14話 彼女と彼女の涙
あたたかい、声が聞こえた。どこからなのか、誰のものなのか、分からなかったけれど。
「よく頑張ったな」と、確かに言ったその声は、わたしの胸にストンと落ちるほどやさしくて、じわじわとあたたかい。
一体、誰なんだろう。こんなに優しい声の人を、見てみたい。今目を開けたら、きっと、会えるだろうか。
目を覚ましたそこは、目にまぶしい程白い部屋だった。今自分がベッドに寝ていて、その周りを白いカーテンが囲んでいるからだろうか。おそらく医務室だと思うけれど、一度も行ったことがないから確信は持てない。
と、そこで自分がいた状況が徐々に思い出される。そして思い出したと同時に、ベッドの脇にある椅子に座っているマーガレットの姿にも気付いた。
わたし、こんなところで寝ている場合じゃない!
急いで布団を剥いで、上半身を起こすと、また目が眩んで、しばらく視界が定まらなかった。だけれど。
「マ、マーガレット!えっと、それでね、わたし、あなたのこと、」
「・・・・・・・・・・・・。」
「あなたのこと、本当に大好きで、友達だと、思っていて、・・・」
「・・・っ・・・。」
「!マーガレット、あなた・・・泣いているの?」
俯いたままの彼女の表情は見えなくて、きっとまだ怒っているのだと思っていた。けれど不意に聞こえたしゃくり声で、彼女が涙を流しているのだと気付く。
「どうしたの!?どこか痛いの?苦しいの?」
そう問いかけても彼女からは何の言葉も発せられない。ただただ涙があふれているだけだ。
「待ってて、誰か人を呼んでくるわ!」
「いいの!・・・いいの。そんなんじゃないの。」
「・・・え?本当?大丈夫なの?」
「あなたって人は・・・」
そこで一旦顔を上げたマーガレットは、確かに涙をこぼしているのに、どこか微笑んだような表情をしていた。その顔が柔らかくて、やっといつもの彼女を見つけられた気がした。
「・・・あなたが無事だって分かって、嬉しくて泣いただけよ。」
そう言った彼女は、どこか恥ずかしそうに頬を染めていた。そういえば彼女は、わたしが倒れてからずっとここに居てくれたのだろうか。あの衝突は今朝早くに起きたことで、カーテン越しにもまぶしいほど差し込む光の加減から、今はもう、日が完全に昇りきっている頃だった。何時間もの間ずっと彼女は、わたしに付き添ってくれたのだろうか。そして今、わたしの無事を確認して嬉しいって、そう言ったのだろうか。
「だ、だけどわたし、・・・あなたに、嫌われてるんじゃ・・・謝らなきゃいけないことだって、結局・・・」
「わたしにあなたを嫌えるはずなんて、なかったの。・・・それに、もういいの。」
「・・・え?」
「もういいのよ、」
だって、あなたがわたしを好きだってこと、分かったんだもの
そう言って微笑んだ彼女に、つい先ほどまでそこに感じていた冷たさや敵意は一切なかった。ただ純粋に、友達だった頃の、彼女。その彼女が戻ってきてくれた。その事実に胸が、じんとした。途端に、嬉しさで涙が出てきた。この数日間でどれだけ泣いたか分からないけれど、それでもまだまだ溢れて、止まることはないんじゃないかと思った。
「・・・どうしてあなたも泣くのよ。」
そう言って少し怒った顔をした彼女の瞳からも、また、雫がこぼれたのだった。
彼女は、誤解の原因は、彼女のやきもちだと言った。
ローランドさんとふたりで話していたわたしのことを、疎ましく思ったのだという。それを正直に告げてくれた彼女は、わたしに謝ってくれた。傷つけてごめんなさい、と。だけれどわたしには、もうそれはどうでも良いことだった。今、彼女がわたしのことを友人と思ってくれているのなら、その事実だけでこの数日間なんてどうでも良いと、本当に思えたのだ。そしてそのことを彼女に告げると、彼女は少し申し訳なさそうに眉を下げて、それでも小さく「ありがとう」と言って微笑んだ。
「わたし、彼に告白しようと思うの。」
マーガレットがそう言ったのは、彼女が宿所の食堂から持ってきてくれた食事を取りながらのことだった。そういえば室長やマーティンさんに医務室にいる事実を伝えていなかったと思い立ったけれど、既に報告済みだと、彼女は言った。
「・・・え!ローランドさんに!?すごいわ、頑張って!」
「そこであなたにひとつ、頼みがあるのよ。」
「頼み?いいわ、何でもするわ。」
「ありがとう。そう言ってくれると思ってたの。頼みっていうのは・・・」
ということで、わたしは今、王宮の建物の影に隠れているのである。少しだけ頭の位置をずらせば、門番をしているローランドさんと、それに近づいていくマーガレットの様子が見える。
というのも、彼女の頼みとは、「告白に、いっしょについてきて欲しい」というものだった。とは言っても隣に連れ添っていくのではなく、ただ見守ってくれればそれでいいと、そう言ったのだ。そうすれば勇気が出るとか、なんとか言っていたけれど。ただこうして見ているだけで、本当に大丈夫なのだろうか。
そう思って少しはらはらしていると、あと一歩でローランドさんと並ぶといったところで、彼女がこちらを振り向いた。その表情は、緊張のためか少し強張って見える。だからわたしは、微笑んで見せた。「あなたなら大丈夫よ」と、そう伝えるために。
その甲斐があったのかどうか分からないが、彼女はわたしに微笑み返したあと、ついにその想いをローランドさんに告げたのだった。
「ローランド・タリスさん。あなたのことが好きです。わたしをあなたの恋人にしていただけますか。」
そう言い切った彼女の横顔は、今まで見た中で一番凛々しく、そして美しかった。きっとそんな彼女を真正面から見ているだろうローランドさんには、もっと魅力的に映っただろう。そう思ってわたしは、大切な友人の恋の行方を憂う心配は、きっと無いだろうと、確信したのである。
そしてそんな確信をよりいっそう強めたのは、彼女の言葉を聞いたあと、一呼吸置いてから、顔を真っ赤に染め上げた、彼の横顔だったのである。