29話 彼女と彼女の絆
目が覚めてまず感じたのは、足が痛い、ということだった。
何が原因かと記憶をめぐらせてみれば、ああなるほど確かに昨夜つまずいて尻餅をついてしまったなと思い当たる。そのときは痛みなどなかったのに、今更、しかもよりによってパーティの当日に痛み始めるだなんて。
「・・・・・・アリシアってば、意外とドジね。」
そんな風に笑うマーガレットは、いつものように朝食を食べに食堂に向かい、そして自室に戻ろうとしていたわたしの足の異変に、すぐに気付いた。そうして、「今日の仕事は、朝食の配給だけだから」とそう言って、手当のために先ほど部屋を訪れてくれたのだ。
「あの口の悪い上司がいやなことばかり言うから・・・。」
「でも、仲は良いわよね、あなたたち。」
「・・・だれとだれが?」
「あなたと、オスカー室長よ。」
ぐるぐると足首になるべく肌の色に近い色の包帯を巻いてくれているマーガレットは、何の冗談かと思わせることを、だけれど至極真面目に言ってのけた。
「わたしたちのどこをどう見たらそんな風に解釈できるのよ・・・。」
「あら、だって本気で嫌いな人や苦手な人と、言い合ったりなんてしないでしょう?」
「それは、だって・・・。」
「ほら、そういうことよ。」
なんてマーガレットは何か小さな子どもが面白いおもちゃを見つけたときのような、きらきらした笑顔を見せてくれた。けれども、彼女の意見には賛同しがたい。何たってわたしと室長は仲良しなどではないからだ。
「それはそうと、今日の衣装や化粧はどうするの?わたしがやろうか?」
「本当はマーガレットにやってもらえるととても嬉しくて気が楽なんだけれど、そうもいかないの。ステラさまがわたしの支度のために人を雇ってくれたようだから。」
「あら。じゃあわたしはマーガレットの晴れ姿が見られないのね・・・。」
「晴れ姿って、」
「だって、そうよ。今日はあなたにとっても大事な日なのよ。もしかしたら、良い家柄の素敵な男性に出会うかもしれないじゃない!」
なんて、マーガレットはそう言っていたけれど。
晴れ姿って、こんなものなのだろうか。
ステラさまが手配した方に衣装や化粧、髪型と、全てをお任せしてはみたものの、以前とさほど変わっていないのではと思うほどに、いつもと変わらぬ、冴えない顔が鏡の向こうに見える。少し睫毛がはっきりして、唇が赤くなったくらいである。それでも少しは大人びたように見えるのは、やはり美しく結われた髪型と、深い蒼の、足首までしっかりと隠れるタイプで極力フリルのないシンプルなドレスのおかげだろう。
これではわたしだけパーティ会場で場違いとなってしまわないかという不安を、何となく目線に込めて、化粧を施してくれた女性に伝えてみるものの、彼女はただ満足そうににっこりと笑うだけだった。
「まあ、とっても素敵よ、アリシア。」
そう言って、目の前でにっこりと微笑むのは、このミッドチェザリア国の王女殿下、ステラさまである。パーティを目前とした今、彼女もやはり化粧や衣装を整え終わったようで、愛らしい姿がいつにも増して可愛らしく、そして美しく見える。金に近いキャラメル色の髪に、大きなエメラルド色の瞳は、黒く縁取られた目の中で宝石のように輝いている。それと同時に彼女の、やはり一般人とは違う王族ならではの何かが強く溢れているようで、近くにいることに少し緊張を覚えるほどだった。
「いえ、わたしはいつも通り地味で、パーティ出席はやはり気が引けます。」
「あら、そんなことないわ。あなたは普段も美人だけれど、今日は一段ときれいだと思うけれど。」
そうやって励ましてくれるステラさまに感謝の気持ちを込めて微笑み、それからもう直に会場へ向かわなければならない時間だということに気付く。それを彼女にも伝え、もうひとりの侍女とともにステラさまの控え室を出た。
一歩廊下を歩くごとに緊張が高まる。それはそうだ、こうしたパーティ、ましてや王族主催のパーティに出席すること自体が初めてなのだから。それにステラさまのお付という大切な役目も与えられている。幸か不幸か、痛みを感じていた足首も、今は心臓の高鳴りでそれどころではなくなっている。
「そんなに緊張しないで、アリシア。」
ふいに、ステラさまの優しい声が聞こえた。
前を歩く彼女の表情こそ見えないものの、それでもその声は凛としていて、力強かった。だけれどそれと同時に、どこかで彼女自身も何かにおびえているように思えた。それは、その糸のような声のせいか、彼女の細くか弱い背中のせいか、何がそう思わせているのかは分からないけれど。もし彼女が本当に何かを怖がっているのだとすれば、それを支えるのがわたしの役目であるのに。
そう思ったとき、もう彼女は会場の扉のすぐ目の前だったけれど。
咄嗟に彼女の手を握った。
「ステラさまの傍にいれば、わたしは大丈夫です。ですからステラさまも、わたしを頼ってください。全力でお守りします。」
彼女はわたしの勝手な行動にただ肩を微かに揺らしただけだったけれど、顔を向けることも、制止することもしなかったけれど。
わずかに頷いたように、首を傾げ、そして、その勢いのままに、徐々に開かれる会場へと、彼女は足を踏み入れた。
とても、眩しくて、輝かしくて、美しい王女の姿だった。




