかよッ!
(そもそも話を聞いていた時からムカついてたんだッ!)
何がローエンだ、聖典だッ!
お高く留まりやがってッ!
神の教えに従順なお前達はそんなに偉いのか?
自分達には一切、間違いがないと思っているのか?
憎い……憎たらしい……。
自分達の価値観からそれたものを全て悪と決めつけて、好き勝手に奪っていきやがって。
奪われた側の気持ちすら考えようともせず、ただ当然とばかりにすまし顔をしやがって。
禁忌の果てに産まれて何が悪いッ!
目が赤くて何が悪いッ!
髪が白くて何が悪いッ!
何一つ選べなかった僕の何が悪いって言うんだッ!
思い上がったごみ共めッ!
他者を傷つけるだけの害悪のくせして、常にお高くとまりやがってッ!!
僕の人生はお前達みたいな奴らのせいでめちゃくちゃにされたんだッ!!!
殺してやる……殺してやる……殺してやる……殺してやる……!!
ドックンッ!ドックンッ!ドックンッ!
ドックンッ!ドックンッ!ドックンッ!
ドックンッ!ドックンッ!ドックンッ!
ドックンッ!ドックンッ!ドックンッ!
ドックンッ!ドックンッ!ドックンッ!
心臓が異常なまでのスピードで脈打っている。
もちろん、僕にはもう心臓なんてない。これは生きていた頃の感覚の名残。
まだ人間だった頃ならばこれぐらい激しく心臓が鼓動していたんだろう。
それほどまでに僕は、僕を虐げようとする奴らが許せなかった。
奪われ続ける人生を繰り返すのに飽き飽きしていた。
奪われるぐらいならいっそ奪う側になってやるッ!
そして、僕を殺そうとするやつは一人残らず
「コロシテヤルウゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!!!」
眼前に迫る、武装した天使。
その白銀の切っ先は僕達を向いていた。
刃が僕のランタンのガラスへと突き刺さり、霊魂である僕を滅ぼそうとしたその時だった。
『なら、奪ってやろうぜ』
バチィィンッ!
赤黒い魔法陣が僕たちの正面に浮かんでいた。
天使の剣はその魔法陣を貫けず僕達の目の前で止まっていた。
まるで固い岩石に切っ先を突き当てたような甲高い音が響き、天使は驚いたように背後へと飛びさる。
『なんだッ!』
ついさっきまで存在しなかった謎の結界。
それが僕とハウゼンを守っていた。
『ようやくその気になったか。遅いぞ、シーザー』
レギオンが僕の頭上で待ちくたびれたような声を漏らす。
僕の今の気持ちがレギオンの待っていたものと同じなのかはわからない。
でも、もう奪われるだけの人生はうんざりだ。
僕は悪くないのに、皆、僕から奪おうとする。
父さんと母さんの所に行けるならそれも甘んじて受け入れよう。
でも、それすら叶わないなら
「僕はこの世界で……」
奪う側に回ってやるッ……。
奪うことが勝者の条件なら、奪って、奪って、奪いまくって……。
遠い昔に捨てた夢の先に進んでやるッ!
(僕はこの世界で《独裁者》になるんだッ!)
『了解だ、シーザー。貴公の承認を持って戦闘用外殻(Qliphoth)、《レギオン・バチカル(レギオンの心臓)》を起動する。さあ、惨劇の幕を開けようじゃないか』
次回 三面六臂の騎士