01話 彼女の始まり
涙を浮かべる父と、微笑みを浮かべた母に別れを告げ、大きな荷物を持ち、わたしは王宮へ向かう道を歩き始めた。やはりまだ自分の仕事にやる気を見出せない。父のコネで仕事を得るということも、それを甘んじて受ける自分のことも許せない。だけれど、わたしに選ぶチャンスをくれた、それを裏切りたくなかった。掴んで、自分のものにしてみせようと、そう決めたのだ。
「王宮だなんて、いつも遠くから見たことしかないわ・・・」
そう易々と一般人が入れるはずのない王宮は、セイルアークのちょうど中心にある。丸い形の建物で、その周りをまた丸い芝や森が囲んでいる。国家機関で働く者の子どもに、そこで働くチャンスがあるといっても、王宮からの仕事がもらえることはそうそうない。わたしが生きてきた中でも、1度あったか無いかくらいである。
「それでも、どうせ王宮で働くなら、機密文書とか、王宮御達し書物とか、そういったものに携わってみたかったわ・・・」
などと、またひとりごちてみる。ひとりで愚痴を言うくらい、誰にも迷惑はかけないだろう。いかんせん、まだ他の仕事に未練がないとは言えないのだから。そうぶつぶつ言っている間に、王宮のちょうど正面までたどり着いていた。泊まり込みでの仕事のために、女官や下女などのための宿所が与えられていた。まずはそこに向かえば良いはずだ。そう思い、そこへの道を聞くために大きな大きな門の番をしている体つきの良い男に尋ねてみる。
「何か用が?」
「アリシア・メラーズと申します。本日より、王宮付第三書庫整理係の仕事を頂いております。それ故に、宿所への行き方をお尋ねしたく参りました。」
「・・・アリシア、と言ったな。確認を得るまでここで待って頂くが、よろしいか。」
「はい、お願いいたします。」
そういってその体つきの良い男は別の門番に何か小さな声で耳打ちし、その門番が王宮の後ろへ走っていったあと、再びわたしに向き合った。
「メラーズ殿、仕事を得るのは初めてか。」
「はい。先日高等部を出たばかりにございます。」
「そうか。初めての仕事が王宮とは、なかなか大変だろうが、ここで働くということは、それがそのまま国民の生活へ直結すると考えても良いと思うぞ。誇りに思うと良い。」
「・・・そう、ですね。そう思えるように仕事をしたいと思います。」
「ああ。俺はローランド・タリスという。何かあれば何でも言ってくれて構わない。」
ありがとうございます、とそう言ったところで、先ほどの門番がこちらへ戻ってくる。確認がしっかり取れたようで、その門番の人はわたしに付いてくるように言った。ローランドさんにもう一度頭を下げて、宿所への道を歩く。
宿所は赤レンガで造られた3階建てだった。正面の入り口から反対側に位置し、王宮を囲む広大な庭の中にあった。周りに花壇と湖があり、その向こうには森が広がっていた。わたしが案内されたのは第二宿所で、24人の人が住んでいるという。門番は宿所の前まで案内してくれた後、ハンナという宿所長に会うように言い、仕事へ戻っていった。忘れず御礼を言ったあとに受け取った荷物を抱えなおし、宿所の中へと足を踏み入れる。思ったよりも中は綺麗で、レンガの赤い色からは柔らかい雰囲気を受ける。これからここに住むのだと思うと、悪い気はしなかった。
「おや、あんた新入りかい?」
しばらく宿所の中を観察していると、背後から声が聞こえて思わず勢いよく振り返った。すると、そこにはピンクに近い色をした髪をひとつに束ね、たくさんの洗濯物を抱えた中年の女性が立っていた。肉つきの良い体と、血色の良い顔、今こちらを見ているその表情も、にこやかでどこか懐かしい感じのする人だった。
「あ、はい。アリシア・メラーズと申します。今日から王宮の書庫整理係として働きます。」
「ああ!アリシアね!人事から話は聞いていたよ。よく来たね、いらっしゃい。あたしはここの宿所長、ハンナってんだ。好きに呼んでくれて構わないよ。すぐに部屋に案内するからちょっと待ってなね!」
そう言い終らない内にハンナさんはすぐ傍にあった戸を引いて、そこに洗濯物を持ったまま入っていった。しばらくして出てきたハンナさんは、「こっちだよ」と言ってわたしを部屋に案内してくれた。
「あんたの部屋は1階の108。ここの入り口からは遠いけど、窓を使っていけば王宮からはいちばん近いからね!」
「わあ・・・素敵な部屋ですね!庭がすぐそこに見えるから、景色もとてもよいです。入り口から遠くっても全然気になりません!窓は、使いませんよ!」
言って、ハンナさんと笑い合う。良い人で良かった。王宮に勤めている人というのは、どこか堅苦しくて、厳しい人だというイメージがあったけど、ハンナさんはまるで逆の人だ。明るくて、太陽みたいに笑う人だと思った。
「じゃあ、この部屋は好きに使って構わないからね。食事は、朝は7時から9時、昼は11時から2時、夜は6時から8時までって決まってんだ。食堂はさっきの入り口をすぐ左に行ったところだよ。洗濯はその右。分かったかい?」
「はい、有難うございます。」
「何かわからないことがあったら何でも聞きな!あたしでも、ここに住むみんなでも、みんな良い性分だから、あんたもすぐに慣れるだろうよ。」
そう言ってハンナさんは、じゃあまたね、と付け足して出て行った。改めて自分の部屋を見渡してみる。真っ白のベッドに、濃蒼の毛布とシーツ、小さい木製の机に、同じ木で作られたタンス付きのクローゼット。シンプルで背の高いライトが立っていて、扉の傍には全身が見える鏡があった。大きな窓は今は閉められているけど、淡い水色のカーテンは開けられているから、外の庭の雰囲気が良く見える。晴れた日はとても気持ちが良いだろう。とても気に入った。
今日から、ここがわたしの部屋。少し、胸が弾んだ。