05話 彼女の苦悩
「ちょっと、新入りー!起きなさいよ!あんたの仕事、9時からでしょう!?もう8時過ぎてるわよー!!」
朝から何事か。けたたましく鳴り響く高い声と、乱暴に叩かれる部屋の扉。ただもう少し静かにしてくれないか、と思ったけれど、その人の言葉の意味するところを知って、慌てて飛び起きた。・・・遅刻だわ!
「ちょっと!起きてるの!?遅刻になってもしらないわよー!」
「あ、あの、起きてます。ありがとう!」
「・・・それならいいわ。早く着替えて食堂にいらっしゃい。」
扉越しにお礼を言い、足音が遠ざかっていくのを聞いてから、慌てて身なりを整える。まさかあのまま眠ってしまうとは。どうやら手紙の解読中にベッドにも行かないまま、机に突っ伏してしまったようだ。手紙にしわや折り目などがついていないか入念に確認してから、それを自分がもつ一番良い布にくるんでエプロンのポケットにしまい込んだ。最後に髪をくくってから、なんとか朝食を得ようと食堂へ急いだ。
「あら、早いのね。」
「あ、・・・先ほどは、ありがとう。とても助かりました。」
「敬語なんていらないわ。あなた、アリシアね?わたしはマーガレットよ。マーガレット・ムーア。ここでは食堂の調理と配給をやってるの。ちなみに部屋はあなたの隣よ。よろしくね。」
そう言ってにっこり笑った彼女は、先ほどの大声からは想像もつかないほど小柄で、それでいて大きなブルーの瞳をもっていた。それをまとめている布からこぼれ出た髪は桃と橙の交じったような、彼女の名前の通り可愛らしい花を思わせるようだった。
「ええ、よろしく、マーガレット。今日はあなたが起こしてくれてとても助かったわ。」
「あなたのことはハンナさんから聞いていたの。昨夜、残り物なのに美味しい美味しいって食べてくれたのはあなただって聞いたわ。」
わたしの料理が認められたようでとても嬉しかったわ、そう言って彼女はわたしに良い香りのするパン2切れと、マッシュポテト、厚いベーコンが3枚に、野菜のたっぷり入ったスープを渡してくれた。9時まで残り30分をきっていたから、あまり綺麗とは言えない食べ方だったけれど、それでも残したくなくてなんとか15分で食事を終えた。それからマーガレットにお礼を告げて、急いで第三書庫へ向かう。
「今日は8時54分。」
背筋の凍るような、いやな声が響く。王宮に足を踏み入れた直後のことだった。声の方を見ると、そこにはオスカー室長が煙草を片手に立っていた。極力、彼と会話はしたくなかったのだけれど。
「・・・おはようございます、オスカー室長。」
「挨拶くらいは出来るようだな。ところで、今日は昨日よりも余裕がないようだな。もしや明日は早くも遅刻するんじゃないか?」
「ご心配には及びません。まさか室長、そうやって毎日記録でも付けるおつもりですか?」
「生憎だが、俺にはそんな暇も興味もない。」
「そうですか。それは有難いです。そのような暇が無いのであれば、すぐに仕事場にお戻りになった方がよろしいのでは。」
少々棘を含んだ言い方で、室長ににっこりと微笑みかけた。すると小さく舌打ちする音と、「・・・生意気だな。」という呟きが聞こえたあと、室長は煙草の火を消してから西の方角へと歩みを進めていった。そんな室長の様子に少しばかり気分が良くなったわたしは、第三書庫への道を急いだ。
昨日ハウエル殿下と遭遇したのは日が沈んだ後。おそらく彼が食事を取る前か後だ。そんな僅かな休息の間しか、彼には自由な時間がなかったということ。ならば今日彼が来る時間もそれくらいの時間であろう。それまでにわたしは、まだ解読出来ていない手紙の数行と、そしてその内容をどうやって彼に伝えるかを決めなければいけない。どんなに知ってほしくないことでも、わたしが言わなければならないのだから。
「ねえ、マーガレット。自分の好きな人が、自分のことを好きじゃないとき、あなたはその事実を知りたいと思う?」
午前の就業時間を全て手紙に費やし、とうとう手紙の全文を解読したわたしは、それを殿下に伝える覚悟をつけようとしていた。食堂での昼食の時間を利用して、マーガレットに相談をもちかける。
「あら、アリシア、あなた恋をしているの?」
「ううん、わたしじゃないの。わたしの、・・・知り合いの人よ。」
「そう・・・。わたしなら、相手がわたしのことをどう思っているのか、ちゃんと知りたいわ。もしわたしのことを好きじゃなくっても、理由が分かるのなら、また頑張れるでしょう?もしどうにもならないなら、別の恋を探せるわ。」
そうやって少しだけ頬を染めたマーガレットは、恋をしている少女のように見えた。彼女の事情と、殿下の事情は全く違うかもしれない。それでも、恋をしているという事実は同じ。それは殿下も、好きでたまらない相手の返答を、結果がどうであれ望んでいるということなのだ。
「そうよね・・・ありがとう、マーガレット。」
わたしには、事実を変えることも、それを隠蔽することも出来ないのだから。正直に殿下に伝えることしか出来ないのだから。そう、ついに覚悟を決めて、わたしは再び第三書庫へ戻り、殿下の来訪を待つのであった。