53話 彼女と衝撃
馬車に乗っておおよそ2時間半といったところだろうか。
遠方とはいえど予想よりも早く着いたことは幸いなことだった。
日が暮れる前にブラックストーン家に訪れたいと思っていたからだ。
もっとも、到着したのが夜であったとしてもオスカー室長に会おうとしていただろうけれど。
家の中に入れてくれるかどうかは分からない。いやこんな誰かも分からない小娘を入れてくれる貴族の家などあるものか。それでも、わたしは扉を叩かずにはいられなかった。
強く大きく扉を叩き、早く誰か、室長が現れてくれないかと、そんな気持ちでいっぱいだった。
しばらくして扉が開き、しかし出てきたのは使用人でもなく、室長でもなく、綺麗なドレスを着たノーラさん・・・ではなく、おそらく彼女の双子の姉、ニーナさんだった。
「こんにちは。上の窓からあなたが来るのが見えたのよ、とても可愛らしいお嬢さんだから仲良くなりたくって。ところで、あなたのお名前はなに?」
ゆったりとした口調でみるみるうちに紡がれる言葉、きらきらとした微笑みに圧され、しばらく呆然としていると、ニーナさんに手を引かれて屋敷の中へと連れていかれる。
大広間にあるソファに座ったところでようやく我に返り、勢いのままに立ち上がってお礼をする。
「あ、わたし、アリシア・メラーズといいます。室長、オスカー室長の部下です。」
「ああ!あなたがアリシアさんなのね!ノーラからあなたのことは聞いているわ。会えてとっても良かった。お話したいと思っていたのよ。」
どこまでもにこやかに話す彼女は、やはりどこかまったりしている。「ありがとうございます」と言いながら彼女のペースに巻き込まれて思わずリラックスしてしまいそうになるが、そうもいかない。
しばらくして紅茶とクッキーが使用人によって運ばれてきたが、それにも手をつけずに思い切って聞いてみることにする。
「あの、室長は今どこに?」
「ついさっきまでここにいたのよ。おじさまやフレッドのことを色々聞いたり、使用人たちを使って調べ物をしていたり・・・何をしているのかは分からないけれど、でもずっと厳しい顔をしていたわ。書斎にこもっていたかと思えば、ひどい顔をして、さっきどこかへ行ってしまったの。」
「室長はたぶん、・・・シュタイン家のことを調べていたと思うんです。」
その言葉を出すと、微笑みを浮かべていたニーナさんの顔が僅かに強張った。
おそらく彼女も夫であるフレッドさんの異変にシュタイン家が絡んでいるということを分かっているのかもしれない。
その硬い表情のまま、しばらく沈黙した彼女は、紅茶の一口だけ啜って口を開いた。
「やっぱりそうなのね。おばさまが零していたの、オスカーが彼の生家のことを聞いてきた、とね。でも頭の良い彼のことだもの、自分から危ないところへ飛び込むなんてことしないって思ったのだけれど・・・」
「そうあって欲しいのですが、でもどうしても可能性がある限りは自分で室長の無事を確かめたいんです。何かに苦しんでいるなら、・・・わたしが・・・」
わたしが、何だと言うのだ。
救えることなど、あると思っているのか。
思わず言葉に詰まると、ニーナさんはまたキラキラの微笑みを浮かべた。
「あなたは、ブラックストーンとシュタインの関係について知っているのよね?」
「・・・はい、浅いところは。」
「それなら、この近くのブラックストーンがもつ病院の、タオさんという方を訪れてみて。・・・オスカーの生家での乳母なの。わたし、昔ひどく風邪をこじらせたときがあってね、入院していたことがあったの。でも暇ですることがなくて病院内を探検していたときに彼女と出会ったのよ。きっとあなたの力になってくれると思うわ。それに、タオさんに自分の存在は知られてはいけないって言われたから、きっとおじさま以外はオスカーも誰も彼女のことは知らないの。」
そう言いながら彼女は一枚の紙に何やら書き連ね、それをわたしに病院で見せるようにと言った。
もしかしたら室長の力になれることがわかるかもしれない、その思いから、わたしはニーナさんに深く深く感謝したあと、その病院へと急いだ。
タオさんは、隔離されたところにいた。
よほど誰の目にも触れないような、病院の端の部屋に。
そして彼女は、とても口を利けるような状態ではなかった。
ニーナさんのおかげで彼女との面会は出来たものの、老衰しきっている様子の彼女はわたしの姿を認めるだけで、口を動かしても言葉が紡がれることはない。
でも、わたしは彼女にありったけの想いを伝えた。
ブラックストーンがシュタイン家から被害を受けていること、室長がシュタイン家に何かをしようとしていること。
シュタイン、と、オスカー、という単語に彼女は強く反応した。
そして震える手で横にある棚を指差す。
そのジャスチャーのままに、わたしは棚の中を探った。あるのはハンカチや髪留め、櫛などの小物であったが、奥深くにところどころに穴が開いた黒い皮の手帳を見つけた。
中を開いてみると、そこに書かれていたのはこの国の文字ではなかった。おそらくタオさん自身が他国から働きにきた人なのだろうと想像できた。
ここでわたしは自分がその文字を読めることに、これほど勉強していて良かったと思うことは無かった。
そこに書かれていた事実がどんなに悲しいものであれ、それを知ることが出来たからだ。
室長の実の家族、クオレトール家はシュタイン家のものによって屋敷に火を放たれ、ほとんどの人が殺されたという、事実。
彼の父も母も、そのとき亡くなってしまったが、乳母であったタオさんは室長をなんとしても守るべく屋敷から逃げ出したのだという。
おそらく室長はシュタイン家について調べている内にそれを知ってしまった。
でも人から話を聞いたものだけではきっとシュタインに罰を受けさせる確たる証拠には成り得ない。
それでも、この手帳があれば・・・なんとかなるかもしれない・・・。
タオさんに手帳をしばらく借りることを伝えると、彼女は僅かに頷いてくれた。
きっと彼女だって、クオレトールのことを、そして彼女が育ててきたオスカー室長のことを守りたいと思っているはず。その想いを、絶対に無駄にはしないと誓い、わたしは再びブラックストーン家に向かった。
しかしまた、オスカー室長とは会えなかった。
わたしが来る少し前に来て、「1日だけでいいから、俺を跡継ぎだと触れ回ってくれ。」と、そうブラックストーン家当主に頭を下げたのだという。
心配そうに眉根を下げるニーナさんを横目に、わたしの頭の中にひとつの可能性が浮かんだ。
もしかしたら彼は、シュタイン家を滅ぼすためではなく――――――