27話 彼女と彼女の相手
マーティンさんがダンス講師となることを承諾してくださったその次の日から、早速練習は始まっていた。仕事が終わってから、長机をずらして作った第三書庫の小さなスペースで、1時間の猛特訓を行う。それは長いように思えて、やってみると覚えることの多さにとてもじゃないけれど時間が足りないように感じた。
「そのまま右足を左足に揃えてみて。・・・うん、いい感じだね。でももう少し上半身の姿勢にも気を遣ってみること。うん、これがワルツの基本、クローズドチェンジとターン。毎日ふたりで息を合わせてステップが踏めるように練習するといいよ。」
「・・・思ったよりも体力がいるんですね。」
「普段は使わない筋肉が働くからね。さて、もう一度やってみよう。ベーシックステップに関してそれほど時間をかけられないからね。」
と、こういった風に予想以上に大変で難しいダンスと、意外と厳しく熱血なマーティンさんのおかげで、わたしたちの実力は着々とつきはじめていた。
「ところで、ステラさまもダンスには参加するんですよね?」
「・・・そうね、主役だもの。そうしなくちゃ。」
「お相手はもちろん、ヒルスレイヴ国のエリック王子ですよね?」
今日もまたお昼の休憩時間に第三書庫へやってきたステラさまに、そう問いかけてみる。
ヒルスレイヴ国のエリック王子といえば、まだ正式な発表こそ無いものの、王宮内ではステラさまの婚約者だと囁かれている人だ。もしそれが本当ならば、彼以外にステラさまのパートナーと成り得る男性はいないだろう。
「・・・・・・ええ、多分そうなるでしょうね。」
そう小さな声で言った彼女からは、途端に今までの明るい表情が見えなくなる。明らかにその話題について快く思ってないことが分かった。
「あの、ごめんなさい。このことについてお話したくないなら、わたしも何も聞きません。」
「違うわ!あなたを責めてるわけじゃないのよ。」
伏せるようにしていた顔をあげて、そう言った彼女は、何か考えているような表情をして、また口を開いた。
「・・・あの人はわたしのパートナーであるべきじゃないの・・・・・・。」
「どうしてそう思うのですか?」
「・・・・・・あの人がわたしを、嫌っているからよ。」
そう言ったステラさまの表情は、顔が伏せられていることによって読み取ることは出来なかった。けれどその小さな小さな呟きに込められた感情は、怒りや、恨みなどではなく、明らかな悲しみだった。
今この第三書庫には確かにわたしとステラさましかいないけれど、彼女はもう一度周りに誰もいないことを確認してから、再び言葉を紡ぎだした。
「・・・あの人は、わたしに悪口ばかり言うの。そのくせわたしの方を見ようとはしないし、会話をしようともしないわ。」
‘あの人’と、わざと名前を呼ばないように見えたその言い方は、どこか彼への対抗意識のようにも思える。本当はちゃんと、エリックと、そう呼びたいのに、それが一方通行であることを認めたくないような、意地が伝わってくる。
「だけれどエリック王子は、とても恥ずかしがりやな性格なだけかもしれません。」
「違うわ。わたし以外の人とはとても仲良しだもの。」
「どうしてそう思うのです?」
「わたしの目の前で、何人もの女性を連れているのを何回も見たのよ。」
なんとも思ってないような彼女からはやはり、それとはまた違う感情が見え隠れしている。わたしはなんとかそれを掴もうと、彼女を見つめる。
「でも、わたしにはそんなこと関係ないわ。まだ正式に彼が婚約者だと発表されたわけではないし、もし無理やりそうさせられたとしても王と王妃が仲良くなければいけないなんて決まりはないんだもの。」
あの人の目には、どうせわたしなんて映らないんだから
そう言った彼女は、今度こそ顔を上げて、わたしを見た。その瞳からは涙こそ零れてはいないものの、今にもそれが落ちてしまうのではないかと思った。そしてそこからははっきりと、深い悲しみが伝わってきた。
この人のあの明るさの裏には、決して誰にも見せようとはしないけれど、誰かに嫌われているのだという深い悲しみがあったのだ。だけどそれを吐き出す人がいなくて、きっとずっと苦しかったはずだ。
そしてその悲しみや苦しみが、彼女にとってどうしてこれほどまで大きいのか、わたしにはもう分かっていた。
ああ、ステラさまは、エリック王子のことがとても好きなのだと。