17話 彼女と協力者たち
午後からの第三書庫での仕事場には、マーティンさんが来てくれていた。オスカー室長に渡されたであろう山積みになった書類をとりあえず無事に立っている長机の上に乗せて、今はそれに取り組んでいるようだ。
室長やマーティンさんは言わないけれど、ここで仕事をすることに支障があることは分かっている。自分のデスクではないし、しょっちゅうわたしが物音を立てているしで、あまり集中出来ないだろうから。だけれど謝っても、お礼を言っても、彼らは「アリシアちゃんのせいじゃない」の一点張りで、どうにも居たたまれなさを感じてしまう。
横目でマーティンさんを見つめながら、ああ、そういえば、と記憶が巡る。わたしを倒れたときに運んでくれたのは、マーティンさん。あのときわたしに優しい声をかけてくれたのは、マーティンさん。そう考えると、どうしてか顔が熱くなるのが分かった。でもどうしてだろう、それと同時に、確かに胸に違和感もあったのだけれど。
「よし、今日の勤務時間は終わりだね。」
「はい。あの、ほんとにありがとう御座いました。」
「俺たちのことは大丈夫だから、本当に気にしないで。」
そう言ってくれるマーティンさんの笑顔はとても優しくて、だけれどそれ以上わたしに何をも言わせてくれないようだった。
第三書庫の扉を開けると、そこに警備の人の姿を発見する。時々門番をしている人だ。こうしてわたしの勤務時間以外は、1時間に数回、ここの見回りをしてくれるらしい。明らかに彼らの仕事内容を増やしていることに申し訳なさを感じながらも、感謝の気持ちを精一杯伝えるために、その人に向かって頭を下げた。
次の日、第三書庫に現れたのは、第一書庫の書庫係のジャスパー・メイフィールドさんだった。ジャスパーさんは淡い金髪のくるくるした髪をもち、女の人のように目が大きくて、それでも体はとても大きかった。隣に並んでしまったらその表情は顔を上げても見難いくらいに。
「あの、・・・ジャスパーさん、お仕事の邪魔をしてすみません。宜しくお願いします。」
「いいえ、アリシアさん。同じ書庫・整理係として、書庫が荒らされるという事態にはひどく胸が痛みましたよ。ですから、二度とそのようなことがないよう、僕に出来ることならば何でもご協力しますよ。」
そうよく通った声で言ったその人は、その大きな目を少し細めて、にこやかに笑った。
第一書庫には他にも整理係がいるため、自分が週に一度くらい抜け出しても何の支障もない、とその人は言った。それに、第三書庫にある本たちにも興味があったらしく、仕事を手伝わせて欲しいとまで言ってくれた。それはさすがに申し訳ないと断ったのだけれど、大きな目を輝かせるその人は、まるで聞く耳など持たずせっせと床に散った本たちを拾い上げていく。
「アリシアさんは、もうここの全ての本を手に取りましたか?」
「まさか!わたしはまだ14つの棚の分しか、本には触れていなかったんです。」
「そうですか。ではまだダメージは少ない方ですね。」
「ええ。それでも愛着はあったので、寂しい気持ちはあります。」
「・・・ああ、優しい方なのですね、アリシアさんは。」
素敵です、とそう付け加えたジャスパーさんは、それはそれは美しい笑みを浮かべた。
心なしか彼との距離が近づくのを感じて、思わず後ずさりをする。一体、どうしたのだろうか。
「あの・・・?」
思わず声をかけると、彼は小さく笑ってから再び距離を戻した。手に取った本を、とても愛しそうにひと撫でして、埃を払っていく。ああ、この人はとっても本が好きなのだと、そう分かるくらいに。
午前の内にようやく書庫の床に充分なスペースが出来、ジャスパーさんの協力もあって倒れていた本棚や長机なども元に戻すことが出来たために、午後からはようやく本をジャンル別に仕分けしていく作業を始める。ジャスパーさんが本を拾い上げ、ジャンルを確認、そしてわたしがそれを長机の上に順に並べていくのだ。やはり二人掛かりだと一人でやっているときのペースとはまるで違う。それに、彼の本を見分ける速さもかなりのものだ。わたしだって父のおかげでたくさんの本を見てきたけれど、彼のそれには到底敵いそうもなかった。
「ジャスパーさんって、本当に本が好きなんですね。」
そう言うと、彼はわずかに動きを止めて、にっこり笑ってくれた。
わたしもこの人のように、本を好きだということ、書庫を任されているということに誇りを持てるようになりたい。そう、素直に思った。
「わたしもジャスパーさんみたいになりたいです。」
そう伝えると、彼はまた動きを止めた。
持っていた本を置いて、こちらへ歩んでくる。その表情はどこか真剣で、なんだかとても強い何かを感じるようだった。
「アリシアさんにそんなことを言われると、僕は期待してしまいますよ。」
とうとう距離をつめた彼は、思い切り低い声でそう呟くように言った。
思ったよりも近いその表情に、背筋にぞわぞわした感覚が広がる。どうしてこの人は、こんなに真っ直ぐにわたしを見つめているのだろうか。
しばらくその目を見たまま動かないわたしに、また彼もそのまま距離を保っている。だけれど次に彼は小さく笑みを作って、「冗談ですよ。」と、離れていった。
何事もなかったかのように再び作業を始める彼に、体から力が抜けていくのを感じたわたしは、いつの間にかとても緊張していたことを知ったのだった。