24話 彼女と彼の頼みごと
ああ、どうしてこんなに身体が強張るのだろう。
左手の傷もほぼ完治し、体調も万全なはずで、どこにもおかしいところは無かった。今、人事統括室の扉を開けるまでは。
いつも通りやさしい笑みを浮かべるマーティンさんと挨拶を交わし、そのほかの人事で働く人々とも他愛の無い世間話をしていただけなのに。「無駄話もそれくらいにしろ」なんていう、相も変わらず冷たい雰囲気をばら撒くオスカー室長の声を聞いた途端、おそろしいくらい緊張してしまう。もしかして以前居眠りで怒られたときのことがトラウマにでもなっているのだろうか。
「おい、聞いているのか。」
「あの・・・あまり喋らないでいただけますか。」
そう言った途端に横の方でマーティンさんが笑いを零したのが分かった。それとは反対に、目の前にいるこの人は眉間にシワを寄せてゆく。
「・・・君は俺をなめているのか。」
「いえ、・・・・・・そういうわけでは。」
「どうしてそこで顔が赤くなるんだ?」
「!・・・なんでもありません。それで、大事なお話とは?」
「・・・・・・ハウエル王太子殿下からお呼び出しだ。」
ため息ついでにそう言った室長は、「全くどうして一整理係が殿下から呼び出しされるようなことがあるんだ」とぶつぶつ呟いていたけれど、話がそれだけと分かってすぐに部屋を出た。なんだか少し、前よりも居心地が良くないのを不思議に思いながら。
殿下は今は政務室にいるからと室長が言っていたから、おそらくハウエル殿下の話というのは仕事関係のことなのだろう。少しでも役に立てることが、わたしにとっては嬉しかった。
大ホールの真ん中にある大階段は使わずに、よく従業員が使う裏口のそれを使う。二階にはまだ足を踏み入れたことはなかった。だけれどそこも一階と同様、とても広くて綺麗で、どこを見ても美しいとそう思った。階段を昇りきったところで、両脇に立っている警備係に名前を用件を伝え、殿下の政務室まで案内を頼んだ。
「・・・王太子殿下。アリシア・メラーズという者が来ております。」
見上げるくらいの大きな扉は開けずに、その前で警備の人がそう言うと、中から「入れ」という声が聞こえ、わたしは入室を許された。
扉を開けると、そこは想像よりも少しばかり小さめの、だけれどわたしの宿所の一室よりは何倍もあるだろう部屋が広がっていた。本や書類がかなりたくさんあり、ソファやおそらく奥には仮眠用のベッドもある。
「アリシア、久しぶりだな。」
「王太子殿下、お呼び頂きありがとう御座います。」
「そんな畏まらなくても良い。俺はお前を友達だと言っただろう。」
そう言って笑ってみせた彼は、わたしにソファに座るように促した。傍には側近の人が控えていたので、なんだか殿下と同じ場所に腰を下ろすだなんて戸惑われたけれど、本人が許すのならと、ついにはそこに腰掛けた。
「第三書庫の調子はどうだ?」
「かなり綺麗になりました。本を仕分けし直すと同時に、ひとつひとつ綺麗にしていますので、以前よりも使いやすい状態だと思います。」
「そうか。俺もまた暇のあるときは遊びに行くよ。」
「そのときまでには、ピカピカにしてみせます。」
そう笑ってみせると、それは楽しみだな、と殿下も笑みをつくった。そこで彼が立ち上がり、デスクから何枚かの紙をまとめて持ってくる。それを見て、仕事の話だと直感し、思わず姿勢を正した。
「今日お前を呼んだのは、頼みたいことがあったからだ。」
「・・・わたしに出来ることならば。」
「そう言ってくれると思っていたよ。・・・来週、ステラの誕生パーティがあるのは知っているか。」
ステラというのは、ハウエル王太子殿下の妹である。彼女は来週末、15歳になるという。そのパーティがあるということは、わたしも知っていた。やむを得ずパーティに出席出来ない貴族たちからたくさんの祝電が届けられている様子を見かけたことがあったし、噂にも聞こえていたからだ。
「そこに、ステラの侍女として出席してくれないか。」
殿下は、何をおっしゃっているのだろうか。
最初に思ったことは、それだった。わたしは王宮でも下っ端にあたる身分で、特に何の後ろ盾も無い。そんな一下働きが、どうして王族の誕生パーティに参加できるというのだろうか。と、そんなことを考えているわたしを見かねてか、彼は再び口を開いた。
「実はあいつ付の側近が足に怪我をしてパーティに出られなくなってしまったんだ。彼女は言語や政治にかなりの知識があったから、それを埋めるのに今苦労している。ステラも王族として得るべき知識をまだ完全に身につけていない状態だから、せめてパーティの間だけでもあいつの周りにはそれを支えられる人間を置きたいと思ってる。」
「だけれど、そんな大役わたしには、・・・」
「お前なら出来る。俺がそう言うのだからきっと間違いない。言語に知識はあるし、礼儀も正しい。何よりも俺が期待しているのは、お前のその性格や年の若さからの親しみやすさに、ステラが安心してパーティに臨むことだ。」
そうか、きっと王女殿下は今不安なのだ。最も傍にいて自分をサポートしてくれていた側近がいないということは、彼女にとってはかなりの打撃に違いないだろうから。そんな彼女を、少しでも安心させることが出来るのなら。
「・・・はい、分かりました。知識面での活躍についてははっきりとお約束は出来ません。ですが出来るだけの努力をいたします。それからステラ王女殿下の心のケアについても、一生懸命サポートさせて頂きます。」
そう答えると、彼はほっと息をついて、「ありがとう」と微笑んだ。
さて、第四章の始まりです。
このお話も、みなさまに読んでいただけますように。