19話 利他主義者の継接
真夜中。雨音だけが反響する静かな診療所。
今日の仕事を終えて自分の部屋に戻ろうとした矢先、ドアを叩く音が響いた。
一体誰がこんな時間に来たのか。少し緊張感を持ちながら扉を開ける。
「すみません。今日の診察は終了してまして……」
すると、ハインくんが居た。
雨に濡れたシンプルな部屋着で、いつもの洒脱な格好ではない。
覇気もなく扉の前で立ち尽くしている。顔に生気がなく、幽霊のようだ。
「あ〜……そうか」
ここに来た理由は大まかに察せる。
「よく来てくれた。歓迎するよ」
こんなに危うい状態で帰らせたら取り返しのつかないことになる。
俺は大袈裟に、それでいて丁寧に、ハインくんの心が傷つかないように振る舞った。
「寒いだろうしシャワー浴びてこい。この診療所のを使っていいから」
目線が定まらず、足元がおぼつかない。
背を丸めてゾンビのようにふらふらと、よろめきながら歩いている。
「……ごめんなさい、ありがとうございます……」
消え入りそうな声でそう呟く。
悲しそうな辛そうな泣き顔が痛ましい。
シャワールームにハインくんを入れている間に、俺の服とタオルを持ってくる。
……軽い食事もあった方が良いか。
夕飯用に作っていたスープを自室から持ってきた。
「スープ飲めるか?」
「……はい」
「まぁ、家だと思ってリラックスしてくれ」
ハインくんが食事をしている間に問診の準備を整える。
(あれ?さっきまで片付けしてなかった?今から仕事するの?)
(急患だから仕方ない)
(急患……?見たことある気がするんだけど、誰だっけ?)
(ハイン。ほら、例のイケメンの)
(ん〜?……あぁ!たしかに!)
(雰囲気が全然違うし、同じ人とは思えないね)
(酷く衰弱してる。身体というよりは精神的に、だが)
(そういえば急患の受け入れなんてしてたっけ?)
(普段はしてないな。診療所とは名ばかりで、実態は整体だから)
(しかし、今回は別だな。ハインくんは特別扱い)
(お世話になったから?)
(それもあるが……そもそも診療所に来いって言ったのは俺だし、何よりここで見捨てたら死にそうだし)
呆然としながらスープを口に運ぶ様を見ているだけで、こっちまで気が落ち込みそうだ。
あの様子じゃ味も分かっていないだろうな。
(見ているだけでも暗い雰囲気が伝わってくるよ)
(ちょっと前まで沢山の人に囲まれて大人気だったのに)
(イケメンで天才で人当たりがよくても、本人が幸せかどうかは本人しか分からないからな)
食事が終わったようなので、食器などを片付けて対面。
「あの、食事ありがとうございました」
「どういたしまして」
「えっと、カイト先生、治りますか?」
「……う〜ん、何とも言えないな」
ここは嘘をつけない。
「心の問題は詳しい話を聞いて原因をはっきりさせないと」
「そう、ですか。ごめんなさい」
そう言って、立ち上がって帰ろうとする。
「まぁまぁそう急がずに。座って座って」
「いきなり深い話をするのも難しいだろうし、雑談するか」
「雑談ですか?」
「今回来てくれたのって、前に来いって言ったから?」
「はい、それを思い出して、勇気出して来ました」
「それは嬉しいね」
「ハインくん……ハインで良いか?」
「はい。もちろん」
「ハインって誰かに相談したことある?」
「僕は受けることは、多いんですが……あの、する方は記憶にない、ですね」
「それなら尚更嬉しいね」
「そう、なんですか?」
「SOSを出すのは大事だし、友人に頼られて悪い気はしないよ」
「その、ご迷惑なんじゃないかと、思って」
「迷惑とは思わないが、生きていれば誰でも迷惑をかける。その辺りはお互い様だろう」
「ところで、やっぱり一人称違うな」
「あっ」
「自然で良いと思う」
「そう、ですか?」
「そうそう。無理して気取った話し方をする必要はない」
水を飲んでお互いに一息つく。
「それで、話を戻すんだが……」
「悩み相談なら友人として受けられる。それで良ければ話を聞かせてくれないか?」
他にプロがいればその人に繋ぐべきなんだが、存在しているのかすら分からないからな。
「……ごめんなさい」
「話せないってことか?」
ハインは頷く。
「まぁ、無理に聞き出す気はないよ。話したくなったら言ってくれ」
調子が良い時と悪い時。その波が必ずある。
また今度調子が良さそうな時にでも話を聞こう。
「じゃあハインはどうしたい?」
「家に帰りたくない……です」
「……お姉ちゃんに言わずに家を出ました。知り合いに会いたくないんです。どうしても」
「そうか……」
「問診の最初、どこに行くつもりだったんだ?」
「……」
あそこで帰してたらやばかったな。
「じゃあ暫く泊まっていくか?」
「良いんですか?」
「家出なんて珍しくもないしな。気にせず好きに過ごしてくれ」
「今日は取り敢えず布団だけ大家に借りて、空いてる部屋がないか聞いてみる」
「明日は診療所休みだし、朝になったら色々決めるか」
「……あの、どうしてカイト先生は、僕を助けようとしてくれるんですか」
「ハインだってそんな風に他人に奉仕してきたんじゃないのか?」
「僕にはそれしかなかったから。でも、カイト先生には理由がないじゃないですか」
「理由がないと安心できないか?」
ハインは俯きながら頷く。
「そうだな……まず、色々と恩があるな」
その前置きから、俺は今までのハインから受けた恩を細かく語る。
道案内から始まって、町を救ったこと、細やかな気遣いをくれたこと。
小さなことでも丁寧に話すよう心掛ける。
「それに、目の前に衰弱した奴が居ればなんとかしようと思うだろう。特に友人ならな」
「他にも欲しいなら理由を考えてもいいが、俺がそうしたいと思って勝手にそうしているだけだ」
「金銭が発生していないから無責任に色々とできるという面もあるし」
「だから本当に気にしなくていい」
「……」
ハインは俯いたまま、言葉に詰まって、震えていた。
俺は雑務をこなした後、自分の部屋に戻って夢現図書館へ。
話してくれるまで具体的な提案はできないが、それでも知識でサポートできるはず。
次の朝。朝食や諸々の雑貨を買った後。
診療所に入ると、ハインは布団の上で座りながら虚空を見つめていた。
昨日よりも疲労の色が濃いように見える。
「おはよう。寝てないのか?」
「はい。あの、目が冴えちゃって……」
長時間寝られないと身体が回復せず、次の段階に進めない。
「それなら、好きなだけ寝れるようにするのが最初の目標だな」
「どうすればいいですか?」
睡眠薬でもあれば話は早いんだが、そういうのはないので、
「そうだな……瞑想するか」
「瞑想ですか?」
「ああ、座って目を瞑って深呼吸しよう」
「俺のやり方を真似てみて」
「はい」
「呼吸に集中して、何か考えても呼吸に戻る」
「感情を眺めると感情は落ち着いてくるはずだ」
自律神経を整える為にも深呼吸は良い。
だが、ハインは3分も保たずに瞑想をやめてしまった。
数分の瞑想ができないとなると、かなり深刻だ。
「どうだった?」
「すごく苦しかったです。何もしていないと頭の中がモヤモヤして」
「何を考えてるんだ?」
「休んでいていいのか。何かしてなきゃいけないんじゃないか。なんで、自分は動けないんだって」
もう休んでるんだから、休むかどうかを悩むのは無駄だと思うが。
「”〜しなきゃいけない”は口癖?」
「あの、口癖というか、頭の中でいつも考えてるから出てきた感じです」
「”〜しなきゃいけない”が生きていく上で必要だったのは理解している」
「だけど、それは心の毒だよ」
「毒、ですか?」
「ああ。その思考はオススメできない。特にハインの心が摩耗している今はね」
「”嫌なことを思い浮かべるな”と言っても難しいだろうから、嫌な思考をしてしまう自分を受け入れるようにするといい」
「わかりました」
「方法は問わないが寝れないと前に進めない。後で参考になる本を渡すから寝る前に実践してみてくれ」
「はい」
(って事で、翻訳よろしく)
(りょ!)
(と、言いたいところだけど、不満があります!)
(ハインくんを呼び捨てにする前に、私を呼び捨てにするべきだと思うんですが!親密度的に!)
(……確かに一理ある。桜)
(分かってくれればいいんだよ、海斗)
(……こっちも呼び捨てでいいよね?)
(なに不安そうにしてんだ)
そんな話をしながら朝食を食べ終わった後、
「ここで1つ提案。外に出ないか?」
心と身体は繋がっているので、片方が悪いと悪化するし、片方が良ければ回復する。
だから、回復するには運動も、日光を浴びるのも大事だ。外なら気晴らしもできるし。
だが、ハインは嫌がるだろうな。
「あの……」
「言いたいことはわかる」
「無理強いはしないが、対策は考えてきた」
「これを着けてみな」
変装の定番。帽子や伊達メガネを着させる。
ふむ。
似合っているが、熱狂的なファンにはバレそうだ。
高身長と端正な顔立ちが裏目に出ている。
「あの、ごめんなさい。本当に知り合いに会いたくないんです。絶対に気付かれない変装じゃないと外に出れません」
この変装で納得してくれるなら楽だったんだが、仕方ない。
「それなら良い魔法がある」
「……良い魔法ですか?」
椅子に座らせて、対面で変身魔法を使う。気分はまるで美容師だ。
「実際にやると、綺麗な顔と身体を汚すのに罪悪感あるな」
「大丈夫です。未練はありませんから。むしろ分相応になったと思います」
「言っておくが、いつでも元に戻せるからな」
肉を盛って太ったように見せかける。
「よし、できた」
「これは……すごいです」
「メイクに時間がかかりすぎるのは良くないから、派手なことはせず目立たない小太りの青年っぽくしてみた」
「この魔法も自分で使えた方が良いだろうし、後で教えるよ」
「ありがとうございます」
「次は外に出て何をやるか考えるか」
「ストレスを感じた時にどういう対策をしてるんだ?」
「その、わかんないです」
「それなら、ストレスがあることを自覚して、それをどうやって発散するのか考えるべきかもな」
「そういえば何か好きなものないのか?」
「えっと……」
「なんでもいいんだけどな。好きな遊び、好きな食べ物、好きな物語」
「……」
ハインは俯いたまま動かない。
長い沈黙。
目を瞑って待っていたら、頭がふらふら。
思わず寝そうになってしまった。
「……ないか。本当に好きなものって意外と分からないものなのかもな」
自分を知って、自分を労る。それは、自分自身の感覚と照らし合わせながら探していくしかない。
ハインはそれが全くできていないんだろうな。
「好きなものを見つけて、自分の機嫌を取れるようになる。それが目標だな」
「そのために、今日は俺と一緒に色々と見て回るか」
「はい」
「好きなものを見つけろ」と言ったが、この町は娯楽が少なくて困る……まぁ、これは娯楽漬けの現代人からの評価だが。
さて、どうしようかと考えながら宿を出て道に出ると、その瞬間から通行人の視線に晒される。
俺が横目に見られるのはいつものことだが、それだけではない。俺の後ろの人間にも好奇の視線が集まっている。
顔も体型も全く違うのに加えて、姿勢が悪く目線も下に向いている。
これで元のハインを想像できるわけがない。
ハインだとバレているわけではなく、医者の隣にいるのは誰だ?という怪訝な視線。
だが、ハインは俺の後ろに隠れながら視線を回避しようとしている。
こちらを一瞥もせずにすれ違うだけの人に対しても警戒心を解かない。
さて。
「先に図書館に行っていいか?」
「は、はい……大丈夫で、ですけど」
「本を読んでいる時間は良い息抜きになる。特に今のハインにとってはな」
「それに、知識を持っていると複雑なことを考えられるようになるし、客観的に物事を考えられる」
無知が不安、恐怖の原因であることが多い。だから知って克服する。
「俺が寄贈した本も幾つか置いてあるから、適当に読むと良い」
と言ったが、視線が気になって聞いているのか聞いていないのか。
「じゃあ、行くぞ」
「最近町の図書館がどうなってるか知ってるか?」
「いや、最近行けてなくて」
「色々と変わっていて驚くぞ」
図書館に到着。開館直後でまだ人は少ない。
お、いたいた。
本以外にこっちも本命。最初に来た甲斐があった。
「カイトくん!お久しぶりであります!」
「おう、久しぶり」
「誰を連れているのでありますか?」
「誰だと思う?」
ホワイトくんは頭に?を浮かべる。
ハインは必死に顔が見られないように俯いているが、それをホワイトくんが覗き込む。
「わたくしの知っている人でありますか?」
「だ、そうだ。これなら安心できるだろ?」
ハインは胸を撫で下ろす。
「はい」
ホワイトくんに向き直って、
「いや、知らない人だ。最近町の外から来たんだよ。宿が一緒なんで仲良くしてる」
「そうでありましたか!よそ者同士仲良くするでありますよ!」
「はい……お願いします」
「カイトくんも、そのご近所さんもごゆっくりお過ごしください」
恭しくお辞儀をするホワイトくん。
「ありがとう」
それぞれ読みたい本を持ってきて椅子に腰掛ける。
ハインは物語本を齧り付くように読んでいる。本は現実逃避に最適なので、良い気晴らしになるだろう。
俺もこの後の流れを考えながら本を読んで、数時間後。
ハインはサービスドリンクも飲まずに積んだ本を読み切ってしまった。
「そろそろ昼食でも食べに行くか?」
「はい」
「何食べたいか考えておいて」
「何でも大丈夫です」
「何でもいいって、それが1番困るんだから」
(お母さん……?)
(思春期の子供を持つお母さんの真似)
「ごめんなさい」
「冗談冗談。適当に俺が選ぶよ」
図書館を出て、適当な食事処に入って食事をした。
その後は雑貨屋に入って買い物をしたり、町の普段行かない住宅地を見てみたり。
途中なんてことない住宅街の道を歩いていると、道路沿いの家から野太い声で話しかけられた。
「よう、カイト先生!」
門扉を開けて出てきた大男は、手にジョウロを持ったまま。
身体の大きさにしては少し小さめな、淡い色の可愛らしいパジャマを着ていた。
そして、その顔には見覚えがあった。冒険者ギルドのギルド長だ。
「ギルド長。今日はお休みですか?」
「ああ、今は日課の水やりを、ちょっとな」
「私に用事でもありました?」
「いや、偶然見かけて反射的に声をかけただけなんだが……そうだ!ハインを知らないか?」
おい。
どんなタイミングでその話題出してんだよ、こいつは。
並んで歩いていたハインが血相を変えて俺の影に隠れる。
しかし、背が高くて横に広いので隠れられてはない。
背中から尋常ではない緊張感がビリビリと伝わってくる。
「いや、知らないですけど……」
「そうか。そうだよな」
「何かあったんですか?」
「どうやら行方不明になったらしく、冒険者ギルドで内々に探して欲しいと依頼が出ていた」
「暫く診療に来ていないと思ったら、そんなことになっていたんですね」
「内々というのは町の人に混乱が広がらないように、ということですか?」
「ああ、カイト先生がもしハインを見かけたらそのまま家に連れ帰ってやってくれ」
「わかりました」
「……今更だが、そいつは助手か?」
的確に相手の嫌なポイントを責めてくるのは権力者の勘か?
「いえ、偶然にも宿が同じで仲良くなった友人です」
「ですが、信頼できる友人なので、情報漏洩はご心配なく」
「そうかそうか。友人と遊んでいる最中に声をかけて悪かったな」
「いえ、ではまた」
背中を押されながらその場を離れる。
「し、死ぬかと思いました……」
「もうちょっと町を散策する予定だったが、もう町の外に行こうか」
「町の外ですか?」
「ここに居ても息が詰まるからな」
「う、ありがとうございます」
「いいって。元からその予定だったし」
「というか、町の外で遊んだ経験は?」
「えっと、昔にあったかな……という感じです」
「それは勿体ない。自然と触れ合うのは大事だぞ」
自分で言っててなんだが、これ以上ない棚上げだな。
しかし、人に囲まれてずっと生活していると感覚がおかしくなるのは事実。
それをリセットする意味で自然と触れ合うのは大事だし、それ以外にも自然の効能は多い。
と、そんなこんなで近場の森に到着。
奥山は危険だが、手前は適度に間伐された良い森だ。
水が流れる音、葉が風に揺られる音、鳥の鳴き声。
町での生活に慣れてきた俺にとっては新鮮な癒しで、ハインにとってもそうであってほしいと思った。
「森林浴してみてどうだ?」
「なんというか、涼しくてリラックスできているような、気がします」
「それで、思い出しました。昔に家族と森で遊んだ記憶」
「虫取りしたり、山菜を採ったり、水遊びしたり……」
今日初めて楽しげな声色を聞いた。
「それなら丁度良かった。今日は軽く歩きながら山菜を採ろうと思ってた」
「それは……楽しみです」
図書館で借りてきた図鑑と見比べながら採集した植物が食べられるか判断する。
山菜採りは宝探しのようで、初体験だったが楽しかった。
今日明日で消費できる分だけ採ったので、宿で一緒に調理する約束をした。
「どうだった?」
「面白かったです。それに……」
「ずっと集中して探していたので、余計なことを考えずに済んで助かりました」
「そっか」
空が赤く染まる時間帯になったので町に帰る支度をしていると、森の奥から熊のような魔物が現れた。
唸り声を上げながらこちらに向かってくるので、戦闘態勢を整える。
「俺が戦うよ。森に連れて「僕にやらせてください!」」
いざという時は俺が戦うつもりで森に来たのだが、途中でハインに被せられた。
「何か武器持ってたか?」
「素手でも戦えます!」
無理を言う。
ここぞとばかりに頑張ろうとするのは存在証明のためか。
「素手は流石にな。普段は剣使ってたよな?」
「はい、これ」
「はい!」
目の前に迫った魔物の対処で深く考える余裕はないのか、本人としては出所不明な剣を魔物に振り下ろして戦う。
俺の立ち位置を気にしながら俺を庇うように立ち回っている。
俺は俺で対処できるからそこまで気にする必要はないんだが……予め言っておくべきだったな。
大人しく庇われながらハインの顔を見ると、険しい表情をしながらも生気を感じられた。
戦いを楽しんでいるのか。
そんなことを考えていると、後ろからもう一体の熊型魔物が現れた。
こっちは俺がやるか。ハインが目の前の魔物に集中した時を見計らって、槍を生成して身体強化して突き刺した。
トドメを刺して、戦闘終了。
「お疲れ様。はい、これ」
解体用のナイフを造って渡す。
「解体手伝ってくれ」
「はい……って、カイト先生は逃げてくれれば良かったのに……戦闘くらい僕にやらせて下さい!」
(私もそう思いまーす)
「先に言わなかったのは悪かったと思っているが、俺はそれなりに戦える。怪我もなかったんだし、無問題」
「でも……戦闘で役に立たなかったら僕に何の価値があるんですか?」
「……」
思わず眉間に皺を寄せながら睨んでしまった。
ん〜反論したい。指摘したい。
この言葉に認知の歪みが凝縮されていると思いながら、喉から出かかった言葉を押し込む。
今の状態でメスを入れると致命傷になる可能性があるので、回復してからだな。
「少しくらい期待してくれてもいいのに……」
落ち込んでいるが、手だけは動かして、皮を剥ぎ取っていく。
「期待……期待ってなんだ?」
「その期待って丸投げとか押し付けとかと同じ意味で使ってないか?」
「期待するくらいなら一緒にやればいいし、相手にやってほしいなら頼めばいい」
「今回はハインに頼む必要はないと思ったから、俺も一緒に戦った。それだけだ」
ハインは俺の言葉に考え込んでいる様子だ。そっとしておこう。
(期待が嫌いなの?)
(期待という言葉自体は悪くないが、言葉の裏にある邪心が透けて見えるのがな)
(相手を都合良く利用してやろうという邪心に付き合ってやる理由はないだろ?)
(それはそうだね)
(期待をするのも嫌いだ。勝手に期待して、勝手に裏切られて、勝手に機嫌が悪くなるなんて阿呆らしい)
桜と話をしていると、不意にハインが口を開いた。
「期待されて、その期待に応えて、それが僕……”俺”だと思って生きてきました」
「その生き方を否定はしない。本当にそれでいいと思っているなら」
「俺は人に期待しないから人に正面から向き合う。相手を過剰に評価するとか、利用するとかじゃなくて、相手そのままを見る」
「だから俺はハインに期待しない。期待してくれているところ悪いが、な」
(桜にも期待しないから)
(だけど、信頼はしてる……短くない付き合いだしな)
(ふ〜ん?嬉しいけど、最後のは照れ隠し?)
(バレたか)
(恥ずかしくても言うべきことは言わないとな。大事な人間関係なら尚更)
(もちろん信頼してるよ〜!私も〜!)
ご機嫌な桜のウザ絡みをあしらいつつ、ハインと雑談を続けて30分後、
「よし!」
協力しながら2体の魔物の解体完了。
「じゃあ冒険者ギルドに持っていくか」
「う……はい」
バレないと頭では理解していても、心理的に抵抗があるのだろう。
自分を知る人間が集まる場所だからな。
「俺が換金するから外で待っていてくれ。素材の持ち込みは誰でもできるよな?」
「そうですけど、僕も……」
「いいから。今は無理をする時期じゃない。負担をかけない方が大事だ」
解体後の素材を袋に入れて冒険者ギルドまで持っていく。
換金して悪くない金額になった。
「はい、これ好きに使いな」
外で待っていたハインに金の入った袋を渡す。
「えっ、でも……」
「家に帰れないと自由に使えるお金がないだろ?」
「この金に関しては異論を認めない。どうしても返したければ最後にな」
「ごめんなさい」
「感謝された方が嬉しいが」
「……ありがとうございます。これだけじゃなくて、今までのことも」
深々と頭を下げる。
「どういたしまして」
宿で一緒に山菜と肉を食べた。
その後、朝に約束した変身魔法を教えたのだが、その才能を遺憾なく発揮していた。
現地の人は魔素が見えないので魔法を習得するのに苦労するらしいが、そんな様子は微塵もない。
皮膚の上から接着する肉や皮を想像して、いとも簡単に生成してみせた。
何度か反復練習をするだけで違和感を持たれないレベルまで上達するだろう。
「もう教えることはない。免許皆伝だ」
「ありがとうございます」
その後寝る時間になったので、瞑想の参考になる本を渡して別れた。
(今日は本を配りに行く日だよね?)
(ああ)
今日はこれからもう一仕事。
(未だによく分かってないんだけど……)
(なんで海斗は夜に奇妙なおじさんに変身して本を配りに行くの?)
(そういえば説明してなかったか)
(そうだな……例えば桜が手編みで服を作る職人だとしよう)
(うん)
(誰かが効率的に編む機械を作って服を量産して、桜の仕事が減ったとする)
(生活が厳しくなるね)
(そうなると誰を恨む?)
(その機械を作っている人かなぁ)
(じゃあその機械の設計図を与えた人間がいたとしたら?)
(そいつも同罪……って、そういうこと)
(技術に関する知識は利益を生む。時代を進ませる力があり、物によっては人を救うだろうな)
農業に関する知識なら人を飢えさせないし、医療に関する知識なら人を治すだろう。
俺が個人で広めるより、色々な人に広めてもらった方が効率が良い。
(だが、それを持っていない人からすれば、今までやってきたことが通用しない世界になるんだから恨む。妬みもするだろう)
(恨み妬みは人の勝手だが、殺されるのは避けたいし、知識の出所を探られても面倒だからな。この身体は身代わりだ)
(なるほどね)
翌日。俺は医者の仕事があるのでハインの様子は確認しなかったが、仕事の合間に診療所に来てくれた。
話を聞くところによると、俺が教えた知識を使って寝ることができたようだ。
「寝たいだけ寝ればいいし、気が向いたら外に出ればいい。その辺は好きにしな」
「わかりました。何から何まで本当にありがとうございます」
「仕事の合間に失礼しました」
そう言ってハインは診療所を出た。
(やっぱりハインくんを助けようと頑張ってて海斗はすごいよね)
(ん〜色々と試行錯誤しながらやってはいるが、助けてる感覚はあんまりない)
(そうなの?)
(最終的に自分を救うのは自分自身だからな)
(助かろうという気がないと何をしてもお節介にしかならないし、他人の手を取るかどうかも決めるのは本人だし)
(それはそうだけど……)
(感情で理由を語るなら、性根が善で人のために生きてきた人が報われないなんて気分が悪い)
(それならめっちゃわかる)