08話 彼女と彼女のお話
「もうアリシアが来てから、1ヶ月も経つのね。仕事には慣れた?」
「うん、仕事っていっても今はまだ掃除ばかりしてるけれど。」
隣にいるのは、マーガレットだ。この1ヶ月の間に、彼女とは大分仲が良くなった。彼女のもつ大らかな性格がわたしはとても気に入っているし、出来ることならずっと友達でいたいとも思う。今日はふたりの休日が重なっていることから、一緒に街へ買い物に行こうというところだった。
「第三書庫って、わたしは存在すら知らなかったわ。誰か利用してるの?」
「うーん・・・」
実のところを言えば、最近は利用者がいたりする。わたしの仕事態度などをたまに調査しに来るオスカー室長やマーティンさんは別として、他に。それは実は、ハウエル王太子殿下だったりするのだけれど。まだ誰にも言っていない。それに彼が、誰もいない第三書庫は使いきった頭を休めるとか、じっくり読みたい書物を持ち込むとかに適しているとそう言っていたから、誰にも言うまいと思っていた。
「そう、ね。あまりいないわ。でも綺麗にしたら、人が来るかもしれないから、それはとても楽しみよ。」
「わたしも綺麗になったら、行くわ。だからアリシア、頑張ってね。」
「ちょっと、そこは手伝うわ、とか言わないの?」
「いやよ、だってわたし、掃除は苦手なんだもの。」
そう言ってマーガレットは茶目っ気たっぷりに笑った。そうして歩いている内に、王宮の門のところまでやってくる。と、そこに、ここに来た初日に初めて言葉を交わした人物の姿を見つける。
「ローランドさん、こんにちは。」
「ああ、メラーズ殿。それから、ムーア殿。今日はどちらに?」
「これから街へ買い物に行くんです。」
「そうか。楽しんでくると良い。」
ありがとうございます、と返してから門を通って王宮の外へ出た。
ふとそこで、隣で口を堅く閉じているマーガレットに気付く。視線も下向きで、どこか居心地が悪そうにしている。
「マーガレット?どうしたの、どこか気分でも悪い?」
問うてみても、返事はなく、ただ彼女は頭を振るだけだった。本当に大丈夫かと、彼女の表情を覗き込むと、その頬は赤くなっていた。ほんとうに気分が悪いのではないか!
「マーガレット、あなた顔が赤いわ!きっと、熱があるのよ。早く宿所に戻って、」
「いいの。」
「良くないわ!悪化したら、」
「いいのよ、アリシア。これは、風邪じゃないの。」
そう言ったマーガレットの声は、はっきりとしていた。では、それなら、いったい何だというのか。何かに怒っているとでもいうのだろうか。思わず首をかしげていると、マーガレットはようやく下向きの視線を上げて、口を開いた。
「わたし、恋をしているの。」
「・・・こい?」
「そう、気付かなかった?」
「気付くも何も、どうやって?」
そこでマーガレットは拍子抜けしたように、小さくため息をついた。一体何だというのか。
「アリシアはそういう話題には疎すぎるわ。もうあなたにはバレてしまったかと思ったのに。」
「バレるも何も、今のが初耳だけれど。」
「その鈍さだと、そうなのでしょうね。」
さっきからマーガレットの言葉に棘を感じるが、どうやらわたしの理解力が足りないようなので、そこにはあえて触れないことにした。さて、マーガレットのいう恋とは、一体誰に対してなのか。今までに、わたしにそれが分かってしまうような状況があったとはとても思えなかった。
「ごめんなさいマーガレット、やっぱり分からないわ。あなたの好きな人、誰なの?」
「・・・・・・・・・あの、門番の人よ。」
ふむ、あの門番の人、というのは、わたしの予想だとローランドさんになるのだけれど。ということは、先ほど目線が下向きになっていたのは、照れ隠しということか。口を堅く結んでいたのも、緊張して話せなかったのか。そして頬が赤く染まっていたのも、どうやら彼に対しての恋する気持ちの現れだったのか。なるほど、そこでようやく、彼女の恋のサインを知った。
「ローランドさんね?」
「・・・そう。気付いたのは、まだ、1週間ほど前のことだわ。」
そう言ってマーガレットが話してくれたのは、その恋のきっかけだった。
1週間ほど前、食材の補充のために買い物に出かけた彼女は、門を抜けるとき、ローランドさんに会ったという。今までにも何回か門で会っていたから、ただ小さく挨拶をして、そのまま通り過ぎるだけだった。門を出て、しばらくしたとき、「マルクス、だめよ!」と、母が走って王宮の門の中に入ろうとする子を叱る声を聞いたという。そうして振り返ったとき、小さな男の子は、すでにローランドさんに抱えられていた。
彼女は、ローランドさんがその男の子を厳しく叱咤するのではないかと、そう思ったらしい。けれどそれは違った。今までの厳しい表情からは想像もつかないような優しい笑みを浮かべて、大きな体を折り曲げて、男の子を地面へと下ろした彼は、その子に諭したという。
「そのとき、素敵、って思ったの。そう思ってからは、彼のことが気になって仕方なかったわ。」
そうやって話すマーガレットは、その頬を赤く染めていた。素直に、かわいいと思った。応援したいと、そう思った。それでいて少し、うらやましいと思った。わたしには誰かに恋をする気持ちがまだ、分からないからだ。いつか分かる日が、来るのだろうか。
第二章の始まりです。
マーガレットの恋に重きをおきつつも、アリシアがどうやって成長していくのか、
また恋の伏線なんかも含めていけたらなと思います。