19話 彼女と贈り物
「あの、・・・これは?」
目の前にいる長身の、くるくるの金髪を持ったその人は、大きな目を薄めて微笑んでいる。そしてその大きな手が持っているのは、良い香りのする小さな巾着のようなもの。その手は明らかに、わたしに向けられていた。
「お近づきの、印ですよ。」
そう言ってわたしの手を取って、その巾着を握らせたのは、ジャスパーさんだった。第一書庫の整理係をしているその人は、今日の午前中、第三書庫で仕事をしてくれている。
「はあ・・・あの、でも、」
「これ、リラックス効果のあるお香なんですよ。香りがとっても良いでしょう?アリシアさんによく似合う香りだと思って用意したんですが、・・・お気に召しませんでしたか?」
「・・・あ、いいえ!ありがとう御座います。」
拒絶しようとすれば、明らかに傷ついた顔をみせるその人に、ついにはそれを受け取ってしまった。ふわりと漂う香りは、なるほど彼の言った通りやわらかくて、あたたかい、良い匂いがした。どこにしまうか迷ったけれど、結局いつも仕事の間着ているエプロンのポケットに入れておいた。それを見届けたジャスパーさんは、またにっこりと笑った。
「これでいつでも僕のことを思い出して頂けますね。」
そんなことを言う彼は、微笑んだ表情のままだったけれど、果たしてその真意は全然分からない。言葉に含まれた意味も分からないから、返答すべき言葉も分からずに、とりあえずにっこり笑っておく。ああそれにしても、彼の微笑みは何だか心臓に弱いというか、背中がぞわぞわするというか。不思議な気持ちにされてしまう。
「おい、そんなに顔をしかめていたらシワがつくぞ。」
仕分けするために数冊の本を持ったまま、ジャスパーさんのことを考えていると、ふと低い重い声が第三書庫に響いた。顔を上げて確認しなくとも、それがオスカー室長であることが分かる。
今日の午後の勤務時間に第三書庫にいる予定の彼は、半日では到底終わらないと見える量の書類を抱えていた。だからいつものように言い合いなども無いだろうと思っていたのに、ふいに聞こえたそんな言葉にまたどうしても言い返したくなってしまう。
「・・・わたしはまだ、若いですから。」
「・・・・・・それはどういう意味だ。」
「そのままの意味ですが。」
そう言ったあと、室長は明らかに眉間を狭めてみせた。そしてわたしが嫌味めいた言葉を気にしたのか、すぐにそれを解いて指でさすってみせた。次にどんな偉そうなことを言われるのかと待ち構えていたけれど、よほど忙しいのかそれ以上の言葉が発せられることはなかった。
だからわたしも自分の仕事により一層集中する。散らばった本の仕分け作業を始めてから、ジャスパーさんの手助けもあって、それからコツを掴み始めたこともあって、既にかなりの量の本を並べ終えていた。まだ半分と少しだけだが、それでもここ全体の本の量が膨大であるため、それはとても少ないとは言えないだろう。ひとつひとつ本を手にとって、埃を落とし、その本の情報を頭に入れていくことが、いつの間にかわたしにとってとても大切で、好きな作業となっていた。
「・・・よく頑張ったじゃないか。」
と、どこからかそんな優しい声が聞こえて、わたしは思わず辺りを見渡してしまった。
どこかで聞いた声に、とてもよく似ていた。それがどこで、誰だったのかは、分からないけど。
「・・・おい。それは嫌がらせか?俺以外にいないだろう。」
「・・・いえ、空耳かと思いまして。室長が人を褒めることなんてあるんですね。」
「感心するんじゃない。俺を何だと思ってるんだ。」
そんなやり取りの間に聞こえる彼の声は、とてもさっきとは違う低い冷たい音。ああやはり優しい声だなんて気のせいだったのだと、そう思ったけれど。
だけれど、何故だか先ほどよりも室長とふたりの空間がこそばゆいのだ。なんだか、少し肩に力が入るような、彼の存在を意識せずとも認識してしまうような、そんな感じがする。この居心地の悪い気持ちは何だろう、今まで感じたことはなかったのに。そんなことを考えていると余計に彼のほうへ意識がいってしまう。一体わたしは、どうしてしまったのだろうか。
「・・・アリシア・メラーズ!!」
その間は、ほんの一瞬だったのだろうか。
わたしの名前を、ひどく冷たい声が呼ぶ。思わず体を震わせ、次に視界に映ったのは、今までに見たことのないくらい凍った表情をした、オスカー室長だった。
その表情に、そして椅子に座り込んで本を抱えたままの自分に、あろうことか、眠ってしまっていたことに気付く。
「お前は仕事をなめているのか。この仕事を頑張って、俺に認めさせると言わなかったか。そう言った決意は、居眠りでもしてしまうようなそんなものだったのか。」
それなら今すぐにでもやめろ
何もかも正しいその言葉に、どこにもあたたかさの見当たらないその声に、わたしは確かに絶望を感じていた。それはオスカー室長にではなく、その言葉たちにでもなく、間違いなく、自分自身にだった。
どうしてわたしは眠ってしまったのだろう。眠いだなんて、全く感じていなかったのに。今までの仕事中だって、絶対に居眠りなんてしたことはなかったのに。どうして。
だけれどそんなことを考えても、そんなことを言っても、それは何の理由にもならない。わたしは確かに、室長の信頼を失ったのだ。
「・・・申し訳、ありませんでした。」
とてもか弱い声が、呟くように自分から発せられたことに驚く。彼はそれを聞いて、けれど何も言わずに目線を書類に戻した。先ほどの空気からは考えられないほど、冷たいそれがわたしを包んでいた。
「・・・頭を冷やしてきます。」
そうして第三書庫を出て、真っ直ぐに化粧室へ向かった。個室に入るなり、涙があふれてくるのが分かった。自分が悪いのに、ただ叱られただけなのに、こんなことで泣きたくはなかった。だけれど、あんなに冷たい目を向けられたことに、耐えられなかった。今までどんなに冷たいことを言われても傷つかなかった。そこには言い返す余地と、理不尽さもあったからだ。だけれど今回ばかりは、全部わたしが悪い。
そんな事実に、わたしはただ自分の未熟さを思い知るだけだった。