56話 彼女とその足音
わたしには、彼を救える確信があった。
たとえ自分が死ぬことになったとしても、彼が救えるのならば、それで―――
「女に傷をつけるのは可哀想だからな、せめて綺麗なままで終わらせてやろう。」
そう言われたとき、勝機を得たと思った。
あとは、どれだけ自分が耐えられるか、それのみだ。
自分を抑える男たちの力が強くなり、あちこちの骨が軋むのが分かった。
その痛みに僅かに表情をしかめつつ、目の前から小瓶を持った男が近づいてくるのを視界に入れる。
「やめろ!!そいつをはなせ!」
先ほどからずっと聞こえる彼の声は、張り上げすぎたせいでついに掠れたものとなっている。
地面へと張り付いたまま立ち上がることが出来ない彼の姿を見て、どうにかわたしの死が彼の痛みとならないように願うしかなかった。
顔を強く固定され、口を開くように指示される。
おそらく小瓶に入った透明な液体は毒だ。それくらい平凡に育ったわたしにだって分かる。
だからこそ、頑なに口を閉じた。どんなに小瓶を口に付けられても、絶対に口の中に入れるものかと唇を縫い付けるように。
するとそれに腹を立てたのだろう男たちがわたしの口をこじ開けようと力を入れる。
遠くで室長の声を聞きながら、ああ、もうだめかもしれないと、そう思った、そのとき―――――
足音が、聞こえた。
ひとつではなくて、おおよそ何十人もの、それ。
馬の蹄の音、まるで軍隊のような何人もの力強い足音、そして金属がこすれる激しい音。
わたしは、室長の無事が約束されたことを、そこで知ったのだ。
王宮の旗を掲げた軍隊が狭い門を通って広場へと押し入ってくる。
その光景たるや、壮観でしかなかった。
鋭い表情を掲げ、わたしと室長の姿を見つけるとすぐに囲んでいた男たちを取り押さえ、そしてシュタイン家当主に詰め寄る。
そこまでの動きはまるで、全員の動きが計算されつくしたかのようにゆっくりと流れ、わたしの頭に染み込んできた。
あのとき、馬車を王宮に帰したとき、わたしは手紙を殿下に届けるように伝えた。
そしてその手紙とともにタオさんの手帳とその内容を要約したものを添えたのだ。だから先ほどシュタイン家当主に見せた手帳はまったくの偽物、あの場で実物を見せてもそれを奪われてしまったら何の意味もないと分かっていたからだ。
それでもこれほどまでに助けが早く到着したということは、あのとき殿下に旅立ちの許可をもらった段階で、きっと準備をしておいてくれたに違いない。
自分を取り押さえていた男たちが連れていかれ、身体が自由になって思わず倒れそうになるのを、軍の人々に支えられながら、ああ、間に合ってよかった、なんて、ぼんやりとそんなことを思っていた。
きっとシュタイン家は罪に問われるだろう。
どれだけ確たる証拠が無いとしても、タオさんの手帳はもうすでに王宮にあるし、今ここで行われようとしたことを軍隊が見ていたのだから。
そしてそれは、オスカー室長の安全とブラックストーン家の平和が約束されたことにもつながるだろう。
それを確信して、わたしは乾ききった唇を舌で潤した。
髪もぼさぼさで、手足は取り押さえられていたせいでひどく痛む。
どうやら室長もその通りのようで、軍の人々に囲まれ無事を確認されているようだが、ときどき痛みを抑えるような表情をしている。
でも、彼は無事だ。
起き上がったその人の瞳と目が合って、彼がわたしの姿を認める。
周りにいた軍の人々の間を割って、ゆっくりとした足取りでこちらへ向かってくるのが分かる。
ああ、彼もわたしも、助かったんだ。
身体を支えてくれていた軍の人々から離れ、わたしも彼へと足を踏み出そうとした。その瞬間―――
それが叶うことなく、わたしの身体は地面に叩きつけられた。






