33話 彼女と同僚たち
ああ、重い。
かなりの量のファイルを抱えられたのは良いものの、第3書庫へ辿りつくまでにいつもの倍ほど時間がかかってしまった。ようやく書庫の机の上にファイルを置き、すぐ傍にある椅子へと腰を下ろして深呼吸をする。なんだか朝からどっと疲れたような気がするのは、きっとこのファイルの所為だけではないだろう。
「・・・本当に口が悪いんだから・・・・・・。」
そう一人ごちながら思い浮かべるのは、やはりオスカー室長である。
ファイルを見つめながら、だけれど室長の言う通り自分には無理ではないかという考えが浮かんでくる。しかし負けてたまるかと、彼のことを考えないようにしながら、まずは整理係としての仕事をしなければと、本に向かった。
しばらく仕事に没頭していると、その間は見合いのことを忘れることが出来た。やはり本のことが好きだと、そう再認識する。出来れば、いつかの自分の相手も、同じように本を愛している人がいいと漠然とそう思った。
そうしている内に昼休憩の時間がやってきて、10冊ほどファイルを抱えて食堂へと足を運ぶ。すると配給係に勤しむマーガレットの姿を捉え、小さく微笑みながら食事を受け取った。
「お昼のときまで仕事?」
「ううん。実はこれ、見合い写真なの。」
「・・・ちょっと、わたし聞いてないわよ。いろいろ聞きたいわ!」
そう言う彼女は、ふて腐れているように思えるが、少し楽しそうに笑っている。どうやら色恋話が好きなような彼女に、「仕事が終わったら話すわ」とそう告げて、空いている席を探した。
少し行儀は悪いが、幸いそれを嗜めるような人はここにはおらず、わたしは右手でフォークを持ちながら、左手で一つ目のファイルを開いた。
一人目はさすがステラさまが選んだけあって、名のあるお金持ちの領主だった。しかしながら年齢は少し高く、父よりもほんの少しだけ若いといった外見も気にしてしまう。いやしかし、庶民出身で何の後ろ盾もないわたしにとってはこんな良い話は無いのだろう。
「・・・・・・・・・何唸ってるの。」
どうしたものかと頭を抱えそうになっていたところに、頭上から声が聞こえた。その独特な話し方と落ち着いた雰囲気を含んだ声は、顔を上げて確認するとやはりライナスさんだった。第二書庫の整理係である彼は、小動物のような外見をしているが、そのぱっちりとした目はどこか凛々しくて、最初はそれが怖いと思っていたけれど、今はそれも少しだけ和らいだように思える。
「あ、ライナスさん。こんにちは。実は今度お見合いをすることになったんです。」
「・・・・・・・・・あんたが?」
「ああ、分かってるんです。わたしがお見合いなんて出来るような女性ではないことは・・・。」
「・・・・・・・・・・・・そういう意味じゃない。」
言いながら、両手で持っていたトレイを机に置き、ライナスさんはわたしとファイルたちから席一つ分間を空けて腰を下ろした。
「・・・・・・年上すぎ。」
「あ、この人ですか?わたしもそう思うんですが、あまり我侭を言える立場じゃないのですぐに否定しても良いものかと・・・。」
そう返すと、ライナスさんは大して興味も無さげに「ふうん」とだけ発した。それから彼が会話を再開させることは無かったので、わたしも食事を取りつつ、二枚目、三枚目のファイルへと手を伸ばす。しかしながら一枚目の男性とさほど変わらず、やはりどこかしっくり来ないといった印象を抱かざるを得なかった。それはステラさまも同じようで、‘わたしはあまりお勧めしないのだけれど、贅沢な暮らしをするには最適よ’といったメッセージが添えられていた。
「・・・あんた、」
「はい?」
「・・・・・・何のためなの?」
何のために見合いしてんの?・・・・・・・・・それ、本当に望んでる?
そう、しっかりとこちらを見つめる瞳に、思わず見入ってしまった。それはすぐに逸らされたけれど、何もかも見透かされているような気がした。
答えなんて、わたしにも分からない。だけれどこの目的は一体何なのか、確認し得ない心の深いところでは、とっくに答えは出ているような気がした。
「・・・・・・まああんたがやるっていうなら、止めないけど。」
しばらく返答に考え込んでしまっていると、痺れを切らしたのかライナスさんがそこで話を打ち切った。そしていつの間に食べ終わったのか、空になった容器の入ったトレイを再び両手で持ち上げ、席を立つ。
ライナスさんに問われたことが未だに胸につかえているけれど、でも今更この話を断ることも出来ない。それに、室長を見返すと決めたのだ。
午後の仕事を終えてから再び第三書庫で椅子に腰掛けてファイルを眺めていると、ふいにノックの音が聞こえ、それと同時にジャスパーさんが足を踏み入れた。いつも愛想が良くて、目が合うと微笑んでくれる彼は、今日はなんだか顔が強張っているようだ。とりあえずお疲れ様と挨拶をするが、その反応も薄い。
「話があるんだ。」
特に何の世間話をすることもなく、いや、しようともせず、彼は一言そう言った。いつもと違う口調に加え、何か切羽詰ったような様子だったために、見ていたファイルを閉じ、頷いて彼のために椅子を引く。
それを見届け、すぐに傍の椅子に腰掛けた彼の眉間には未だ皺が寄っている。彼のこんな表情を見たのは久しぶりだった。そのためにこれから話されるであろう話の内容を不安に感じていると、ふいに、両の手が何かに包まれる。何かと思って視線をそこに映す前に一瞬だけ目に入ったジャスパーさんの表情は、ひどく辛そうだった。それを気にしながらも膝の上の自分の手を確認してみると、それを囲んでいるのは。
それは間違いなく、目の前にいるジャスパーさんの大きな手だった。