54話 彼女と彼の覚悟
その日はもう夜の深い時間ということから、ブラックストーン家に泊めてもらうことにした。
その時点で馬車とそれを走らせていた御者には王宮に帰ってもらった。どれだけここに滞在することになるかも分からないし、何より彼らに果たしてもらいたい役割があったからだ。
オスカー室長が何をしようとしているかについて分かった段階で、わたしには迷っている暇はなかった。どうにかして彼を止めなければいけない、思うのはそれだけだった。
ろくに食事も取らず客室へと向かったわたしに、ニーナさんや室長のお母様は心配の表情を浮かべていた。いきなりやってきて泊めてもらうことになって、ろくな挨拶もせずにどれだけ失礼なことをしているかも分かってはいたが、それもたいしたことではないと思ってしまうほど、彼のことしか考えられなかったのである。
そして、大して眠ることも出来ないままに朝を迎え、未だ目覚めないニーナさんやお母様に何も告げることなく、わたしは屋敷を後にした。
そのまま向かった先は、シュタイン家である。
馬車を帰したために少し歩かなければならなかったが、それほど遠いところにあるわけではないので、逸る気持ちを抑えるためにはちょうど良い距離だった。
予想通り、といったところか、わたしがシュタイン家の屋敷を視界に入れたと同時に、ついにオスカー室長の姿をも見つけた。
彼は門と屋敷の間にある広場で、おそらくシュタイン家のものたちに囲まれるようにして立っていた。彼と対峙しているのは、きっとシュタイン家の当主であろう。
白い髪と長い髭、肉付きの良い身体にはたくさんの宝石をつけて、その人は室長と向き合っていた。
その光景を見て、思わず腰がすくんだ。
到底わたしが出ていけるような状況ではないと分かっていた。でも、わたしが彼を止めなければいけない。その思いだけは確かにあった。
出ていくタイミングを計るために、門の影に隠れる。幸いにも門番は広場での出来事に夢中のようで、門の外まで気を配ってはいなかった。
そのまま彼らの会話へと耳を寄せた。
「ほお、貴様はあのブラックストーンのものか。」
「白々しいことを。俺がどこの出身のものかは分かっているのだろう。」
今までで一番、冷え切った声だった。
そこまでに彼の痛みや苦しみが深いものであることが伝わってくるような。
「ああ、あの‘不審火’で焼け散った家のものか。確か、クオレトールとかいったか・・・?」
そのどこまでも馬鹿にするような口調に、わたしは思わず叫びそうになった。
きっと室長はそれ以上の怒りを抑えているに違いない。
「その‘不審火’は、お前たちのせいだということは分かっている。今度はブラックストーンに危害を加えていることも。」
「・・・どこにそんな証拠がある。」
シュタイン当主の声が一気に硬くなった。
それと同時に、室長を囲む者たちの表情も先ほどまでのにやにやとしたそれから、すっと冷えたものに変わった。
「そうだ。お前が言うとおり、‘お前’がやったという証拠は無い。
ただ、・・・それも時間の問題だ。深く調べれば必ずお前の罪は暴かれる。」
「その前に、その‘証拠’すら消し去られるという可能性は浮かばなかったか?そんなもの脅しにもならんわ。」
「・・・お前が今消えて欲しいのはブラックストーンだろう。
俺はあの家を継ぐ権利を与えられた。だからお前があの家から手を引くことを約束するのならば、お前にとって不利益となることには一切関わらないと誓う。それで、」
「それで手を打つとでも・・・?」
シュタインは大きなしゃがれた声で笑ってみせた。
「わしはあの家が憎くてたまらん。あの家さえ無ければ王宮にも認められるほどの力を持てるというものを、ただお前と手を組んで静観しろというのか。」
「・・・・・・ならばお前は、どうしてもあの家を滅ぼすつもりか。」
「無論、言うまでもない。ただその前に、次代当主のお前を消す必要があるようだ。この家にとってまずいこともどうやら知ってしまったようだし、な。」
その言葉を聞いた途端に、身体がしびれるように固まった。
彼は、守ろうとしたのに。
生家を焼かれ、大事な人々を傷つけられても、こうして頭を下げて手を引いてほしいとまで言ったのに。
その声は、その想いは、届くことなく、消えようとしている。
もしかしたら、彼はそのことを予感していたのかもしれない。
自分の命でどうにか手を引いてくれと交渉するつもりでいたのかもしれなかった。
それでもその覚悟さえも、儚く散ろうとしている。
そんなこと、耐えられるはずがなかった。




