32話 彼女の意地
さて、パーティが終わったあとは、ステラさまとエリック王子の婚約発表もあり、騒然としていた王宮内も、それから1ヶ月ほど経てば、その賑わいも落ち着きつつあった。しばらくミッドチェザリアに滞在していたエリック王子は、その間片時もステラさまの傍を離れようとはしなかったようで、今まで素直になれなかった時間を必死に取り戻そうとしているように見えた。王宮内で何度か見かけた2人が寄り添って歩く姿は、とても幸せそうで、いつか彼らが大きな祭典の中で、その愛を永遠のものとする時が来ることを、わたしは確信したのだった。
そんなわたしは、ステラさまのお付としてパーティに参加したものの、それが終わってしまえば一人の書庫整理係へと元通りである。まだ本の整理は初期の段階で、だけれど久しぶりに本たちに向き合って仕事に没頭できるというのは、わたしにとって至福のときであった。
よし、今日も一日仕事に集中しよう、とそう意気込んで、まずは人事統括室へと訪れる。まだ朝のやわらかい太陽の光が差し込んでいる部屋の中には、オスカー室長とマーティンさんしか来ていないようだ。
「おはようございます。」
「ああ、アリシアちゃん、おはよう。」
そうやって爽やかに微笑んで挨拶を返してくれるのがマーティンさんである。赤茶色の髪がより一層彼のあたたかさを引き立てているようだ。
それに比べて、その奥でものすごく不機嫌そうに書類に向かっているのはオスカー室長である。彼は端整な顔立ちをしているけれど、やはり依然として冷たい印象は拭えない。その銀縁眼鏡の奥の瞳は、どうしたって優しそうに見えないのだ。
「・・・室長はいつも書類に囲まれていますね。」
「誰のせいだと思ってる。」
「・・・わたしの所為とでも?」
「その通りだ。」
わたしが部屋に足を踏み入れてから一向に口を開こうとしない室長に話をふってみても、会話をまともに続ける気もなければ棘を含んだ言い方をする彼に、こちらも少し口調が冷たくなってしまう。そんな様子を見て、横でマーティンさんが小さく笑ったあと、口を開いた。
「このファイルはほとんど、アリシアちゃんへの贈り物だよ。」
「贈り物?一体誰からですか?」
「ミッドチェザリア国王女、ステラ殿下から。」
「ステラさまから・・・?・・・・・・あ、まさか。」
思わず一番上のファイルを取って中身を確認してみると、やはり男性の大きな顔写真と全身写真、大まかなプロフィールに加えて、おそらくステラさまが書いたと思われるその人に対するコメントなどが書かれたメモなどが含まれている。
やっぱり。
先日彼女から見合いの話を持ちかけられ、結婚相手が欲しかったというわけではないが、スキルアップが出来る良いチャンスだと言われ、思わずその話をのんでしまった。しかしその日から大分日が経っていたから、その話はステラさまの気まぐれだったのだろうと少し安心していたのだけれど、彼女はしっかりと覚えていたようだ。いや、それどころかご丁寧にかなりの数の男性をピックアップし、対策と傾向までもコメントしてくれている。ああ、少し前にハウエル殿下が第3書庫を尋ねてくれ話をしたときに、どうやらステラさまが何かに没頭している様子だ、と話していたのはこれだったのかと、妙な合点がいく。
「アリシアちゃん、お見合いするの?」
そう言いながら横からファイルを覗くようにして顔を近づけてくるマーティンさんは、写真の男性やプロフィールを一通り見て、「この人にアリシアちゃんは勿体無いな」と小さく呟いた。
「なんとなく流れでそうなってしまいまして・・・」
「まだ若いのに偉いね。・・・それにしても、このコメントは?」
「お前はいつの間に殿下とのコネクションをそこまで深めたんだ?」
訝しげに顔を傾けたマーティンさんの質問に答える前に、オスカー室長がステラさまの名前を出す。その声は未だ不機嫌そうである。
「え?これステラ殿下?」
「今朝早くに殿下付きの侍女が持ってきたぞ。ひとりで持ってくるのはさぞかし大変そうだったが。言伝で、決めたらすぐに報告してほしいと言っていたが。」
「ステラさまがご好意で話をくださったんです。わたしくらいの年代でも、もうすでに相手を考えている人はいるし、女性としての魅力を学べる機会にもなるから、と。」
「なるほどね。そういう心がけはとても良いと思うよ。」
そうやって微笑んでくれるマーティンさんに、やはり心は落ち着く。しかしそれとは反対に、先ほどよりも冷たい雰囲気を醸し出す室長が口を開いた。
「お前に女性の魅力か。」
「何ですかその言い様は。わたしには女性としての魅力なんて身に付かないと?」
「よく分かってるじゃないか。」
「わたしだって!・・・わたしだって、変われるって、ステラさまは言ってくれました。」
努力をしてみようかと決めた直後にそれを全否定する室長に、ひどく胸が痛んだ。いつもより当たりがきついと思うのも、こうして否定されることも、初めてではないけれど今までよりも辛いと感じてしまう。そのせいで出てしまった大きな声に、室長もマーティンさんも少し驚いたように見えた。
「まあまあ、オスカーも思ってもないことは言わないで。アリシアちゃん、とりあえずこのファイルは第3書庫か自室へ持っていってくれる?その中にいい人がいるといいね。」
気を遣うようにして優しいトーンでそう言ってくれたマーティンさんに、空気は一気に和らぐ。マーティンさんに返事をしてから室長に視線を移すけれど、それ以降口を開こうとしない彼に、また軋む胸の痛みを感じてしまう。しかしそれを気にしないようにしながら、山積みになっているファイルを抱えた。
こうなったら、絶対に室長を見返してやろう。
そう思いつつ、こんなにもムキになってしまう自分に、少し驚いていた。
第5章開始です。
これからもよろしくお願いします。