<彼のその恋>
俺の初恋は、お前だった。
小さい頃から関わる機会が多かった所為か、はたまたあいつに特別な何かがあったのかどうかは分からないが、確かに俺はあいつに惹かれていた。
あのときは自分よりも背が高くて大人びていて、性格も積極的だったから、まるで姉が出来たかのような気分でもあったけれど、それでも確かにあいつに恋をしていた。
「あなたの夕焼け色、わたしはとっても好きよ。」
そう言ったあいつの笑顔は、今でも忘れられない。その表情が、何よりも好きだったからだ。
いつもよく出来た兄貴と比べられ、可哀想だと同情され、腫れ物扱いされても、だけど誰にも言えない傷を、あいつだけは何も言わずに何も聞かずにただ癒してくれた。いろんな場所へ行って、いろんな経験をして、そしてその隣にあいつがいれば、俺にとってはそこがそれ以上の幸せなどない楽園に思えた。
だから、だからこそあいつにとっても俺は特別だと、そう願っていた。
だけど、違った。
ヒルスレイヴ国の王太子と、ミッドチェザリア国の王女が婚約するらしい
聞いたときは、そういうこともあるのだと、漠然と思った。
けれどそのふたりが誰と誰なのかを考えたときに、一気に頭が冷めてしまった。
ああ、ステラの相手は、俺ではないのだ
あいつすらも、兄貴に取られてしまうのか。
この国の王太子は俺と兄貴のみ。しかもミッドチェザリアのような親交も深く大きな国との結びつきを強くするためには、出来損ないの俺なんかより兄貴を取るに決まっていた。あいつの婚約者となるのは、俺ではなく兄貴だ。いくら名義上、出生の後先で後継者を決めるしきたりを持たないこの国に生まれたとしても、結果的に何もかも兄貴に負けてしまっている。
だけど、あいつがいつも俺を救ってくれていた。あいつがいつも俺を引き上げてくれていた。それで元気を貰っていた俺はあいつを失ってしまったら、じゃあどうすればいい?
それからすぐに、ミッドチェザリア国へと家族で向かう機会があった。何やら重要な国交においての取り決めがあったらしいけれど、もうそんなこともどうでも良かった。
もうあいつも知っているはずだ。あいつの将来の相手は兄貴だということを。なのに、なのに。そんな笑顔を見せるな。お前にとって俺なんかどうでもいいんだろう?兄貴でも良かったんだろう?それなら笑うな。
「ねえ、エリック。」
最初は、ただの無視だった。名前を呼びかけられても、足を止めずに、目も合わせない。
それであいつの微笑みも、優しい声も、全て消せると思っていた。こんなにも辛い気持ちにさせる、こんなにも惨めにさせる全てを。
だけど、違った。
どんなに消そうと思っても、どんなに想いを断ち切ろうとしても、どうしようもなかった。
ついには笑うあいつを傷つけるようなことを言ったり、わざと色んな女を侍らせてお前なんて用済みだと、そう見せ付けるような真似もした。
最低だと、そう思った。明らかにあいつから笑顔が消えつつあることにも気付いていた。だけどそうすることでしか、抑えられなかった。今にもぶつけてしまいそうな感情も、あいつを奪ってしまいそうな弱い心も。
そんなとき、あいつは言った。
あの頃と同じ笑顔で、あの頃よく俺を連れ出してくれた優しい声で、「一緒に押し花をしましょう」と。それはいつも俺を暗い闇から連れ出した秘密の暗号のような言葉だった。そういうあいつの声には、いつもと変わらない強さがあった。だけど同時に、微かに何かにすがりつくようなあいつの弱さも感じた。
どうしても、あいつの手を握りたかった。あいつを抱きしめて、キスをして、そして兄貴からもミッドチェザリアからもあいつを奪ってしまいたかった。
だけど、
だけど。
今度こそあいつを傷つけたと、そう思った。
もうこれ以上、あいつと関わることすら、自分には許されないとも、そう思った。でも、だけど、これでいいんだ。これで俺は、あの笑顔を見なくて済む。あいつを想わずに済むのだから。
そうして徹底的に気持ちを封じ込めた、そのすぐ後だった。
あいつの婚約者が、兄貴ではなく俺だったと分かったのは。
それが分かったのは、劣等感から会話を一方的に避けていた兄貴が、俺とあいつの最近の関係を心配していたからだった。
‘お前がしっかりしなくてどうする。ステラはお前の婚約者だぞ’
その言葉に、何かが頭をガツンと殴ったような衝撃を覚えた。
兄貴が何を言っているのかろくに理解もしないまま、父に直接話を聞けば、兄貴の言っていることに間違いは一つも無いと言った。
じゃあ、俺は、一体何のために ?
それは、深い喜びで、けれど同時に、深い絶望でもあった。
だって俺はもう、あいつとは前のようには接することなんて出来ない。あいつだって俺のことを嫌っているのだから。
そして、あいつの誕生パーティに参加する日が来た。
当人同士にも正確に知らされていないところで、今日があいつと俺の婚約を公に発表する場として捉えられているのではないかという噂がある。
もう、潮時だ。今日こそ決着をつけなければ、ずっとこのままでは耐えられない。俺のこの想いも、あいつの苦しみも。
いっそ、この気持ちを全部伝えて、受け入れてもらえないだろうか。
そんな都合の良すぎる考えも浮かび上がったけれど、すぐに消えてしまう。そんなこと、万が一にもあり得ない。だから、俺は。あいつのために、そして俺のために。
「なあ、いい考えがある。婚約者の件だが、俺ではなく、兄貴にするっていうのはどうだ?」
そう、言った。
あいつをエスコートするために手を添えながら、会場へ入って、人々の視線を受けながら、笑顔で。なるべく感情が出ないように、溢れてしまわないように、貼り付けたような微笑みで。
だけどその瞬間、笑顔は見事に崩れ去った。俺の顔からではなく、あいつのそれから。
「いい加減にして!!」
それと、同時だった。
添えられた俺の手を半ば振り解くようにして、彼女は会場から走り去ってしまった。それは一瞬の出来事で、だけど彼女が見せたほんの少しの表情は、今までのどんなものよりも苦しそうだった。
何がいけなかった?あいつにとって俺は大嫌いな存在で、そんな俺と一緒にいるのは苦痛のはずで、だから俺じゃなくて誰からも尊敬される兄貴と一緒なら、あいつだって幸せに、・・・そうなるはずだろう?
あいつを追いかけたくて話したくて伝えたくて顔が見たくて、だけど同時にその全てが怖くて身体が動かない。何を言えばあいつが応えてくれるのか、何を話せばあいつが笑ってくれるのか、もう俺にはわからなかった。
彼女はあなたの気持ちを、ずっと待っていらっしゃいます
それは、動けずにずっと臆病なままの俺に、答えをくれたようだった。誰の言葉かも、俺たちの何を知って言っているのかも分からないけれど確かにその声は、すっと心に響いて、そして固まったままの身体を動かし始める。そして走り出したのは、きっと一瞬のことだったと思う。
あれほど自分よりも強く、自分よりもたくましいと思っていたあいつは、今はとても小さく見える。
王宮の庭で、よくふたりで遊んでいた場所で、誰にも見られないようにと生垣のそばで身を屈めているあいつは、俺よりも遥かに小さくて、抱きしめでもしたら壊れてしまいそうだ。
「・・・なあ、」
「近くに来ないで。」
真っ直ぐな、拒絶。
だけど、ここで逃げたら、また同じだ。
「俺、小さいときから、お前とあったときから、ずっと思ってたことがある。」
「好きだ」
ぴくりと、小さく彼女の肩が揺れた。
それでもまだ、あいつは反応を示さない。
「お前が好きだ。好きで、好きで、たまらない。」
また小さく、あいつの肩が動く。膝をかかえている両の手がどんどんと顔へ向かっていく。その照れたような姿に、どうしてもあいつの顔が見たくなって、音を立てないように近づいていく。
「好きだ。なあ、何回言えばいい?好きなんだよ、お前のことが。好きだ。好、」
「わ、わかった!わかったから!」
そうやって大きな声をあげたあいつを、それと同時に囲いこむ。両手を自分のそれで握って、顔を隠せないようにする。驚いたような顔をして、驚いたような声を出して、すぐに両手を元の位置へ戻そうとするけれど、それは許さない。
だって、こんなの反則だ。
真っ赤にして目に涙をこらえているあいつに、長い間合わせることのなかったその真っ直ぐな瞳に、俺はこんなにも心を奪われているのだから。
「・・・好きだ。」
耳元でそう囁くようにもう一度告げれば、あいつはついに観念したかのように、みるみる強張っていた体から力を抜かす。そのまましな垂れかかるように俺の肩へ体重を移動したかと思えば、「ほんとう?」と、注意しなければ聞き取れない程度の声で小さく尋ねてくる。
「ああ。」
ああ、これが見たかった。
あいつの、笑った顔。
俺の前で、隣で、傍で、満面の笑みを浮かべる、その笑顔が。
しばらく離れずに、顔を隠すようにして俺の肩にくっつけていた彼女は、ふと、思い出したように顔を上げる。一瞬、とても辛そうな顔をして、だけれど次には思い切ったように口を開いた。
「ねえ、・・・・・・庭に、たくさん花が咲いていると思わない?」
それは、俺たちの合図。
ずっと忘れていた、でも忘れられなかったその言葉。
もう、忘れないから。
お前の笑顔を、無くさないから。
「ああ、じゃあ、押し花でもしましょう。・・・・・・・・・だろ?」
ずっとこうやって、俺の傍で笑っていてくれ
なあ、ステラ
これで第4章は終わりです。
最初から読んで頂いていた方々、大変お待たせして申し訳ありませんでした。
第5章では、ちょっとだけステラとエリックのその後の話なども出せたらと思っておりますので、是非読み進めていただければ嬉しいです。
とはいえ、第5章の更新の目処はまだ何とも言えない状態です。
出来るだけ早く皆様のお目にかかれるよう、尽力いたします。
では、読んでいただいた皆様に、本当に感謝します。
ありがとう御座いました。
※ヒルスレイヴ国の後継方法について少し説明を加えました。これから読む方々、この小説は歴史や慣習にこだわっておりませんことを、どうかご了承ください。