45話 彼女と彼の昔話
綺麗な焦げ茶の髪、そしてはっきりとした整った顔に、これ以上無いほどの美しいスタイルを持った彼女、ノーラさんは何の迷いもなくこちらへ歩み寄ってくる。そしてわたしの目の前まで来て「いいかしら?」と問いかけ、返事をする間もなく椅子へと腰掛けた。
「あなた、オスカーの部下なのよね?」
はきはきと、明るい口調で話す彼女。室長の婚約者、という嫉妬のフィルターを取り外してしまえば、きっととても素敵で尊敬出来る女性なのだろう。
それでも今のわたしには、彼女が自分には無い全てのものを持っている女性として、羨望や嫉妬という嫌な感情を抱いてしまう。それが苦しくて、なかなか好意的に接することが出来ない。
「・・・そうですけど、わたしに何か・・・?」
とても小さな声で、そして低い声でまるで牽制するかのように発せられた自分の声に、自ら驚き、そして嫌悪する。それなのに目の前の彼女は、そんなことは気にもしないようで、明るく話を続けた。
「あの人の仕事ぶりを教えてほしいのよ!」
「わ、わたしは室長とは仕事場も違いますから、」
「でも上司と部下でしょう?いいじゃない、何でも良いから、教えて。」
そう強く期待をもったように言われ、そして話してくれるまで意地でも帰らないとでも言いそうな表情を見て、どうにか彼女に伝えられるような室長とのエピソードを思い浮かべてみる。
「・・・そうですね、普段はずっとデスクに向かっています。朝早く出勤した、と思っても室長は既に出勤していて、帰りも誰よりも遅いです。」
「そういうやつなのよね、あの人。」
「あと、マーティンさんや統括室の人とはよく話しますが、基本的には人に冷たいです。どこかで探っているような、その人を見極めようとしているようにも思います。」
「人の機微や感情の変化に聡いのよ。だから人事の仕事はとても向いていると思うわ!」
「わたしもそう思います。・・・でも、ただ冷たいっていうわけではなくて、ちゃんとその人を見ていて、困っているときや迷っているときにはさり気なく気をかけてくれるというか・・・決して甘やかすのではなくて、答えを見つけさせてくれるような・・・」
「そう!そうなの!そういうところが良いのよね。」
「ええ!たまに見せてくれる優しい表情とかを見せられたりして、きっとこの人はいろんなことを考えていて、でも相手にとって一番のことを考えられる人なんだっていうのが分かると、・・・」
「・・・分かると・・・?」
ふと、話に盛り上がってしまっていたことに気付き、思わず口に手を当てた。
それ以上は、続けられなかった。
わたしの口から出るはずの言葉は、
好きにならずにいられなかった
なんていうものだったから。
「なんでも、無いです・・・。」
どうにかこの話題を終わらせようと他の話題について考えを巡らせていると、ノーラさんがじっとこちらを見つめていることに気付く。
「・・・好き、なのね?あなたも。」
はっ、として、でも逸らせない視線に、言い逃れは出来ないと思った。
婚約者相手に、自分が彼のことを好きだと告げることはわたしにとってはひどく哀れなことに思えた。
「・・・はい。」
「・・・そうだと思ったわ。あの人は口は悪いし目つきも悪いけど、一緒にいたら嫌でも分かるもの。良い人だって。」
「・・・はい、あの、・・・」
「いいの。わたしは彼の婚約者だけど、彼には見向きもしてもらえていないから。」
そう言った彼女は、はきはきした明るい口調を曇らせ、同時に視線も落とした。
そして、「話を聞いてくれる?」と、静かに尋ね、そのまま遠くへ思いを馳せるように語りだした。
彼女の話は、昔の彼女たちの話だった。
ノーラさんには双子の姉がいた。名前は、ニーナさんというようだ。
彼女たちとオスカー室長、そして室長のお兄さんは、家同士の付き合いの深さから、幼い頃いつも4人で遊んでいたようだった。その頃からノーラさんは室長のことを好きだったようだ。
「でもね、オスカーは、姉のことが好きだったの。」
それを聞いて、胸に確かな重みを感じた。
彼に好きな人がいた。もしかしたら、今でもその人のことが好きで、だからノーラさんのことを断っているのかもしれない。そんな考えが浮かんだ。そして同時に、見たことも会ったこともないニーナさんに強烈な嫉妬を覚えた。
目の前のノーラさんも、辛そうに眉を寄せて、それでも話し続けた。
確かな恋心を持ちながらも、室長がニーナさんに想いを伝えることは無かった。
なぜなら、ニーナさんは室長のお兄さんのことを好きになってしまったから。そして今では、彼女はお兄さんの妻となったのだという。
きっと、ニーナさんもお兄さんも室長の気持ちには気付いていなかった。室長のことをずっと見ていたノーラさんだけが気付いていた。彼がどんなに苦しんで、それでもふたりのことを祝福してきたということを。
「今でも、好きなんだと思うわ。」
主語がなくても、誰のことを言っているのか分かった。わたしも同じことを考えていたから。
「でもわたしは、諦めないのって決めたのよ。いつかわたしのことを必ず好きにさせてみせるわ。」
そう言うノーラさんから、とうとう目を逸らしてしまった。
室長は幼い頃からひとりの女性のことが好きで、こんなに強く想いを告げてくれるノーラさんに見向きもしないで、今までやってきたのだとしたら。
わたしが諦めないことで彼に何か届くものはあるのだろうか。
初めてもったこの恋は諦めない、とそう誓ったけれど、すでに自信なんてものは消えてなくなってしまいそうだった。




