13話 彼女と彼女の激突
あのあとわたしは室長の言葉通りに仕事を早退してしまった。仕事を続けたいと思う気持ちはあったけれど、あの状態でそれに集中出来るとは思わなかった。普段の様子ではとても考えられないことだが、「途中で倒れて変死体にでもなったら困る」と言って宿所まで送ってくれようとした室長に、それはそれは丁寧にお断りしてから、ふらふらと宿所の自分の部屋へと戻ったのだった。
時刻は夕方4時を過ぎた頃だった。そういえば朝食も、昼食も食べていなかったことに気付く。もちろんマーガレットと顔を合わせることが躊躇われたこともあるが、食欲が全くといっていい程なかったのだ。
そしてそれは今も同じである。
いくらハウエル殿下とオスカー室長に背中を押してもらったからといって、自分の気持ちを真っ向から伝えることに恐怖がないわけではない。だけど、そこで諦めてしまうのはもっと嫌だった。
「明日の朝早くなら、会えるかしら・・・」
そう呟いてみる。
夕食の前後の時間は、きっと調理や配給で忙しいだろう彼女に時間をとらせるわけにはいかない。むしろわたしのために彼女が時間を取ってくれるのかどうかも分からなかった。それでも今日のうちに伝えておけば、彼女は来てくれるかもしれない。
わたしの知っている彼女は、とても優しいのだから。
そこでまた涙がこぼれそうになるのを堪えて、机の引き出しから手紙に使う小さな便箋を取り出した。そこに明日の早朝に会いたいという旨と、時間と場所を記して、彼女の部屋のドアに挟んだ。
明日の今頃には、きっとまた友達でいられることを願いながら。
昨夜は早く寝たからだろうか、まだ薄暗い時間に目が覚めてしまった。相変わらず体は重くて、ベッドから上半身を起こすだけでも目が眩んだ。だけれど、もう一度眠る気分にもなれなくて、ゆっくりと立ち上がってから、まだ約束の時間まで1時間はあるけれど、その場所へ向かった。
わたしが待ち合わせの場所に選んだのは、宿所から少し離れたところにある、花壇の傍だった。どうしてここを選んだのかはっきりは分からないけれど、でもそこにたくさん彼女の名前の花があったからかもしれない。
「こんな朝早くに、何の用なの?」
響いた声に、思わず体が揺れた。そんなに長く離れていたわけではないのに、なぜかマーガレットの声がとても懐かしく感じた。彼女はいつも結っている桃と橙の色をした髪を下ろしたままで、そこに立っていた。
「来てくれて、ありがとう。」
「・・・これでもわたし、忙しいのよ。用件だけ聞くわ。」
「わたし、あなたに謝りたいの。」
そう、はっきりと告げると、彼女はまるで何を言っているのか分からないといった表情をしてみせた。
「だけど、何を謝ればいいのかも分からないの。あなたが怒るなんて、余程のことでしょう?だからあなたに友達でいてもらえない程、とんでもない事をしてしまったって、それは分かるんだけれど・・・。でも、」
「じゃあ、謝らないで。あなたはあなたのことを悪いと思っていないんでしょう?だったらどうして謝る必要があるの?」
「でも、わたしがあなたの気分を害した事実は分かるもの。」
「その事実に対して謝られたって、わたしの気分は良くならないわ。」
そこで一度、会話は途切れた。
このままだと、きっと彼女には何も伝わらない。
そもそもわたしが彼女に伝えたいこととは一体、何だったのか。はっきりしない頭では良い答えなど考えられるはずがなかった。だけどここでわたしが頑張らなければ、きっと一生のものを無くしてしまう。それだけは分かった。そう思ったとき、言葉があふれた。
「わたし、あなたと友達になりたいの。」
そう言った途端、今度こそマーガレットの表情が確かに歪められた。それもそうだ。自分でも何を言っているのか分かっていないのだから。
「あなたがもうわたしとは友達じゃないっていうのなら、もう一度友達になってほしいの。」
「そんなこと、・・・」
だってわたしは、あなたのことが大好きなんだもの
そう叫んだ直後、マーガレットの表情から少し強張りがなくなったのが分かった。少しでも、彼女を大切な友人だと思っているわたしの気持ちが、伝わることを期待した。
だけれどそれと同時に、わたしの体からも力が抜けていった。一瞬体の感覚が全て消え去って、だけれど頭の中では、ああ、倒れる、と、どこか冷静にそう思った。そう認識しているのに、どうにもならない体を恨めしく思いながらも、わたしの意識はそこで途切れた。
そしてそのとき、誰かが、わたしの名前を、呼んでくれた気がした。
それはとても懐かしくて、思わず涙がこぼれた。