46話 彼女と彼女の痛み
ノーラさんの話を聞いたのち、どうしても胸の痛みに耐えられなくなって、「仕事がありますから」と彼女を追い出してしまった。
仕事を放ってジャスパーさんやノーラさんと話しこんでいたことは事実ではあったが、どうしたって残りの業務に集中出来るはずがなかった。それでも仕事は仕事であるからと手を動かしつつも、気がつけば考えてしまうのは室長のことばかり。恋をするとこんな風にもなってしまうのかと、初めて味わう感情ばかりに戸惑うどころか、恋なんてしなければ良かったのでは、という考えまで浮かんでくる。
何度目かのため息をついて、今日の業務時間が終了したことを確認し、すぐに帰って寝てしまうか、マーガレットに話を聞いてもらおうと思い、統括室へ向かった。
扉を開けると、やはり、とでも言うべきか、ノーラさんもいた。隣にいて当然であろうノーラさんと室長はどうしたってお似合いで、再び言い合いをしている様子ではありながらうらやましいという気持ちが溢れてくる。
「いい加減、ここから出ていけ。」
「あら、滞在の許可はもらっているわ。」
「滞在する必要がないだろう。」
「あるわ、あなたに会いに来たんだもの。」
「ならばもう果たしたはずだ、帰れ。」
なんていう会話の合間に、ソファに座ってコーヒーを飲んでいたマーティンさんから小さな笑い声が聞こえてくる。
「ずっと同じやり取りばかりしていて、よく飽きないものだよ。」
「・・・それだけ仲が良いということですね。」
「オスカーはまるで興味が無さそうだけれど。まあ、そんなところがノーラさんをムキにさせるのかもしれないね。」
「あれだけぶつかり合いながらも、仲の良さが伝わってくるのは、やっぱりふたりが持つ過去とか、絆があるからでしょうか。」
「・・・・・・どうかな。俺にとっては、アリシアちゃんとオスカーが言い合いをしているときにも、同じように信頼とか絆を感じたけれどね。」
そう呟くマーティンさんを、思わず見返してしまった。
あんな風に見えていたのだとしたら、それほど嬉しいことはない。でも、彼は仲良くなれば、というか、一定の時間を過ごせばその人間とは打ち解け、同じような態度を取るのかもしれない。・・・本当に好きな人には、もっと、
「・・・すみませんマーティンさん、今日はこれで失礼します。室長にも伝えて、」
「もういいわ!!これほど言っても分かってくれないなら、お望み通り帰ってあげる!!」
言い切る前に、鋭い声に遮られた。
つい先ほどまで言い合いながらも軽快な音楽のように繰り広げられていたふたりの会話は、どうやらどこかで穏やかさを失ってしまったようだった。
マーティンさんとともに視線をふたりに移すと同時に、ノーラさんは僅かに赤くした顔をこちらへ向け、そのまま横をすり抜けて扉を開けて出ていってしまった。
しばらく呆然と彼女の足音を聞いていると、普段と変わらない様子の室長に向かってマーティンさんが問いかけた。
「・・・一体何を言ったの?」
「お前がここに居ても俺は家には帰らないし、お前とも結婚しない、と。そう言っただけだ。」
なんて言う室長は、本当にたいしたことなど言っていないというように涼しげな視線をこちらへ向けた。
それを見て、自分が言われたわけではないのに、痛いほどの苦しみが襲う。
ノーラさんの痛みは、どうしたって分かってしまうのだ。
まったく、と小さくため息を零したマーティンさんは、
「・・・よかったの?」
と問いかけるものの、
「良いも何も、これ以上いても迷惑だろう。お前にも関係の無いことだ。」
「いや、そうじゃなくて、・・・最近、夜の一人歩きの女性を狙う通り魔がいる、って」
まあ、王宮の周りなら警備が厳しいはずだから大丈夫だと思うけれど、
と続けた彼の声は、どうやらオスカー室長には届かなかったようだ。
すでに彼は、心配や焦りを顔に浮かべて、統括室を出ていってしまったからである。
よほど大切で、よほど心配なのだろう。
あれほど焦った様子の彼を、わたしは見たことが無かった。
それが幼馴染だからなのか、家族同然だからなのか、大切な女性だからなのかは分からない。それでも、ノーラさんがオスカー室長にとって大切な存在であるということは言葉なくしても分かることだった。
幼い頃から付き合いのある人にもしかしたら危険が迫っているかもしれないと思えば、彼の反応は当然のものなのかもしれない。それでも、もしわたし同じように危険が迫っていても、きっと彼にあれほどの反応は望めないだろう。その差が、確かめることもなく分かってしまうことが悔しくて、そしてこんなときにこんなことを考えてしまう自分にも腹が立ってしまう。
彼を好きになんて、ならなければ良かった。