42話 彼女と彼の関係者
オスカー室長への気持ちを諦めたくはないと思ったものの、実際に告白しても「寝言」と言われてしまう以上、そして上司と部下であるという関係がある以上、どうやって先に進んで良いのか分からない。
それでも良いのか悪いのか、私の告白は室長にとって価値を持たないものとして認識されている今は、とりあえず今まで通り当たり障りの無い状態を続けることが最善であろう。何といってもつい最近自覚したばかりの想いだし、まだ自分でそれを大切にしたい。
そう、だからいつも通りにしたら良い。
そう思ってはみるものの、人事統括部の扉の取っ手をつかんだ手は、なかなか動き出してくれない。いざこの扉の向こうに室長に対面してしまうとなると、昨日の出来事がいとも容易く脳裏に蘇る。
「・・・どんな顔をしたらいいの・・・?」
呟いてみても、答えは出てこない。そして考えれば考えるほど、気まずさも増してしまう。挨拶を済ませてすぐに書庫へ行けば良いのだから、勢いに任せれば良いと、今度こそ手に力を加えようとしたとき。
僅かに開いた扉を、後ろからびゅっと風が吹いたような速度でひとりの女性がかいくぐっていった。まるでわたしが彼女をエスコートしたように、途端に扉の内へと入っていってしまった。
「・・・え?」
驚くままに、そして知らない人が統括室に入っていってしまったことに焦りつつ、とりあえず自分も中に進む。
と、そこにいたのはいつも冷静なその表情を僅かに崩し、その女性が現れたことに驚きを伝えている室長と、よくよく思い出してみると、以前に見たことがあるひとりの女性だった。
綺麗な焦げ茶の髪に、はっきりとした顔立ち、室長に引けを取らないスタイルの良さ、それはステラさまの誕生パーティでオスカー室長といっしょにいた、彼女だった。
「・・・なぜお前がここにいる。」
しばらく続いた沈黙を破ったのは室長だった。
にこにこ微笑んでいた彼女は、室長に会えたことが嬉しくてたまらないとでも言うように、その美しい顔をさらに笑みで飾った。
「あなたに会いに来たからよ、オスカー。」
そう言って、ついに抑えが効かなくなったかのように室長へ歩み寄り、そのままその首へと抱きついた。その動きがとても自然で、そして何よりもお似合いで、思わず顔を背けてしまった。まるで目の前にふたりの視界には、わたしなど映っていないようだった。
声をかけることも、動き出すことも出来ずに、誰かが来てこの状況を何とかしてくれないかとそう考えていたところに、丁度マーティンさんがやってきて一瞬驚いたような呆れたような表情を見せたあと、
「ノーラさん、そこら辺にしておいてくださいね。」
やさしく彼女、ことノーラさんに言い聞かせた。
少し名残惜しそうに室長から離れた彼女は、改めてマーティンさんに向き合って、「久しぶりね」と言ったあと、やっとこちらに気付いたかのようにわたしに目を向けた。
「あら、・・・あなた、どこかで・・・?」
「あ、はい、あの、王女殿下の、」
「ああ!あのパーティのときね、思い出したわ!それで、名前は?」
「アリシア・メラーズといいます。」
「アリシアね!わたしはノーラよ、よろしく。」
あまりにも強い目力に気圧されつつ、それでも明るいテンションと人懐っこさを感じさせる彼女は、おそらく悪い人ではないのだと思う。快活で、とてもはきはきした印象を抱かせる。
自己紹介を終えて満足したのか、次にはまた室長へと向きを変え、彼からの反応を待つように微笑む彼女。
それを見てしばらく放心していた様子の室長は、腕組みをして、渋い表情を浮かべたままようやくその口を開いた。
「それで、目的は?」
「あら、会いたい人に会うのに目的や理由がいるのかしら?」
「ここは仕事場で、プライベートな場所じゃない。」
「でもまだ始業時間じゃないでしょ?」
「それでも連絡も無しにいきなり来るのは非常識だろう。」
次々と両者の口からテンポよく言葉が紡がれ、まるでわたしたちが口を挟む余裕なんて無い。今までこんなにオスカー室長と言い合い、というか口げんかというか、仲の良さそうな人をマーティンさん以外に見たことが無かったせいか、少し驚いてしまう。しかしながら隣に立っているマーティンさんは、それがさも日常茶飯事のように「また始まったか」とでも言うような表情をしている。
「・・・小さい頃からの馴染みだそうだよ、オスカーとノーラさんは。」
「マーティンさんは以前にもお会いしたことが?」
「今までも何度かここに来ていたからね、彼女。」
「・・・なるほど。」
そのあと、「オスカーとああやって言い合い出来るのは、アリシアちゃんの他には彼女しかいないよ」と付け足したマーティンさんに、それでもわたしと室長の言い合いは、まるで親と子どものそれのようだと、どこか悲しくなった。あのふたりはきっと、わたしと室長の関係よりも、もっと。
「何度も言わせるな。今日は帰れ。」
「こっちこそ何度も言わせないで!絶対に帰らないわ!」
「お前が何を言おうが関係ない。仕事があると言っているだろう。」
「関係なくなんてないわ!だって、わたしはあなたの、」
婚約者だもの
いくらマーティンさんと話をしていても、これだけ大きな声で宣言をされたら聞こえてしまう。隣でマーティンさんが頭を抱えるような素振りを見せたのにも気付かず、わたしはただその事実に、早くもこの気持ちが壊れてしまいそうだと、そう思った。