天国レポート
【一】
僕がこの世で暮らしだして、そろそろ丸一年になるんじゃないかな。ああ、ここの生活も悪かないよ。まだ彼女はできてないけどね。――いや、作る気が無いからだって。それに、この世で女なんかこしらえてどうすんだよ。僕は「出張」で来ているだけなんだから。そう出張。つまりビジネス上の用事。それに僕は、この世でも女の子をそんな風に軽く扱うタイプじゃないよ。まあ、あんまりむきになって言うと、あれだけどさ、正直な話……。
――おっと、いけない。さっきから、この世、この世って連発してなかった? つまり、「この世」とは、「あの世」のことだから、勘違いしないで。ほら、雲の上にある、死んだ人が逝く世界。そう、M・ジャクソンとか、毛恩来――えーと、毛沢民だっけ?――もいる場所。まあ、彼らには一度も会ったことがないけどね、噂だけ……。
とにかく僕は、沢田さんに頼まれて、「出張」でここに来ている。まあ、特に何をするってわけでもないけど、毎日の生活をレポートに書いて、引き出しに溜めておくだけ。それで、そっちの世界に戻ると、すんげえ額のカネと、幹部の地位がもらえるんだから、大したもんだろ。
僕の一日は、たいていこんな感じ。まず朝、ピンクの小鳥たちが鳴き始めて眼が醒めるだろ。そしたら歯を磨いて、スポーツセンターに行く。あっ、その前に「ミュリー」って店でモーニングセットを注文することもある。ところで、「ミュリー」って発音なんだけど、「リ」が「ル」に近いんだ。未だにうまくできなくてね。できるかい? でも、そんなに心配しなくても大丈夫。ここでは言葉はあってないようなものだから。なあ、解かるだろ、僕の言っている意味。
スポーツセンターでは、頭の上に輪っかを載せたオッパイのでかいお姉さんたちと、プーカ――バトミントンみたいなやつ――を十セットくらいするんだ。それから、彼女たちが作ってくれたお弁当を食べる。あのスライスしたティッズ――ああ、これはトマトみたいな赤い野菜――を挟んだサンドウィッチは、なかなかのもんだよ。こっちに来る機会があったら、ぜひ試してみて。
ランチの後は、彼女たちとの他愛も無いおしゃべり。といっても、これが僕にとっては重要なんだ。だって僕は、この世界の様子を、事細かく最小なレポートにしてくれって、沢田さんに頼まれてるんだから。でも、そのことは彼女たちには内緒だよ、正直な話。
で、おしゃべりも終わると、シャワールームで汗を流すんだ。その時、さっきのお姉さんたちを想って、せっせとマスを掻くこともある。――おっと、ここの部分はレポートには書かないよ――なんたって、僕はこの世に「出張」で来てるんだから。
さて、午後になると、もうこれといってすることは無くなる。だから、割礼させて。とにかく僕の仕事って楽勝だと思わない? 正直な話……。
ところでそっちのほうはどうだい? まだ、景気は最悪? まさか、トヨタとキャノンが合併したなんてことはないだろうね。僕はシャッターのついたクラウンなんか、絶対に認めないよ。だって、あれだろ。写真をプリントアウトするときどうすんの? 家にクラウン突っ込んでパソコンと接続させるわけ?……ああ、判ってるよ。SDカードを使えって、言いたいんだろ。僕は馬鹿じゃないからね。
そらあ、大学の偏差値は、入学した日の気温よりも低かったし、僕は講義も出ないで、葉っぱ吸って、マスばっか掻いてたんだけどさ。――それでも僕は馬鹿じゃないよ。その証拠が沢田さんからもらった仕事のオファーさ。十九歳で、こんなでかい山を任された僕の気持ちが解かってもらえるかなあ。いや、別に自慢で言ってるわけじゃないんだって、正直な話……。
【二】
沢田さんの団体のことは、聞いたことあるかい。黄泉教っていう、本部が山梨にある宗教の団体。すごく儲けてるらしい。沢田さんもそう言ってたよ。彼みたいな本物のやり手は、そんなことでは嘘を付かない。それにいまのところは、インチキだとも正直に教えてくれた。黄泉教って、本当は「口銭教」なんだって。「口銭」って言葉の意味は、帰ってネットで調べてみたんだけど、つまり口利き料のことらしいね。沢田さんて、やっぱすんげえ切れるだろ。
口銭教を簡単に説明すると、信者の人に「天国へ逝けますよ」って嘘を付いて、カネをふんだくっている団体。沢田さんのこと、とんでもない野郎だって思い始めてる? でも、勘違いしないで。確かにあの人、いまは人を騙してるカタチになってるけど、本当は信心深いし、すごくできてる人なんだよ、正直な話。
彼は世界を平和に、地球をもっときれいにしたいと思っている。僕もそう思うよ。世界中の人や動物が幸せになれたらって思うからね。――でも、そのためには、やっぱりカネが必要だろ。だから、がっぽり稼いで溜め込んでいるんだ。で、その資金で、そのうちとてつもないことを、やらかすらしいよ。それは、何だか絶対に教えてくれない。彼みたいな本物のやり手は、そんなこと他人に漏らしたりしない。まあ、とにかく、世界がひっくり返るくらいのことをするらしいから、期待してもいいと思うよ。
で、その極秘プロジェクトと、同時平衡感覚的に進めているのが、僕が抱えている「案件」。つまり、この世がどんなところなのかを見て来て、彼らに後で報告すること。これは沢田さんと、その親父さん――つまり黄泉教の教祖様――がインチキじゃないって証拠でもあるんだ。流石にプーカとかティッズのことまでは聞いてなかったけど、二人の言ったとおり、本当に天国はあったんだから。でも、彼らもここには来た事はない。だから、信者たちを連れて行くのに、本当に適した場所なのかを一年間住んでみさせて、僕に報告させようってわけ。それが今回の「出張」の目的。
それでもって僕は、せっせとレポートを書いている。ミュリーのモーニングはイカしてるけど、ランチに出てくる尻尾の二本あるサーモンは酷い。だから星一つ。こっちの女の子は、一見尻軽に見えるけど、実はそうでもない。だから超個人的な意見で申し訳ないけど、星は二個と半分。水事情は悪くない。ゲータレードみたいな黄色をしてるけど、ちゃんと飲める。まあ、こういう調子で、その日したことと一緒に、この世の様子を書いてるわけ。どうだい? ミシュランとロンリー・プラネタリウムを併せたみたいじゃない?
でも、大学も行かないで、一年もこんなことしてて大丈夫かよって思うだろ? そこんところは、心配ご無用。親にはユーフラテス大陸の横断旅行をするからって、ちゃんと話してあるから。海外旅行で言葉の問題はないかって? それもバッチリ。僕はこれでも帰国子女だからね。英語はお手の物。現代じゃ、ティンブクトゥの人だって英語ができるらしいじゃない。いやいや、英語ができるからって、大学に入れたわけじゃないよ。さっきも言ったけど、答案用紙にちゃんと漢字で自分の名前が書ければ、それでオーケイな学校だから。でも、僕は馬鹿じゃないよ、正直な話……。
じゃあ、どうやってこの世に来たのかって? ああ、そこなんだよ、一番すげえのは……。俺が葉っぱ吸って、偽物の天国をふらついてたときに、沢田さんが僕の部屋にやってきた。僕を見込んで、でかい仕事を一つ頼みたいって。それで、さっきの立派な話を三時間くらい聞かせてもらったってわけ。最初は余りにもスケールが違うもんでさ、ずいぶんと面食らったよ。でも、だんだんと飲み込めてきた。沢田さんはそういう話し方をする人なんだ。何て言うか、凍ったクソが解けていくみたいな調子で脳ミソに沁みこんでくる……。
それで最後には、じゃあこの日にちゃんと来いよって。ポンって感じで結構な額の前金を置いていった。あの気前の良さは、誰も真似できないね、正直な話。
というわけで、数週間後に黄泉教の本部に行ってみると、隠し部屋みたいなのがあったんだ。中に通されると、五世紀くらい昔じゃねえのっていうオーク材の丸テーブルが中央にある。椅子も、これまたオーク。背もたれが異常に高くてね。あんなの、古城に住んでるヨーロッパ貴族しか持ってないよ、絶対。
変だと思ったね。だって、黄泉教の建物って、瓦屋根には金ぴかのシャチホコ、いかにもって感じでしょ。なのに、その部屋だけは様子が全く違う。中世のヨーロッパそのもの。しかも、円卓の上には蝋燭――あんなクソ長いキャンドルなんて見たことがない。きっと、特注品だね。ああ、忘れてた。そうそう、その円卓の中央にはマーク。剣と十字架、それに五角形の星を組み合わせたもの。すんげえ、イカしてるんだよね。僕がそっちに戻ったら、あれのTシャツ作ってもらえないかなあ。ああ、それともう一つ、壁にはなんか偉い人の肖像画が、たくさん掛けてあった。歴史の教科書で見たことある顔も。ペリー来航とか、二・二二事件の頃に活躍した人とかじゃないかと思うね。
想像がつくだろ、僕がどんなだったか。そう、完全にビビッてた。すると、それをすぐに察してくれて、これキメてクールになれよって、すんげえ上等なのをくれた。やっぱ、沢田さんは大物だって思ったね。
それから、しばらくしてから。いや、ほんの少しの間かもしれない、そういう時間の感覚って、ほら、怪しいもんだろ――そうだね、もちろんあれのせいもあるよ。それは認める……。とにかく、上機嫌でラリッてる間に、僕の身体は彼らによって円卓の上に載せられた。その場には、沢田さんと親父さんを含めて、だいたい、十五人くらいいたかな。
彼らの格好は相当へんてこりんだったよ。アメリカのほうで昔、黒人を十字架にかけて火あぶりにしちゃう連中がいたでしょ。あれと同じ。白いとんがり頭巾を被って、眼のところだけ穴がぽっかり。で、気付いたんだけど、あの眼の色からして外国人も何人かいたよ。それに、指に嵌めてる、サファイアだとか、ルビーだとかのごつい指輪から判断する限り、彼らは相当金持ちだね。社会的地位もある人たちなんだろう。いや、もしかしたら、どこかの国の領事とかも混じっていたんじゃないかと思う。つまり、何をやらかしても「ペルソナ・ノン・グランテ」だけで許される大物たちさ。
彼らは、僕の知らない言葉で宣誓文みたいなものを唱えていた。右手を挙げてね。それから寄ってたかって、僕の身体を押さえつけた。なんか、胸騒ぎって言うの? そんなのを感じたんだけど、遅かったね。親父さんの口からは呪文がヘビみたいに出てきていた。それから、沢田さんが銀のナイフを振り上げた。あれは確かに銀だったよ。そう、シルバー。一時、クロムハーツにハマってたときがあったから、すぐにシルバーだって判ったんだ。あと、元素レベルの話をさせてもらうと、シルバーはSLね。だから、言っただろ。僕は馬鹿じゃないって、正直な話……。
それからはご想像通り、沢田さんは、ナイフを僕の心臓に向かって、振り下ろしたんだ。
――ああ、やべえ、殺される! そう思ったんだけど、なんだ、ちゃんと五体満足でこの世に来てるってわけ! やっぱ、沢田さんはすげえだろ?
さて、今日はレポートに何て書こうかな。そろそろ、そっちの世界に戻る日が近づいてるから、ちゃんとしとかなきゃ。……あれだよ、夏休みの日記みたいなもの。結構、サボった日もあってね。まあ、ネットで調べりゃ、天気くらいはすぐに判るんだけど。――そう、そう、この世のネット事情も書いとかなきゃ。ネットは「ハイリティ」って呼ぶんだよ。おっと、注意して! 「リ」は「ル」の発音に近いから……。
【了】