<彼女の涙>
あの人は、おかしくなってしまった。
わたしが知っていたあの人は、もうどこにもいなくなってしまった。
「ステラ、今日は何をして遊ぶ?」
「そうね、じゃあ今日は押し花をしましょう?庭にあなたの髪と同じ色をした花がたくさん咲いているのよ。」
「僕の色よりも、ステラの色の方がきれいだよ。」
「金の花なんて存在しないわ。それに、あなたの夕焼け色、わたしはとっても大好きよ。」
そう言えば、少し顔を赤らめながらお礼を言ってくれたのは、もう随分前のことだった。ヒルスレイヴ国との国交は、他の国とのそれとは負けず劣らずに良好であり、彼と会う機会も多かった。そのために年の近いわたしたちがお互いに興味を示し、いっしょに遊ぶようになるまでにそう時間はかからなかった。それでも、それだけではなく、わたしは確かに、彼との言いようも無い絆を感じていた。決して彼とだけは、友情や、愛情といった心が離れることは無いと思った。
今思えばその感情は、限りなく恋に近いものであったと分かる。何気なく抱いていた信頼の感情も、どうしてだかいつも感じていた安心も、それは小さい頃からの馴れ合いがあったからだけではなくて、その相手が彼であったからだと、分かる。
だからこそ、わたしの結婚相手が彼だという話が噂になったときは、密かに喜びもしたものだ。
ずっとこんな風に、彼といっしょにいられたら
そう考えると、限りない幸せが見えた気がした。
だけれど彼にとっては、決してそうではなかった。
なぜならその噂が広まると共に、彼のわたしに対する態度は一変してしまったからである。まず挨拶を返してくれることは無くなり、何かを問いかけても返事をしてくれなくなった。時折口を開いたかと思えば、「寄るな」だとか、「話しかけるな」だとか、口の悪いことばかりだった。最初は何かに対して怒っているのかと、自分の行動を省みたこともあった。だけれど、思い当たることは、やはりあの噂しかなかったのである。
それはつまり、わたしが幸せだと感じた結婚を、彼は決して望んでなどいなかったということ、そしてそれほどまでにわたしのことを嫌っているということ。だから彼から笑顔が無くなってしまったのだと、そう感じた。
そんな彼を見て、どんな顔をすればよかったのだろう。
どんな言葉を投げかけたら、彼は応えてくれたのだろう。
言いたいことも、聞きたいこともたくさんあったはずなのに、目をそらされても諦めずに何かを伝えられたはずなのに、わたしにはそれが出来なかった。ただただ彼が変わっていくさまを、他の誰かへと視線を映していくのを、じっと見ていることしか出来なかったのだ。
だけれど、わたしが彼に抱いている感情は、誰にも、彼にも、そしてわたしにももうどうすることも出来ない。
「ねえ、・・・庭に花がたくさん咲いているの。押し花をしましょう?あなたの髪の色と同じ色の花がいっぱいなのよ。」
これで、最後にしようと思った。
あなたなら、分かるでしょう。わたしたちがどうやって、どのようにして、いっしょの時間を過ごしてきたか。どんな風に、笑いあっていたか。
あなたなら、分かるでしょう。わたしが何を望んでいるのかも、そして、あなたに何と言ってほしいのかも。
だけど、わたしが彼に望んだことは、何も与えられなかった。
彼は、何を言うでもなく、何をするでもなく、こちらに目を遣るわけでもなく、ただ、周りを囲む女の子たちと共に、どこかへ行ってしまった。そこにはまるで、わたしなんて存在していなかったかのように。
女の子たちの楽しそうな笑い声が聞こえなくなった頃、ようやく涙が流れた。ずっと、流すまいと思っていた、悲しみの涙。だけれど今は、もう止めることなんて出来なかった。どこかでまだ望んでいたはずの彼の微笑みを、完全に失ってしまったのだと、自覚してしまったから。
だけど、それでも
あの人の微笑む姿が、頭の中から消えない。
目を閉じればどうしても、あの頃のように寄り添って笑い合う自分たちを想像してしまう。
ステラ、と名前を呼びながら、いつも新しいことや楽しいことを見つけてわたしに見せてくれた彼を、恋しいと思ってしまう。
ねえ、
あなたにとってわたしは要らない存在だとしても、どれほど嫌われているとしても、わたしにとってあなたは、今でもとても大切な人なの
だからお願い、もう一度、わたしを名前で呼んで
ねえ、エリック