38話 彼女ととある使者
思っていたよりは、緊張は感じなかった。
ホセさんが単身部屋に入ってきたときは、それなりに緊張して言葉を詰まらせたものだが、すぐ傍にステラさまがいてくれたこと、そして何よりもホセさんもどこか緊張している様子が見られて、ああ、同じだと、安心できたことが大きかった。
「こうして再会できて嬉しいです。」
そう話す彼は、以前よりもミッドチェザリアの言葉を流暢に話している。彼もまた勉強してくれたのだと思うと、その気持ちだけでとても嬉しかった。
「こちらこそ。以前お会いしたときはこうしてゆっくりお話する機会もありませんでしたから、今回そうすることが出来て嬉しいです。」
しばらくは当たり障りの無い、天気の話とか、趣味の話とか、少しだけ政治の話とか、そんなことを話している内にどうやらホセさんの方も緊張を解いてくれたようで、表情も柔らかくなってきたようだった。
それを待っていたかのように、しばらく横で相槌を打ちながら話を聞いていたステラさまは、ホセさんに軽く挨拶をした後、わたしに「頑張って」と耳打ちしてから、部屋を出て行った。
「アリシアさんは、王女殿下と仲が宜しいのですね。」
ステラさまが退室して、少しリラックスした様子の彼は、そう言った。
「はい。殿下は常にわたしのような使用人たちのことを気にかけてくださり、優しくして下さいます。今回のお話もまた、その優しさです。」
「素晴らしいです。そのような方の下で働くというのは、とても幸せですね。」
「ホセさんの国にも、そのような方が?」
「ええ。私の国の王女殿下です。」
そう言って、ホセさんはとても優しい笑顔で話し出した。
元々王室付きの騎士として王宮入りした彼に、使者としての仕事を任せるようになったのがアイレア国の王女殿下だという。もともと彼女を護衛していたホセさんがもつ教養や、努力を怠らない性格を見出して、新しい可能性を与えてくれたのだと、彼は話した。下っ端の自分や、他の使用人のことを、まるで身分の差などないかのように接してくれる彼女は、本当にアイレア国の誇りだと話す彼に、わたしは深く共感した。
人の上に立つものは、必ずしも傲慢で驕り高ぶるような人々では無い。少なくともわたしが見てきた王家の人々は、やはり普通の人とは違う気品や雰囲気を持ってはいるけれど、だからといって人を見下すような態度を見せたことは一度も無い。そんなハウエル殿下や、ステラさまに、わたしはいつも尊敬の念を抱いている。
だけど、そこで、少し違和感を感じた。
目の前にいるホセさんの表情や語り口、そして柔らかい目元は、王女殿下への尊敬を表しているというよりは、まるで。
「・・・もしかして、恋をしているのではありませんか?」
小さな、確信だった。
その問いかけを聞いたホセさんは、一気に表情を強張らせ、そして顔を赤らめた。何と言おうかとあたふたしている様子の彼に、そうか、とどこか納得できた。
「その気持ちがありながらこのお見合いを断らなかったということは、もしかしてすすめたのは、王女殿下ではありませんか?だから断れなかったのでは?」
そう聞いてしまうのは意地悪かと思ったけれど、でも彼の気持ちを知りたかった。知ることで、このお見合いの正しい解決策が浮かぶと思ったから。
「・・・全てお見通しですね。すみません、アリシアさん。その通りです。」
しばらく目線をあちらこちらへと遣りながら気まずそうに、それでも彼はぽつりぽつりと言葉を紡いだ。
「こんなこと大声で言えたものではありませんが、私は王女殿下をお慕いしております。ですが、所詮叶わぬ想いと分かっておりましたし、殿下から見合いの話を出されたときもそれほどショックは感じませんでした。ですがやはり気持ちをすぐに消したり変えたりすることは出来ないようで・・・あなたにも失礼なことをしてしまいましたね。本当にすみませんでした。」
そういう彼は、本当に申し訳なさそうで、だけれどどこかすっきりしたような表情もうかがえた。
「実は、わたしもお見合いにこだわっていたわけではないのです。自分を高めることが出来ればと、そう思ったときに、王女殿下が手を差し伸べて下さったのです。だからお気になさらないで下さい。」
そう言うと、彼もまた微笑んだ。
その微笑みに、わたしもつられて笑ってしまう。だって、分かってしまった。
わたしはずっと、このお見合いを望んでなどいなかった。ホセさんに好意はあるけれど、だからといって婚約とか結婚とか、そんなことは考えることなんて出来なかった。いくらスキルアップだと銘打っても、実際はこのお話が無かったことになりそうだと分かった瞬間、こんなにも安心している自分がいるのだから。
「では、これからはあなたの恋の話を聞かせてください。」
「・・・そんなことで楽しんでいただけるかどうか。」
「ぜひ、お聞きしたいんです。それに、わたしでも何か相談に乗れるかもしれません。」
そう言えば、彼は観念したかのように「分かりました」と承諾した。
それからゆっくりと、だけどしっかりとした彼の気持ちが語られた。
いつも傍にいる彼とアイレア国の王女殿下は、だからこそ常に意見し言い合える仲だったという。そんな中で、それでも彼が彼女への恋心を自覚したのは、どこにいても、何をしても、常に考えてしまうのが彼女だからだったそうだ。
「でもそれは、あなたが殿下を護衛しているからではないのですか?」
「私も最初はそう思いました。でも、違うんです。使者の仕事を任されて、彼女の傍を離れることが増えてからもより一層、考えてしまうんです。そして再会する度に、ほっとするというか、幸せを感じるといいますか・・・。」
そこまで話して、ホセさんは恥ずかしさで居たたまれなくなったのか、顔を赤くして黙り込んでしまった。そんな様子を見て、彼の気持ちがいつか殿下に伝わるようにと、そう思った。
「アリシアさんは、そういう方はいらっしゃらないのですか?」
まだ顔が赤いまま、話をこちらへ振ったホセさんは、さぞかし興味深そうにしている。そんな様子を見て、残念ながらわたしには浮いた話など無くてと、そう断る。それでも相手にばかり話させるのもどうかと思い、とりあえずは王宮での仕事や、同僚の話などをしてみる。
「・・・なるほど。ではその冷血で意地悪で口の悪い人が、アリシアさんの上司なんですね?」
「そうなんです。とても腹が立つので、今日はどうやって言い返そうかとか、次こそ言い負かしてやるとか、いつも考えています。」
「いつもですか。」
「ええ、いつものように意地の悪いことを言うので。」
「でも、彼にとってあなたは部下ですから、優しいところもあるのでは?」
「・・・・・・そうですね。本当に、たまに。」
思えば、室長にもらったのは意地の悪い言葉と冷たい視線だけではなかった。何だかんだで、苦しいときに助けてもらったことはあった。それがとても分かりにくいだけで、実は部下や仲間のことをきちんと考えているのかもしれない。
「・・・・・・なるほど。」
「・・・何ですか?」
急に何かをひらめいたような、はたまた何かに納得したような様子のホセさんは、ひとり満足そうに微笑んだ。今までの話に何かそうさせるようなポイントでもあっただろうか。
「あなたはまだ、気付いていないのですね。」
「・・・何を?」
「いえ、ここで私が指摘するわけには。」
彼が何に対してそう言うのか訳も分からないまま、「お互いに頑張りましょう。」という、その言葉によって、今日のお見合いは締めくくられることとなった。
外の方に報告してきますと、そう言って部屋を一旦出たホセさんに頷きながら、わたしは今日彼と話したことを思い浮かべていた。
どこにいても、何をしていても、常に考えてしまう
それが恋だというのなら、じゃあ、もしかして、この気持ちは