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雨とタクシーと与太話

作者: 野方幸作

 「私、昔ね・・・・・・人を殺したことがあるんですよ」

叩きつけるような大雨が降りしきる中、タクシーの運転手は口を開いた。

時折、鳴り響く稲妻が車内を照らす。

「いったい何の話です?」

西島恭一は思わず聞き返した。


 ホームセンターで庭造り用セメントを買った休日の午後、

買い物を終えた西島を待っていたのは大粒の雨だった。

たまたま通りがかったタクシーを拾うと、

その運転手がいきなり暇つぶしがてらに自分の過去の殺人の話を始めようとしている。

もしや刑務所帰りか何かなんだろうか。

「何、他愛もない昔話ですよ」

「他愛もないってあなた・・・・・・殺人がですか」

西島は驚き、呆れた。そして同時に怒りが沸々と沸いてきた。

「まあ、怒らんで聞いてください」

怒らずにいられるか。

西島は口にこそしなかったものの、内心怒り心頭であった。

後でタクシーセンターに苦情でも入れようかと前に張り出してある身分証を見ると「佐々木徹」とあった。


 さらに運転手・・・・・・佐々木は続けた。

「そもそも「殺人」というのは何だと思います?」

西島は面食らった。これから殺人の話をしようと言い出した張本人が「殺人とはなにか」なんて疑問を投げかけてきたのだ。

「そりゃあなた、読んで字の如く「人を殺す」でしょう?」

「はい、その通りです。人を殺すから殺人なんです」

何を当たり前のことを言ってるんだろうか。

「人を殺すと殺人の罪に問われますね」

刑法第百九十九条殺人罪。人ヲ殺シタ者ハ・・・・・・という条文があることをおぼろげながら西島は知っている。


 「でも、もし殺した相手が人じゃなかったとしたらどうなります?」

西島は呆気に取られた。一体この運転手は何なんだろうか。さっきから要領を得ない質問ばかりしてくるではないか。

ふと、窓の外に目をやるとさっきと変わりなく大雨が降っていた。

そもそもいきなり雨さえ降らなければタクシーを捕まえる必要もなく、また必然的に、こんな変な運転手にも合うこともなかっただろうと思うと、西島はこの忌々しいにわか雨に腹立たしさを覚えた。

「高校の頃のことです」

西島の様子に構うことなく佐々木はハンドルを左に切りながら続けた。

「私はいわゆる不良というやつでして・・・・・・」

そのとき、激しい雷鳴が轟いた。

稲光に照らし出された佐々木の顔は、哀愁が漂うようでいて、

そして若干喜色を浮かべたとも取れるような表情だった。



 佐々木徹は高校内でもそこそこ名の通った不良だった。

暴力沙汰や喝アゲ、おおよそ不良と呼ばれる程度にはあくどいことを一通りこなしていた。

ある日のこと、佐々木の目に一人の男が留まった。

同じ組の中井秀隆という気の弱そうな男だ。

ちょうど金に困っていたこともあり佐々木は少し脅せばさっさと財布を差し出すだろう、と踏んだ。

しかし中井は思ったほど容易くはなかった。中井は財布を差し出すことを頑なに拒んだ。

口で言っても聞かないのでしびれを切らした佐々木は一発そこそこ力をこめて肩を小突いた。しかし中井は動じない。


 元来佐々木はそれほど気の長いほうではない。ここまでくると最早馬鹿にされている以外の何者でもない。それが佐々木の逆鱗に触れた。

 全力でこぶしを握り、中井を殴りつけた。

一度スイッチが入るともう止まらない。

殴る、蹴る、殴る・・・・・・取り巻き連中が必死で止めてやっと大人しくなった。

しかし中井はそれでも動じてなかった。


 佐々木は放課後になると中井を校舎裏に連行し、暴行を加えることにした。

教室で事の顛末を見ていた佐々木の取り巻きたちも面白半分で校舎裏に集合した。

「おい、いい加減によ、殴られなくて済む道を探そうと言う気はないか?」

という佐々木の問いに対して中井は

「金は出さんぞ」の一点張りだった。


 そんなやり取りを繰り返していたうちに佐々木は手近にあった鉄パイプを手に取り中井を殴りつけた。

それまで何度殴り倒しても起き上がってきた中井が、倒れたままぴくりとも動かなり、

そしてついに起き上がらなかった。


 直後、冷静さを取り戻した佐々木は中井を抱き起こしたが、まるでやわらかい等身大のゴム人形のように、中井は、ぐったりと、重力に逆らうことなく腕と首がだらんと下がったまま、佐々木の必死の呼びかけにも答えることはなかった。

まさか殺すとは思わなかっただけに佐々木の取り巻きも動揺していた。

尤も、一番混乱していたのは佐々木だった。なんせ殺したのだ。「正気でいろ」というのは無理難題である。

佐々木の上に「殺人」の二字が重くのしかかった。


 いくら金がほしかったとは言え、さすがに死体から財布を抜き取ると言う豪快なマネはできなかった。

家に帰ってからも食事はロクにのどを通らなかった。

食事どころかその夜は眠れなかった。布団に入ってもまったく眠くなれなかった。

少年院か刑務所か。そう思うととてもじゃないが眠ろうなどと思えなかった。


 翌日、恐る恐る登校した佐々木を出迎えたのは、取り巻きたちが廊下から教室を少し覗いては

入りづらそうにしている光景だった。

何かあったのかと佐々木が聞いても彼らは教室を指差し、いや、その、などとただただ口篭るだけだった。

佐々木が窓から教室を覗くとそこには平然と机に着席している中井の姿があった。


 一瞬何が起こったのか分からなかった。中井は昨日、この手で確かに撲殺した。

それは取り巻きたちも居合わせたのだから承知している。

しかしよもや本人に「昨日死んだよな?」とは聞けるはずもない。


 そうこうしている内に始業チャイムが鳴った。

別段授業をまともに受ける気は最初から持ち合わせてなぞいなかった佐々木たちだが、

このままフケると中井に敗北宣言を出したような気になる。

不良というのは元来負けん気の強い生物である。

そのまますごすごと負けを認めるようなマネはしようと思わなかった。

恐怖と負けん気。佐々木にとっては究極の二択だったが、表には出さずにつとめて冷静に教室に入った。




 「あのときは何かの宗教に帰依しようかとも思いましたよ。まあ、

紆余曲折の末に今はタクシー運転手なんてのをしていますがね」

遠い目をして運転手は言った。

西島は蒼白になりながら佐々木にひとつの質問を投げかけた。

「結局、その中井という男はその後、どうなったんですか?」

佐々木は少し首をひねってから、

「さあ?」

とだけ答えた。

「さあ?」

西島は思わず聞き返した。

「いや、ね、私も知らないんですよ。まあ、死んだとは聞いてませんし、生きてるんでしょう、たぶん。中井は死ぬかどうか分かりませんがね」

と佐々木は冗談とも本気ともつかない言葉を返した。

「こういう陰鬱な日はつい、変な昔話をしてしまいます・・・・・・お客さん、着きましたよ」

その言葉に外を見ると、見慣れた家がそこにはあった。

西島は「なぜ俺にそんな話を振ったんです?」と聞こうとしたが、なんとなく怖くなって、やめた。




 西島が玄関の戸を開けようと鍵を回したが、戸は開かなかった。

鍵を逆に回し、戸に手を掛けると、何の抵抗もなくすんなりと開いた。

鍵をかけ忘れたのだろうかと思ったが、家を出る前に鍵をかけた記憶がある。

「何故」を考えるまもなく西島は、真っ先に浴室に駆けていた。


 浴室はもぬけの殻だった。

出かける前、男を一人ここに押し込んだ。

そもそも、浴槽に押し込んだ一人の男がホームセンターに出かける動機だったのだ。

口論になり、うっかり殺してしまった西島の隣人だ。

年の格好は先ほどのタクシー運転手、佐々木とほぼ同じくらいだったろうか。



その隣人の名は、――――中井秀隆。

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